I Saw the Figure 5 in Gold
I Saw the Figure 5 in Gold
この絵画を見た最初の印象は反復される“ 5 ”という数字が画面を大きく占め、ジャスパー・ジョーンズ(1930-)のようだと感じた。彼の数字の書体にも似た“ 5 ”の形態はモーリス・ベントンが1924年にデザインしたボドニ・ウルトラのような肉付けがなされてある。
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上記の画像1はこの課題の絵の略図を何度か書き出した後にひとつにまとめた図である。
この絵の1番の特徴は手前から奥へ遠近法を使い大中小と3つの“ 5 ”が反復して描かれているところだ。そして、その3つの“ 5 ”による遠近法を手助けするかのように画面下には横断歩道のような色面が集中線のように並び、画面上部には暗いビルが立ち並んでいるのがわかる。中央上から左下へスポットライトのような光の斜線が画面を横断し、4つのまるい街灯が1番小さな“ 5 ”の丸い肉付きに呼応し集中していくように配置(図3)されている。
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この絵の視覚的効果の特異な部分の一つは、観察すればするほど” 5 “のイメージがゲシュタルト崩壊していると錯覚するところだ。なぜそのような錯覚を起こすのだろうか。それは、5というシルエットは遠近法で描かれているにも関わらず色彩的には遠近を表現する上で通常の明暗を用いて描かれておらず視線が拡散されることが挙げられるのではないだろうか。具体的にいえば手前から奥へ収束していくかのように見える”5”という数字はまず奥から2番目の”5”が1番暗く最初に目につき、その後奥、手前と明度の高い”5”が見えてくる。そのような不安定な前後関係を築く工夫の上で”5”というイメージが崩壊していくのではないだろうか。
そして、この絵がウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩「The great figure」から着想を得ているのなら描かれている” 5 “の背景にある赤の色面はおそらく消防車だ。この消防車が単純なサイレンの赤と四角形に抽象化され一瞬で過ぎ行く速度、光として描かれているのなら私は未来派の表現を簡単に想起した。
実際、この絵画が制作された1928年には既に「未来主義創立宣言」が起草されている。
ここでもう一つ注目したいことがあるのだが、それはノイズである。英語のトーンという単語が音と色の両方に使われるように視覚的・聴覚的な刺激の間には深い関係がある。この時代に都市の色彩はすでに人工的になり、群衆のたてる音や機械音は騒音となる。そこでイタリアの画家ルイージ・ルッソロ(1885-1947)は「未来派の夕べ」にインスピレーションを得て『雑音芸術未来派宣言』を起草した。文字通りノイズを積極的に使い音楽の概念を拡張しようとする提案だ。消防車のサイレンも騒音、ノイズとしてこの絵で取り込まれてあると考えると、この目まぐるしい機械化と経済性最優先の都市開発により世界の景観が一気に変化し、どんどん進んでいくようなこちらから奥へ導かれるようなそんな運動感覚を表現する一方で、間に赤いノイズを差し込み当時の景観をより克明に画面へ構築したのではないだろうか。
以上のこうした表現は言葉(詩)と絵画が相互に影響し合うアートの可能性を示し、抽象表現主義やポップアートの先駆けとしての役割を果たしアメリカ現代美術の中で重要な位置を占めた作品といえるだろう。