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選べる。

トコトコ歩いていると、

二手に分かれる道があって、

一つはちょっと嫌だなあと感じる道。

もう片方は、進みたいけど通行止めのバーが立っている道。

が、あったとします。

そんな時どうするか?

通行止めが終わるのをまつ。
バーをどかして進む。
今日は家に帰ろ。
来た道を戻って別の道。
塀を超えるとか新しい道を見つける。
行きたくない方にいやいや進む。

他にもまだあると思いますが、

常になんらかの選択があるのがこの世界。

優しいんです。

優しいというのは、

単純に、

嫌だったら逃げていいよということ。

迷うなら、迷ってていいよ。

好きなら、

やってみたらいいよ。ということ。

選択があるっていうのは、

選べるということだから、

決まった一つのやり方だけが楽なうちは

しぶしぶ選ばされているように生きてしまうけど

実際は違う。

選べてるのに、

選べないことをみて選んで来ただけです。

そして、 実はいかようにも選択があると知った後、

私たちはどうするか?

架空の世界は、

架空でしかありません。

ですがそれをリアルとして見ていれば、

架空でありながら、リアルを装って力を発動します。

つまり、

みたい架空の世界に飛んでいけばいいんじゃない?
ということです。

もっと広い世界に生きたい。
変わりたいって欲が生まれた時は、

まぼろしを見破る。って、けっこうセットなのです。

目の前にあることで全てではないっていう広がりを見る。

これが私たちの

新しい世界観だと思ってます。

これはたとえ話ですが、

マリーアントワネットの言葉に

パンが食べれないなら、
ブリオッシュを食べなさい。

というのがあります。

これは当時アントワネットが
市民の生活の貧しさを知らなかったという意味合いで
伝わっていることですが、

もう少し広がったこれからの解釈では、

もしパンという選択がないなら、
ブリオッシュを食べるという選択もある。

窮地にあるときでも、
自分自身にとって
もっと優位な選択をしてみたらどうだろう?

となるのかなあと思っています。

“すべては自分次第の世界になるよ”
ってことを伝えたくてこの日記は書かれていますが、

自分次第でどうにでもなる。というよりも、

何を選んでも、あなたのお好きに。

というニュアンスかなーと思ってます。

どうしても望みのままに
進まないことも多々ある世の中ですが

これは自我にとってのことだけで、
実際は本体にすべて揃っています。

なので、ただ単純に、

もう叶っているから『見る。』とするだけです。

この世での順番というのが、

全て揃って、叶えられたことが大前提にあって、

それを現象の中で体感して楽しむ。という流れです。

その中では時を辿るので、

できない様に見えたことが、出来るようになる。流れ。

無い様に見えることが、見えるようになる流れ。

もひとつ言って、

悪くなったようで、実は良くなっていく。のが常ですが、

『見る。』を選び続けるとは、

叶ってないとみないこと。でもあるので、

叶ってないように見えた時こそ、
既に叶ったことに意識が向いてればいい話です。

選べないって、限界のある自我そのものの対応範囲ですが

選べるようになるのは、無限の本体と共振していることの
証明だと思ってます。🌟

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