東京マラソン2021レースレポート -初マラソンサブ50どころかサブ3にも届かなかった振り返り-
昨日(2022年3月6日)は自身初のマラソンとなった東京マラソンでした。サブ50を目指して約10ヶ月間のトレーニングを進め、理論的には十分な強度の設定での練習をしっかりと消化でき、仕上がりも十分だと確信しての本番でしたが、結果は予想もしていなかった展開で、自分にとってはまさかの3時間9分26秒(グロス・速報値)…。次のプロジェクトに入っていく前に、レースレポートと一緒に失敗した要因をしっかりと振り返ります(覚えているうちにやっとかないと同じ失敗を繰り返しかねないので…)。
レースレポート(前日~当日の準備編)
準備したこと
ランナーズエントリーは大会3日前(3月3日)には終わらせ、前々日、前日に余計な負荷を掛けないでいいようにスケジュールを調整していたものの、計算外だったのは前々日(3月4日)にプライベートで色々と忙しく15,000歩も歩くことになったこと。それでも前日(3月5日)の歩行量は3,700歩で、ある程度は疲労を抜き切れていたかなと思います。
前日は脂質を避けて、夕食にトマトソースのパスタ。そのあとにMaurten Drink Mix 320を時間をかけて飲んで、21:30には就寝。
当日は4:30に目が覚めたので7時間睡眠とやや短め。お汁粉(お餅4個)を食べて、当日の受付開始の7:00まで1時間ほどかけてMaurten Drink Mix 320。
7:00にスタートエリアに入場してBブロックの先頭を確保。寒いのでエマージェンシーシートとホッカイロで出来るだけ保温して体力温存に専念。
8:30からhitomi「LOVE2000」→YOASOBI「群青」→ゆず「栄光への架け橋」の3曲を聞きながらレースプランをイメージすることで集中力を高めます。
8:45にスタート前最後の補給。ここまでは事前にプランニングしていた通りに遂行し切れました。
想定外だったこと
当日になって想定(コールセンターに事前確認していた内容)と違ったことは、
の2点。①によりブロックごとにスタートする前提で組み立てていたレースプランが使えなくなり、②は荷物対策でコース序盤の曙橋でデポするまで約4kmほどトレランザックを背負って走るのが結果的に不要な負荷となり、プランの重要な部分が狂う状況となりました。
それから、自宅~新宿駅~スタートエリアまでの移動距離が思った以上にあって、スタートするまでに4,500歩も歩くことになったのも、最終的なレース結果に影響を与えていたかも知れません。
レースレポート
スタート~5km区間
9:10に号砲が鳴ってAブロックの最後尾について一斉にスタート。スタートライン通過までのロスタイムは1分25秒。ネットタイムでしか考えていないので気になりません。
しかし、Aブロックには2時間30分のランナーから3時間20分のランナーまで混在していて、さらにコース変更の影響もあって流れが非常に悪い。後々に響く可能性があるとは理解しつつも、ある程度は無理して抜いていかないと回収不可能なレベルの遅れが生じてしまうため、緩急をつけて抜かざるを得ない厳しい状況。
それでも1km通過で4:32/kmがやっとで、サブ50に向けて早くも30秒以上の遅れを抱えることになってしまいました。
5~10km区間
市ヶ谷~上野広小路の折り返し地点までがこの区間。ランナー同士の間隔も広がってきて、ようやくだいぶ走りやすい状況に。周囲にいるランナーはサブ3ペースより少し遅めで巡航しているランナーが多く、この辺りではAブロックのランナーをどんどん抜き続けていってテンションが上がります。
プチトラブルであったのが、レース中の補給で携帯していたはずのMaurten GEL100 CAF100の3本のうちの1本をどこかで落としてしまったようで見当たらなかったこと。9km、18km、27kmの3地点で補給する予定だったので少し焦りつつも、最初の補給はパスして18kmと27kmの2地点での補給にすぐにシフトしました。
10~15km区間
この区間の見どころは特になし。スライドで知り合いのランナーを見つけて声を掛けたくらい。コースの距離表示とGPS計測値が段々と広がってきて上手く計算できなくなってきました。
15~20km区間
浅草寺&スカイツリービューを含むのがこの区間。今回、東京マラソンを走った中でのハイライトのひとつが、蔵前橋の上でキプチョゲとすれ違えたこと!世界最速の走りを確かに目に焼きつけられました。AブロックとBブロックが時間差スタートの場合はすれ違えないはずでしたが、同時スタートだったことでなんとかギリギリの位置で目撃できて、本当によかったです。
肝心の走りの方は、手元のGarminの計測では3:58~4:00/kmで巡航しているはずなのに、実際のコースの距離表示よりも常に短くて目標のサブ50は厳しいかな?という感覚になってきました。Garminがブレているから周囲のランナーのペースも分からず、1人でガンガン追い抜いていく展開が続きます。
