"今の自分で生まれ変わるなら?" から見えた "私にとっての「遊び」とは"
突き抜けそうで突き抜けない。
脱出しそうで脱出しない。
浮上しそうな感覚はありながらも、一歩進んで二歩下がる、一歩進んで波に飲まれる。
そんな感覚のここ数日。
抜け出せないのは何故だろう?と問いを投げたら、何か(過去)に引っ張られているのでは?と返ってきた。
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私は物を捨てるのが大の苦手で、いつか使えそう、まだ使えそう、と大抵のものをとってある。
もう使わないもの/私の中から消えかかっているものも、たくさん溜め込んでいるなぁと思った。
" じゃあ、今の私で生まれ変わるなら? "
𓂋⟢˖⊹ ࣪
思い浮かんだのは身ひとつで街を観察しながら楽しく歩いている様子。
私にとって遊ぶってこういうことか!と繋がった。
⟡.·*.
「遊ぶ」「楽しむ」がひとつのキーワードでありながら、何がそれに当てはまるのかしっくりきていなかった。
「遊ぶ」というと、何かを作ったり誰かと一緒に何かをしたり、そんなことばかりが浮かんでくる。
でも私がそれを楽しんでいるかと言うと、楽しんではいるものの、何かこれじゃない感があったのだ。
でも今日イメージした姿は、私が楽しんでいる姿だった。
1人出待ちを見ながら歩いているだけなのに、とても無邪気で心がルンルンしてて楽しそうだった。
何のしがらみもなく、ただいまここにあるものを見て、そこにあるものに胸を躍らせていた。
これが私にとっての「遊ぶ」なんだなと思った。
世界を観察する。世界を見る。旅をせよ。
何をするではなく、ただただ世界を見る。世界を味わう。世の中には、世界には、こんなものがあるのか〜✨とワクワクしていればそれで良い。
そこに思考も真面目さもなくて、ただ感じたままに味わって、惹き込まれて、ときめいて。それでいいのだ。
それがきっと私がしたいことなのだ。
☽⋰
これまでずっと何かをしないといけないと、何者かにならないといけないと、無意識の領域を含めて思っているところがあって、何も出来ない自分に傷つきガッカリし悲しみ苦しみ、知らぬ間に自己否定していることが多かった。
なぜこんなにも出来ないのか、やりたいと思ったはずなのに、出来ると思ったはずなのに、あと一歩だったはずなのに、そのあと少しが進めない。先が見えていたはずの道に、いきなり大きく分厚い壁が降ってきて断絶されるような感じだった。
どうしてその先に進ませてくれないんだ、と思っていたけれども、その先に進むのではなく、もっと世界を見て楽しむ方に進めと言われていたのかもしれない。
何もしなくていいんだなぁ。きっと。
そこに何があるのか、ワクワク気になることだけ、その気になる!知りたい!やってみたい!が根っこにあることだけやればいい。
もっと身軽でいいんだね。
私がわたしであり、私が私であるためのピースをひとつ見つけた気持ち🧩🎨💫