美共闘について考える
1970年 学生運動と多摩美術大学
「文化的廃墟を創出せよ」
今回、多摩美固有の歴史である美共闘運動について考察した。美共闘は、多摩美術大学で1970年前後に起こった、堀浩哉や彦坂尚嘉等を中心とした学生運動である。
学生たちはバリケードに籠り、木を切り倒し、トイレを破壊し、そこら中に落書きを描き、日々教授会と交戦し、東大全共闘と繋がりを持ちながら校舎崩壊の一手を辿ろうとした。
しかし、この運動は1年余りで鎮圧され、失敗に終わった。のちに「美共闘 REVOLUTION 委員会」が新たに結成されるのだが。堀浩哉は運動の責任を取らされ多摩美を除名。彦坂によると運動に関わったほとんどの人間が失敗のショックにより鬱病にかかったという。
千葉成夫(ちばしげお)氏は、この運動が美術史的にあまり語られることがなかった要因として、「美共闘」が提起した問題がほとんど理解されていなかったことを指摘している。この負の歴史ともいえる運動を、私は50年以上経ち多摩美に入学した学生の立場から、あの時何が起こり、現在にどのように影響を及ぼしているか、負の側面だけでなく、新たな視点で再考したいと考えた。
美共闘のスローガンは「文化的廃墟を創出せよ!」だ。彼らは近代合理主義や前衛芸術、もの派を批判し、自分たちの新しい芸術を作りだそうとしていた。彼らにとって権力は敵であるし、前衛なんて廃墟同然であり既に終わりを迎えていて、自分たちのための芸術ではないとわかっていた。もの派の考え方も唯「自然的な態度」であると否定し、超越論的で還元主義な態度の彼らからすると遊びにしか見えなかった。その廃墟の中から芽吹いた小さな若葉、近代という文化的廃墟を葬った中から、何かを生み出そうというところから彼らの運動は始まっていた。
ところで1970年といえば、図鑑「ART SINCE 1900」によるとちょうどサイトスペシフィックが台頭した時代の項目にあたる。リチャード・セラが《ベースプレート6 線星形を環で囲う、直角は反転》を発表した年だ。ちょうどこの年に日本では大阪で万国博覧会が行われ、学生運動がひろく注目されていた。
当時の美共闘の運動はトイレットペーパー設置や芝生問題などの設備・環境から始まり、抗議活動が広まった。校舎は上野毛キャンバスしかなかったが1968年に八王子キャンバスの増設・移転計画(石田ビジョン)が発動され建設が進められていた。
この増設に対して、学生からは大学側の利益追求を疑問視する激しい反対運動が起こっていた。八王子建設反対運動だ。のちに、授業放棄が行われ、八王子計画の撤回が要求された。そう、実は我々が普段学生生活をおくるこの八王子キャンパスはもともと学生から支持されず歓迎されないうちに設立されたのだ。だから八王子キャンパスが建設されてもほとんどの人は訪れず、広大な風景は静寂に包まれ、山の土がコンクリートの内部に閉じ込められただけだった。現在、共通教育棟とよばれるこの棟も「ユウレイ棟」と呼ばれていたそうだ。今の学生には信じがたいが八王子キャンバス、その存在は廃墟から始まったと言っても過言ではない歴史的背景があると言える。
建物は最終的に壊れる宿命があり、建築家ははじめからその建物がどのように壊れるかまで計画する。
八王子キャンパスは最初から廃墟として始まったという歴史的背景を考慮し、美術大学とはいえ、美術を批判的にみると廃墟的であり、廃墟で始まり廃墟に至る場所として位置付けた。
映像《映画:廃墟2023》 小野まりえ 03:55.5
私はこの美共闘をテーマに一本の実験映画を制作することにした。
この実験映画は、深夜に人の気配が消失し廃墟と化した多摩美八王子キャンパスを撮影し、アフレコで音を付けることを計画した。
映画のオフの音*を多用し、時間と空間を推移させ、美共闘当時の記憶を現代に継承し、その声を伝えることを目指した。映像を通じて、かつての廃墟を想像することができる。
廃墟とは過去に何があったのだろうと想像させる。それは非人称化された「記憶」であり、記憶とは、属する時間も空間もない「非在」である。
決定的な出来事は、時空間の中に持続性を持たない一時的なものである。
美共闘のキャンペーンもいずれ忘却されてしまうのだろうか。
この映像には人間は1人も登場しない。
人を失った場所は、また目的や機能を果たせなくなったものは、廃墟と言い換えることができる。
スクリーンのなかの多摩美はその機能を喪失し、廃墟として存在している。しかし、流れる音やセリフから人影のようなものは感じる事ができる。それは幽霊や亡霊のようなものである。