20~25km区間
ハーフ地点の通過タイムが1:25:51で、最初の1kmでの30秒の遅れからさらに拡大していたため、ここでサブ50を断念してサブ55に下方修正。それでもNYCマラソンの基準をクリアできるタイム。これなら1分39秒の貯金がある状態。
この辺りで追いついたランナーのペースはサブ55~サブ3ペースでたまに風除けに使わせてもらいながら、少しずつ前にポジションを上げていきました。蔵前橋~門前仲町のスライド区間の地味なアップダウンと向かい風に段々と体力が削られていきます。
25~30km区間
コース上の見どころは特になし。ほぼ単独走で来た中でたまに程よいペースの小集団を見つけられても、フォーメーションを組んで走っている感じではなく、すぐに分裂したりして集団の中に入って走るという状態が安定しません。もっとビシっとまとまった集団がいるものだとばかり思っていたので、初マラソンは分からないことだらけだと改めて実感しました。
Garminのズレもどんどん大きくなって、ペースメイクに本当に悩み続けることになったことが結果に大きな影響を与えたのは間違いないと思います。それでも30km通過地点ではかなり余力が残っていると感じられていましたし、サブ55まで1分23秒の貯金がある状況をつくれていました。練習でのMペースロング走の最長が27.2kmだったこともあって30kmの自己ベストを更新。
30~35km区間
日本橋・京橋~銀座~有楽町~日比谷と華やかなエリアばかりが続くハイライト的な区間。北風であればここは追い風になるはずだったのが、風が巻いていたのか向かい風を受ける時間が長く続き、徐々にキツさを感じ始めます。よく聞く30kmの壁というほどの壁には全く感じられずに、慎重に出力を調整して距離を伸ばしていきました。
途中で家族からの声援ももらえて、かなり励みになりました。やっぱり応援の力は大きい!
が、Gaminを見ながらサブ55ペースで巡航していたと思っていたこの区間の5kmラップは、あとからデータで見ると22:00の4:24/km!Garminの計測値は20:38(4:07.6/km)で、1km当たり16.4秒もの差が出ていました!楽に走れているのに全然崩れていない、30kmの壁なんて感じなかったと思っていたのは勘違いで、実際にはEペース上限くらいのペースまで落ち込んでいたようです。
35~40km区間
一気に体感残ライフが削られてキツくなっていくものの、東京タワーを超えて、田町で折り返して残り5km。あと20分ちょっとでゴール。もうタイム計算はよく分からなくなっていてサブ55に届くのかどうかも分からない。そんな時に聞こえてきたのが「この辺だとサブ55くらい?」「うーん、多分57分くらいじゃないかな?」という沿道の会話でした。「マジか!?どこでそんなにロスしていたんだっけ?おかしくないか?」と思いつつ、残り距離で計算するとペースを戻しに行かないと確かに無理そうな数字。だったので力を振り絞って上げに行きます。
ですが、今思えばこの判断が完全に自爆行為でした。確かに数百メートルだけペースアップはできましたが、そのあと38km過ぎから急速に脳酸欠のような状態になり、腕がしびれを感じ始め、39kmを過ぎた時点で意識が朦朧としてしまい、かろうじて40kmの給水地点にたどり着いた頃には貧血で倒れる時のような感覚に陥っていました。
LTの限界値を突破したんだと思います。
40km~ゴール区間
もうどうしようもない状態なので給水地点で立ち止まって、ポカリスエットと水の両方をしっかり飲んで、1分くらい休んで、さあ残りゴールまで走り切ろう!としたのですが、体が全く前に進もうとしません。
日比谷公園の前を意識が薄い中でフラフラになりながら歩きながら、もう少し!頑張って!まだ行けるよ!というたくさんの声援を頂いて、完全に涙していました。
無理だよ、歩き切るしかないよ…と思いながらも、丸の内仲通りに入ったあたりからなんとか少しだけ動けるようになり、100mジョグして30m歩くような限界を超えた状態でしたが、せめて最後の195mだけでも走り切ろう!笑顔でゴールを迎えよう!と行幸通りに入ってからは歩かずに走りぬくことができました。
サブ3にも届かなかったという結果以上に、最後まで走り切ることが出来なかった悔しさが本当に大きく、ゴール直後の記念写真を撮るランナー達を眺めながら、自分は記念写真はいらないや…としか思えず、フラフラの状態でゴールエリアを後にしました。
今回の敗因
①実力不足
一番の敗因はサブ50をするだけの実力がなかったのに、サブ50を目指してしまったことだと思います。全ての条件が100%完璧にハマればサブ50できる可能性が10%くらいあったかも知れませんが、全ての条件が100%完璧にハマることなんてまずあり得ません。
最初からサブ55、サブ3を目指していればまた違った結果だったのかも知れませんが、序盤に猛烈に突っ込んだ形となり、当然のように待っていた撃沈だったと思います。
