運動会の表現運動で思うこと
はじめに
夏休み頃から10月までが苦痛で仕方がない。
なぜか。運動会の表現運動の内容や指導について考えたり、準備したりしないといけないからだ。
運動会の表現運動に関しては「やってもいいけど、本当に必要?」と言うのが私の意見です。(運動会の表現運動の指導が大好きな人ごめんなさい。)
今回は何でそう思うのかを書いていきます。
何のために?
そもそも何の為に、運動会の表現運動があるのかを考えてみました。私は、
「行事を通して、児童が力を付けて今後の学校生活をより良くする。」
現段階ではこれだと思っています。
付けたい力はその時の学年によって違うので絶対にこれ!というものは無いのですが、ある年は「協力」だったり、「我慢」だったり、「楽しむ」だったり。
要は表現運動を通して学んだ事を今後の学校生活に生かすことが大切だと思っています。
子どもの成長のためにというのが1番のはず。
ただこれに、見栄えとか他の教員の視線とか気にし出したらもうしんどい。
その辺はスルーできる力が欲しいです。
費用対効果が低い
低いというか、「我々が低くしている。」と言う表現が適切かもしれない。
これは先程書かせて頂いた事にも繋がるのですが、せっかく行事をやるなら今後に生かすのがベターだと思うのです。
これを行事が終わって燃え尽きさせるのは勿体ない。
そもそもそんな余裕ないでしょ?
私の勤務校では職員の半分以上が45時間超の超過勤務状態。
そんな中で行う運動会は負担でしかないと思うのです。
「もっとこうした方が。」とか言うのを業務削減に使えばいいのになと感じる今日この頃。
じゃあどうする?
私の意見はこれだ。
全くいいねが無かったのでこれが実現できる可能性はゼロかなと。
来年度も運動会担当なら提案してみようと思います。
最後に
これは私の妄想でありフィクションです。
無理なく負担なく行える運動会を今後も考えていきたいと思います。
ありがとうございました。