期待と愛と2024
他人に期待しがち。
それは自分が他人の期待に応えたいとか、自分が素直な性格だからとか、周りの友人は期待に応えてくれる人が多かったからとか、色々な要因があって構築された思考であるに違いない。
基本的にポジティブに期待を捉えがちだけど、期待を裏切られるような思いをした場合、極端に距離を置く(期待度を下げる)ようなことをしてきたなあ、とも思う。
自分が傷つかないために、それは必要不可欠。
が、自分は単にバカなのかなと思う時もある。
期待に纏わるエトセトラとして、一方的に期待することと、他人からの自分への期待値が読めないことは不安に直結するという最近の気づき。
相手の気持ちに立った場合、期待されないことほど悲しい現実は無い。だが自分の身を守るために「期待しない」という選択をせざるを得ない時もある。悲しい関係だなと思う。
恋愛において、「相手に期待しない」というのは、砂漠をほっつき歩いて突然のオアシスに一喜一憂することだ、という例え話がすごくしっくり来た。飢えるし先行き不安だけど我慢して歩き続ける、みたいな。
可能であれば、「喉乾いた~」「お水あるよ!おいしーね」みたいな支え合いをしながら千夜一夜を共にしたい。
期待されるというのは実に喜ばしく、幸せなことだっていうのを忘れてはいけない。
期待と同義かもしれないが、愛する愛される問題についても。
相手を愛するという気持ちを主体的に向けることは大事だけど、愛される側のキャパとそれを返す余裕が無いと幸せな関係、信頼関係は築けないんだという気づき。
愛って大きければ大きいほど幸せなものであるけど、一方的に与えてしまったらそれはただのエゴになってしまう。難しすぎるよ。
たどり着いた結論としては、良い関係性を続けるには結局会話が必要不可欠かもということ。「私の愛はこのくらい!」「あなたの愛はどのくらい?」と会話で相手のことを知って、理解して、受け止める。これの繰り返しで信頼と安心のある理想の関係構築へと繋がるんだろうな。会話も拒否、理解もなし、「エゴぶつけんなよ」と拒絶されたらおしまい。まあそんな心の狭い人ろくでもないので相手にしないが吉である。
私にとっての愛情表現ってなんだろう。
ちゃんと気持ちを言葉で表し伝えること
素直に誠実に相手と向き合うこと
お金と時間を惜しまず与えること
かなあ。
じゃああの子にとっての、
あの人にとっての、
彼にとっての愛情表現はなんだろうな?
考え出すと心が辛くなる、けど悩むそんな夜があってもいい。
能動的に行動することは愛の本質。
私は好きな人に対しては、諦めずいつだって能動的に愛する事ができる人でありたいな。
私が届けた気持ちが相手に響かず、相手からの気持ちも感じられずになったらそこでおしまい!
おしまいおしまいおしまい!
頑張るぞ、残り3ヶ月どうなるかな2024。