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たべものと5次元の世界。

わたし、たぶん今。自分の人生の中で
二番目くらいにふくよかな時期を過ごしています。

なんでかなあって思った時に、

エネルギー循環が豊富なお陰で、
食べる必要性っていうのがすごく減ったなあと..
しっかりめに、感じています。

食べることは大好きなので、
もう少し楽しみたい気持ちがあるのですが、

精神的に消費するエネルギーが減ると、
どんなに動き回ってもあまりお腹が空きません。

むしろありがたいエネルギーにみなぎっている
感覚すらある訳です。

こころが満たされているって感覚がこれか。。 🌙⋆
と、分かるんですが、

それでも習慣として食べてしまうので
すこしふくよかになります。

このことを反対側からのぞいてみると、

これまでは、満たされていない隙間空間が、
たべるという楽しみを必要としてた。

なんてことでもあります。

競争社会の3次元では、
自分を卑下していると、自分を好きになれない思いが
食べること/食べないことで空白を埋めがちです。

なぜかな。っていうと、

食べ物って、幸せを感じれる即効性がとても強いです。

人によっては、お酒やたばこの嗜好品とされるものや、
肉欲としてのセックスなども同じように言えますが、

持続性はなくても、食べ物は口にした瞬間、
時間が掛からずに 幸せを感じられるのです。

もともと私たちは“幸せ、喜び”の存在なので、
地球という苦しみの多い場所で、
ありのままの存在に陰りをもってしまうと、

やっぱりそのままでは、
沈んでしまったこころを掬えません。

そして、ひかりをもとめるんです。

そうなんですね。

3次元での食文化は、必須の楽しみだったし、
私たちにとって、即効性のあるひかりでした。

そして、食べる=命。という本能があったことで、
命はここまで繋がれて行きました。

生きようとする力、そしてまた頑張ろうという元気。
どちらも食べることが、私たちに与えてくれたエネルギーです。

そして進化する5次元では、

すごくエコロジーのエネルギー消費になって来ます。

競争社会から抜け出して、
それぞれが自分にとっての幸せをみつけれる場所です。

波動が軽くなるってことは、
精神的なストレスが減るということ。

そして、精神的なストレスが減るってことは、
それだけ使うエネルギーも軽くなる/
もしくは、即効性のひかりを求める必要も
減ってくるってことです。

人間的なエネルギー補充の需要が減ってくると、
即効性のひかりは、少しずつですがお役目を減らしていき、
たべる量もすくなくても大丈夫になってくるわけです。

*

こんな日記をかいている私は、

食べることを楽しみたい気持ちはまだあるので、
気づきたくなかったな..という想いはあるものの。

今、はじまりとして気づかされてしまったものは、
未来から飛んできた伝書鳩の仕業…🕊

ここで書いているのは、(何でも前もって
ゆっくり用意することが好みな)私の受け取った
“これから起こって来ることのしっぽ”のお話なので、

現実に動いていくのは、まだまだ先のことですし、
そうならない世界もあることを前提に。

ここからそれぞれのあり方で馴染んでいきます。

時に、こんな話を思考で聞くと、理解しようとしたり、
焦ってしまうこともあるとおもうので、

思考で聞いている場合は、

そうしなければならない。の話では無く、
流れとしてはそうなっていくよ。の話として、

段階的に『自然と動く。』 が、
おミソだとも伝えておきます。

最近私の周りで2人の方から、
たばこを卒業する決断をした!という話を聞き、

2人とも相当なヘビースモーカーだったので
大変そうだねと。周りは言っていましたが、

来るときっていうのは
あっけなく来たりするものです。

人から言われてやってみようとしても続かないのは、
まだタイミングが来てないから。ほんとこれだけだと思ってます。

わたしたちには、こころがあるので、
明らかにそれが良くないと分かっていたとしても
こころから望まれたとき / 今がそのとき。にだけ、
何でも動くので、

そのタイミングは、
じぶんの世界がちゃんと決めていることです。

50年できなかったんだからもう一生できない。のじゃなく、
出来る時はたった5秒あれば動くし、決まります。

そんな風なので、どんな話を聞いたとしても、
人に合わせることも、焦ることもありません。
納得しなくても、いいんです。

目の前にあるうちは、
あるものを思い切り楽しむことが
いまできることです。

*

だけど、5次元ってすごい力ですね。

目の前の風景は同じにしか見えないのに、、
確実に世界の流れは変わっていきます。

ちょっと前の話になりますが、

9月にはいってからの秋分を迎えるまで。
私の見ている世界が、
明らかに、セピア色に見えていました。

琥珀色というのも、もっと綺麗ですね。

懐かしむ古き空間が期間限定で
オープンしているような、

今は無き遠い想い出が、
魔法にかかって現れたような...。

感じ方はそれぞれなので、
ここで私が“セピア色”という表現で
表したこのエネルギーは、

きっとみんな違った方法から
感じられていたと思うのですが、

ああ、なんか動いてる。
そんな表現が一番近いのかもしれません。

そしてこのセピアな世界、
ころなの自粛時に世界がシフォンで
包まれたみたいになったときにも感じていた光景で、

この時と全く同じように感じることは、
カモフラージュなんだな。ってことです。

地球の時間の一部は、

ここを生きているものが、
馴染んだり理解したりするための浸透タイムとして
存在しています。

つまりこの時は、フィルターを掛けることで、
エネルギーの流れをまろやかにして、

その間にちょいちょいฅっと、大きいことを
動かしてしまおうという、恩恵のようなこと。

大きな変化があるときは、突然、白→黒の様に変わると、
早い変化に対応できないのが自然界なので、

何層かにフィルターを掛けることで
少しずつまた層を外して馴染んで行くと。

世界はスピードを調整したり、保護をしたり。
きづけば、すごく私たちを守ってくれている。

ここではたべものの話を書いていますが、

未来からの伝書鳩が、
ここから増えていく予感しかしません。(笑) 🕊

*

ちなみにわたしは、ふくよかなのは好きです。

自分の人生のなかで、やせ子さんとふくよさんの
両方を経験していますが、

その時々に必要な体系が、
わたしの人生で巡って来てくれていました。

スキニーさんも、福々しいのも、ひとつの神様(万物)のかたちで、
そのひとの人生に必要な肉体が、体系を作っていきます。

もともと波動が軽すぎる場合は、ウエイトをしっかりさせないと
地球を渡り歩けないんだろうな。とか本気で思ってますし、

ひかりが閉ざされてしまうときは、
上にも書いたように即効性のひかりを入れて
バランスを取ろうと働いてくれたりもします。

恥ずかしいことに目が行きがちな太い足も、
ぴったりと、自分の人生を歩かせてくれる一つの形です。
しっかりした肩や二の腕は、これまでいくつもの重荷を
背負ってくれた愛(𝐈)すべきツバサです。

コンプレックスは隠してもいいけれど、
隠したい部分にこそ本質が表れていることを知っていると、

世界はすこし面白くなります。

そして自分だけはひっそりと、このことに気づけて
褒めてあげられていたら、どこになんとおもわれたって、

それだけでいいんです。

◌𓈒𓐍 𓅛 ◌𓈒𓐍 ◌𓈒𓐍 𓅛 ◌𓈒𓐍

さて、日常だった行動に感謝や愛が生まれると、
どんなことになるか分かりますか。

楽しむ。という感情が加わります。

何をしていても/していなくても
楽しくなるのが5次元の生き方です。

まずは、きのこ🍄のおいしい季節です。
きのこの傘の下で守られているつもりで、
今目の前にあることを
ただ、めいっぱい楽しみましょう。

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