そもそも駒沢公園でサブ50ペースでのロング走をした時も、27.2kmまでは行けましたが、やはり脳酸欠のような状態になり30kmまで行けずに断念していました。これを余裕を残してクリアできていないこと、それが不安材料だと薄々は分かってはいたのに、サブ50を目指してスタートを切ったこと自体が無謀でした。
それでも、サブ50を目指そうとしたこの失敗は間違いなく糧になります。
といったことを総合的かつ冷静に判断し、プランB、プランCにどんどん切り替えていく柔軟性が42.195kmの長いレースでは求められるということを実感できました。次に走るフルマラソンでは、この経験を絶対に活かしたいと思います。
②35km地点でサブ3目標に下方修正できなかった
35km地点の通過タイムは2時間25分2秒。サブ55ペース(2時間25分8秒)からだと6秒の貯金。サブ3ペース(2時間29分17秒)からですと4分15秒の貯金。まだサブ55ペースの4:08/kmを維持できていると勘違いしていましたが、実際には30~35km区間の平均ラップは4:24.0/kmまで落ちていました。
これが分かっていれば、この時点でサブ55からサブ3に下方修正するべきでした。それであれば4:51/kmまで落としても良く、動けなくなるところまで一気に潰れることは無かったと思います。
③Garminに頼りすぎた
今回はBブロックになった時点である程度の単独走を覚悟し、Garminの自動ラップ計測とリアルタイムのペース表示に頼ってペースメイクしていくプランでした。
ですが、最終的にGarminが計測した距離は42.87kmで1.6%も違います。しかも②にも書いた通り、30~35km区間では平均で16.4秒/kmものズレが生じており、これがレースプランの判断に重大な影響を与えてしまいました。
それでも、Garminの自動ラップを頼りに走るという判断をしたのは自分自身です。次にフルマラソンを走る時は手動ラップでコース上の距離表示に応じたペースを確認する方法にしたいと思います。たまに手動ラップを取り忘れる時も出てくると思いますが、そんなのはレース結果を左右するほどの大きな問題にはならないはずです。
④言い訳
言い訳したいこともたくさんあります。
ですが、こうした言い訳のいずれも、最後まで走り切れないところまで潰れてしまった要因ではありません。そして全ての条件が100%完璧にハマることなんてまずあり得ません。そんな言い訳したいこともある中で、どうやって(甘えや逃げではない)その日のベストを出しに行くのか?そうしたことを柔軟に考えられるようになっていきたいと思います。
反省点
①自分のレースに集中し切れていなかった
などなど、思い返せば自分のレースに集中し切れていなかった事象がたくさんありました。
高い目標を掲げて、そこに向けたトレーニングに一生懸命取り組んできていたはずなのに、本番でレースそのものに真剣に向き合ってしっかりと集中できていなかったこと、そしてその自覚を持てていなかったことは、一番の反省点です。リラックスしながらも集中して楽しむことと、レクリエーション的に楽しむことを混同してしまっていました。
②自分に期待を掛けすぎていた
そんなことばかりを考えて、自分に期待を掛けすぎていたことも反省点です。ちゃんと自分自身と、自分自身がやってきたことに謙虚であれば、例えば完全撃沈とサブ3の分岐点になった35kmの辺りで、もっと適切な判断をすることができたと思います。
ゴールした時は悔しさしかなく、メダルを首に掛けての記念撮影すらしませんでしたが、それも残念な態度だったと思います。
納得のいく結果ではなかったとしても、このメダルは自分が10ヶ月間積み重ねてきた努力と、想い出に残る初マラソンで刻んだ3時間9分26秒の結晶です。ここまで頑張って、最後まで精一杯目標に向かってチャレンジした自分を認めてあげて、また次のステップに進んでいきたいと思います。
これからのこと
たまたま昨日(東京マラソン2021当日)の、競泳の池江璃花子選手のTweetです。「生きているだけで丸儲け」は明石家さんまさんですが、「結果はもちろん大事。だけどそれだけが全てじゃない。そこまでの過程だったり、楽しいっていう気持ちを忘れないこと。」「努力は必ずしも報われるわけではない。だけどその努力が報われるまで努力し続ける。」は本当に金言だと思います。
新谷選手の「失敗しても失敗した自分を責めるのは絶対やめよう」という東京マラソンを走り終えた直後の Tweetもとても心に響きました。
初マラソンとなった東京マラソンでは文字通り動けなくなるまで全力を出し切って、体にかなりのダメージがある状態ですので、まずは2週間ほどしっかりとオフを取ります。
そこから、土台を大きくするための基礎構築期からしっかりと積み上げ直して、こうした言葉も胸に、2022年の秋には確実にサブ3を達成できるだけの準備をしていきたいと思います。