「嫌われる勇気」を読んだけどむずくない?
前回は「後輩だろうが関係なく対等に接する」と決心したものの、いつもと変わらないマウント取りをしそうになり、学習能力を実家に忘れたんか?とあわあわしている社会人5年目のポンです。
今日もまた自分のポンコツエピを記事に上げようと5分くらい振り返るも比較的おだやかだったかなーと思うので今日は別テーマで。ということで最近読んだ本「嫌われる勇気」が難しくて難しいなと思ったので頑張って咀嚼しながらnoteに記録していきたいと思います。Let's咀嚼!
人の悩みはすべて対人関係によるものである
すさまじいパンチライン、、。初めてR指定の聖徳太子ラップを見たとき以来の衝撃。著者(もといアドラーさん)曰く、誰とも比べんな、承認欲求なんぞ不要じゃい!とのこと。比較するからその差に劣等感を生み、その劣等感がやがてコンプレックスになるんやで。誰かに褒められたい期待されたい、とそのために行動しようとするから、相手がほめてくれなかったりした時に期待が落胆に変わり、悩みに変身するんぞ!と。(これ実践するのむっず。)
人と比べるんじゃなくて、自分の理想と比べなさい。現在地点から理想地点の距離を測り、その差分埋めるためにエネルギーを注ぎなさい、それがあなたの解くべき課題だ、みたいな。例えば極端な話、生まれてから死ぬまで孤独の宇宙空間なら悩みは生まないんだとさ。そもそも孤独という概念すら生まれない。つまり孤独という言葉すら背景には「対人間」という考えを持った自分がいるわけだ。
課題を切り分けて考えなさい
森羅万象すべての課題は2つに分けることができ、その2つというのが自分の課題(コントロール可能)と他者の課題(コントロール不可能)。結論この場合、自分のエネルギーの宛先は前者である。家族を例に挙げてみる。パートナーの負担を軽くするために皿洗いをやったとして、その際パートナーが喜ぶかどうかまで求めてはいけない、先の話でいう「他社の課題(コントロール不可能)」に帰属するって。
確かにこの概念を押さえておけば、例えパートナーが自分の思うような反応(やったぜ!サンキュー!的な)がなかったとしても、自分の感情が動かされることなく、生きていくことができるなと。つまり、人間の営みに必要な要素としては他社貢献をすることが確かにあり、これは自分が満足する自己満足の世界に留めておくべきであって、他社の反応まで求めるものではないということだと解釈。
むっず
概念はある程度理解できたが、承認欲求で生きてきたような身からすると、この他人の反応に反応するなというのは、これまでの27年間の習慣から脱却しなければならない非常に重いテーマだなとひるんでしまいますな。
ただ、確かに承認欲求が行き過ぎて、息苦しいなと実感してきたところだったので、一方で目から鱗が落ちる様な体験でもありました。あんまり理解できてないかもしれないが、読んでよかったなと思います。(この「あんまり理解できていないかも」とわざわざ入れることも他者に対する保険であり、つまるところ他人の反応に過剰反応している証拠だ、とアドラーさんから怒られそう。)
ということで以下2つを意識してみようかなと。
①コントロール可能なものと不可能なものを選別する
②コントロール可能なものに時間を注ぎ、不可能なものに感情を左右されないようにする
これもまた習慣化と思いますし、これが上手くできなかったらできなかったで、ポンコツエピとしてnoteに書くこともできるので、一石二鳥?かなーと思いました。
読書は続けるべきですな!明日からもまた頑張っていきます。ではおやすみなさい。