私はこの作品を制作する際に、バリケード中でのリアルな当時の対話や音をそのまま想像するのではなく、美共闘が後世に出て伝えたかったであろうメッセージを重点的に言語化した。
美共闘が何をして、何を伝えたかったのか。
私が思うに、美共闘が行ったことは、美術がもつ固有の問題を問いなおし、その時代が持つ社会全体の危機感を打倒し近代合理主義にのみ込まれることを阻止することだった。我々の生きる今日の日本も、美術は時折独善的で権威主義的な一面を見せ、世界との接続を安易かつ脆弱な手段で拘束しようとする。それはこれまでの歴史を忘却し車輪の再発明をしているにすぎない。そう、歴史で起こった出来事が、また繰り返されている。
私は、実際には1970年頃より今の状況は悪くなっているんじゃないかと思う。
私は、現在の超高齢化のなか陰鬱で個人主義で反知性主義的な雰囲気のあるこの時代にこそ、美共闘運動が必要なんじゃないかと思う。今こそ学生運動をすべきだとすら感じるのだ。
この映画の上映会場は多摩美の共通教育棟で2023年10月に行った。そのとき、305A教室を選んだ理由は、共通教育棟で1番狭い教室だったため身体的にバリケード内を想起することができると考えたからだ。
もう一度今、若い世代が団結し美術や権威に向かって本気の喧嘩をしても良いのではないだろうか。
そして最後に、この実験映画に関する貴重なアドバイスをくださった堀浩哉先生、鈴木余位先生、多摩美教授の千葉正也先生、吉澤美香先生、地主麻衣子先生、各生徒友人等へ心からの感謝を申し上げます。
*ミシェル・シオン、映画における音の三つの区分、 フレーム内の音、フレーム外の音、オフの音、アクースマティックな音(アクスメートル)であり、映画音楽の場 所については「スクリーンの音楽」/「オーケストラ・ピットの音楽」と区分される。
参考
採 Siren蓮. 堀浩哉 / https://www.ccma-net.jp/wp-content/uploads/2019/03/siren21_pp7-24_hori.pdf
美共闘、ポスト概念派、ポストもの派 /https://www.aloalo.co.jp/arthistoryjapan/4d.html
図書館の資料にみる多摩美の歴史 https://note.com/tamabi_library/n/n43214b06b874
彦坂尚嘉オーラル・ヒストリー 2012年5月28日https://oralarthistory.org/archives/hikosaka_naoyoshi/interview_02.php
多摩美術大学附属美術館のこれまでの歩みを概観し http://www.tamabi.ac.jp/MUSEUM/museum.htm
【多摩】堀浩哉展 起源 | Art Annual online https://www.art-annual.jp/news-exhibition/exhibition/41657/
論文 2 | Japanese Art Sound Archive https://japaneseartsoundarchive.com/jp/texts/paper2/
滅びと再生の庭: 美術家・堀浩哉の全思考.堀浩哉
https://www.amazon.co.jp/%E6%BB%85%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%BA%AD-%E7%BE%8E%E8%A1%93%E5%AE%B6%E3%83%BB%E5%A0%80%E6%B5%A9%E5%93%89%E3%81%AE%E5%85%A8%E6%80%9D%E8%80%83-%E5%A0%80-%E6%B5%A9%E5%93%89/dp/4773814225
反覆―新興芸術の位相 (新装復刻増補版).彦坂尚嘉 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784865980202
映画にとって音とはなにか. ミシェル・シオン https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784326851263
現代美術逸脱史―1945~1985 千葉成夫 https://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%80%B8%E8%84%B1%E5%8F%B2%E2%80%951945-1985-%E5%8D%83%E8%91%89-%E6%88%90%E5%A4%AB/dp/4794937628