病気のまま変われない?崩れたまま治らないままの自分が良い?
【不健康な現状を守ろうとする不思議】
現状を変えたいはずなのに変えられない・・・
と言うか、実は変えたくないのか?何がそんなに怖いのか?嫌なのか?これじゃ駄目だって分かってるのになぜ変えられないなのか?
【変える】ってなんでこんなに大変なのか?
これは本当、歳を重ねていく程、強く感じてならない。
風邪をひく、お腹を壊す、体がこる、そこら中が痛い、モヤモヤする、不安になる、無力を感じる、ネガティブな要素が渦巻くそんな事って誰にでもある。
でも、その原因について把握しようとしない。具体的に明かそうとならない。根本的なところから治そうとしない。そのまま放置するから余計に怖くなる。より悪化していく。
そんな負のスパイラルを見ると悲しい。
体調が悪くなる原因なんてのは案外、単純だとも思う。
・寝ない
・水を飲まない
・食べ過ぎる
・動かない
・我慢する
これらを実践、頑張るほど、確実に体調は悪化する。
寝不足、脱水、過食、運動不足、ストレスMAX、そんなの誰でも言えるよ、分かるよって話。
だけど不思議と言うか、何かもう異常だなってぐらい、人間ってそこに縛られたりする。びっくりするほど、そこからの解放を拒んだりする。
寝ればいいのに寝ない。寝たくても寝れない。水を飲めば良いのに飲まない。ただの水なんか美味しくないって飲めない。変な物なんか食べなきゃいいのに食べる。駄目だって分かってるのに食べすぎる。
動いて体をほぐした方が良いのにじっとして固まる。体温も低いまま日光も浴びないまま硬直や緊張を維持する。健康や解放を拒み現状のまま我慢を続ける。
中毒とか安易に言うのもあれだけど、不健康中毒、現状中毒、不安中毒、恐怖中毒とでも呼ぶべき何かってのが、存在するような気がしてならない。
そこから逃れる手段として、薬を飲んだり、医者を頼ったり、思考停止的に娯楽に浸ろうとしても、根本的には全く解決されないまま、負の継続、麻痺の沼にはまったまま出られない。
誰かが何とかしてくれるのではなく、自分で何とかしなければいけない。気付かなければいけない。原因を把握して対処しなければならない。
その現実を受け入れるのにどうしてか、人生を変える程の覚悟が必要になってしまう。その大変で過酷なイメージに足踏みしてしまう。
こんな事を言うと、物凄く困難な試練を叩き付けられてるようだけど、前述したように、不調の原因なんてのは意外と単純だと思う。
よく寝る。ちゃんと水を飲む。変な物を食べない。食べ過ぎない。ちょっとずつでも体を動かす。心身壊れるほど我慢しない。それだけで全然違う。
そこに加えて、日をしっかり浴びるとか、ツボを押すなりマッサージをしてみる、ゆったり風呂に入るってのも良いだろう。
極端な湿度や温度差を無くすってのも効果が有りそうだし、掃除をするとか換気するってのも気分が変わるし、すぐ出来る事も色々あるだろう。
嫌なやつの顔を見たくなきゃ見なければいい。嫌な話を聞きたくなければ聞かなきゃいい。ネットで情報を漁って不快をわざわざ覗く必要も無い。
責任がある、守るものがある、会社も社会も単純じゃない、そう言うのも分かるけど、心も命も破壊される現状をただ受け入れる、それが健全とはとても思えない。
とまぁ、そんなこと言われてすぐ変われりゃ、世の中、人間、自分、もっと健やかに穏やかに過ごせるって話だ。
無駄に起きて、無駄に飲まず、無駄に食べて、無駄に固まり、無駄に我慢し、壊れていく。そんなもんである。
自分自身、健やかで穏やかな生活なんて全然送れてない。
親知らずの痛みに苦しんだり、尿管結石でブッ倒れたり、それでもジュース飲んだり、カップラーメン食べたり、長時間ゲームやったり、完全なる夜型だったり、人を憎みもするし嫌いにもなる、どの口が言うんだと。
変わった方が良いのに変えられない。変えられないと言うより、変えようとしない。分かってるのに出来ない、やらない、理屈だけが素通りしていく。人間そんなものだって言って逃げてしまう。
難儀と言うか、愚かと言うか、困ったもんだ。
【15kgダイエット成功の要因は嫌悪と拒絶】
お説教かいな、自虐かいなって続いた後、ダイエットの話に移るってのもわけ分かんなくはある。でも本当の話、去年の6月から数えて、15kgのダイエットに成功した。
それこそ病気じゃないの?健康とは思えないけよ?って感じだけど、
【余計な食事を減らす】
という、至極真っ当な事をやって自然とそうなっただけな為、特に違和感などは無い。
病的な時はそれこそ、10日で7kg落ちたとか、ひと月で10kg落としたとかそういう感じなので、それと比較したら実にノンビリ、無理なく、じわじわ落としていったと実感。
酷い時期などは、深夜2時頃、ポテチを1袋食べる、ジュース飲み干す、チョコやら飴やら、何かしら口に入れておくなど、そういう生活を送っていた。
それをバッサリ切り捨て、晩御飯を食べたらもうそれ以上は食べない、ジュースを飲むにしても、炭酸水に柚子を絞って飲むなど切り替えていったら、勝手に体重が落ちていった。
激しい運動もしなければ、強烈な我慢を強いられる食事制限もしない。とにかく普通に、普通に、まともにと意識し、時間をかけていった結果、リバウンドに陥る事もなく、かつてないほどスムーズにダイエット出来た。
頑張るほど、必死になるほど、その反動に苦しんだ過去を振り返ると、何とも皮肉と言うか、その場その時だけ努力したってたかが知れてる、根っこを変えていかない限り、人は変われないのかなって思わされてしまう。
今回のダイエットについて、強力な原動力になったものを考えてみると、
【嫌悪と拒絶の力】
これを上手く使えたんじゃないか、そんな事が頭によぎる。
情けない話だけど、前述したような歯の痛みや、尿管結石がブーストになったと言うべきか、そこから生まれたエネルギーは半端じゃない。
「もう二度と御免だ!」
「あそこには戻りたくない!」
「絶対やめたい!」
この実に分かりやすい動機、思い出すだけで冷や汗が出るってやつが、心構えを変えた。
半分冗談、悪ノリ混じりでもある。しかしまぁ「さあ頑張るぞ!」「俺はやるぞ!」「生まれ変わるんだ!」なんて決意や誓いとか、簡単に折れちゃうタイプなわたくし。
「もっとポジティブになろう!」って無理するより、ネガティブそうな部分を有効活用した方が、上手く行く事がままあったりする。
で、そういう感情をずっと抱えたまま突き進むと、だんだん壊れてくるってのも実感済み。なので、負のエネルギーってのはあまり多用せず、ほんのスタートダッシュぐらいに使うのが良い気がする。
最初にブーストかけておいて、継続するには、ぼちぼち方向を切り替えていく。何か楽しくなってきた、面白くなってきたって方向に舵取り、習慣に組み込んでいってしまうという、それが使いこなしのコツなのかもしれない。
今の状態から、その嫌悪と拒絶のエネルギーを使うとしたら、
「こんだけ楽に落とせたのにまた戻るのは嫌だ!だったら食わねぇ!太らねぇ!冗談じゃねぇ!」
ってたぎらせれば、夜食を食べる気なんかすぐ失せる。
菓子依存、砂糖中毒ってのは、麻薬中毒の一種みたいなものだとも思う。麻薬頼みとかそりゃ良いわけねぇだろって、そういう嫌悪と拒絶も湧いてくる。それがまた良いブレーキになってくれる。
前向きなのか、後ろ向きなのか、ポジティブなのか、ネガティブなのか、実際のところはよく分からない。でもまぁ、結果は出てるし、継続も出来ている。
体裁、表向きな態度、そこにどれほどの意味があるのか、効果があるのか、そんな事を考えていくのも、なかなか面白い。
【タッチ・ピッキングを変えるならじっくり確実に】
ここからベースに繋げてくってのも無理やりだけど、考えてみたい事はある。弾き方が良くない、納得いかない=病気とか、絶対に治すべきだとか、そういうこっちゃないんで、そこは誤解なきよう。
自分が弾き方を1から作り直したのは、細く軟弱な音が嫌だった、付きまとう怪我が嫌だった、弾けない事、出来ない事ばかりでうんざりだった、そんな嫌悪と拒絶感が沢山あったなと振り返る。
そんなスタートでも、成長を実感する楽しさに目覚めたり、今日までの継続を生んだり、人生ってのは分からないもんだな、捨てたもんじゃないかもなって、しみじみするところでもある。
これから弾き方を変えたい、もっともっとタッチ、ピッキングを良くしたいと志す方がこれを読んでいたら、弾き方を変える事で起こる不安や恐怖など、そこにどうか負けないよう、心構えを作っておく事をおすすめしたい。
読んで頂きありがとうございます。サポートして頂けると今後の力になります。