ロバート・スミッソンについて調べてみた。
引用文献
①筧菜奈子(2016).『めくるめく現代アート イラストで楽しむ世界の作家とキーワード』フィルムアート社
②美術手帖編(2011)『現代アート事典 モダンからコンテンポラリーまで… 世界と日本の現代美術用語集』美術出版社
③美術手帖編集部『美術手帖 2011年 05月号』美術出版社
④美術手帖編集部『美術手帖 2014年 06月号』美術出版社
⑤平倉圭(2019)『かたちは思考する 芸術製作の分析』東京大学出版会
以下の引用文では、文頭に〔①~⑤,引用ページ〕と記して引用元を示す。本文中で太字や色字で強調されている部分は、一括して太字で示した。
引用は項目別でまとめられているが、僕がスミッソンを調べようと思ったきっかけは《パサイックの記念碑》なので、その解説が偏在している。
1.ロバート・スミッソン Robert Smithson
〔①,p.36〕ロバ―ト・スミッソンは広大な屋外空間を舞台とするランド・アートの代表的な作家です。73年に35歳の若さで飛行機事故にあい死去しましたが、その短い活動期間の中で、文明や自然に関する深い知識に基づいた作品制作や批評活動を行いました。(中略)特に重視したのは、未来のある時点で世界は無に還元されるという「エントロピー」の概念です。彼はミニマリズムの彫刻や郊外にある建造中の建築物などを荒廃した未来の記念碑として見出し、写真や文章によって記録しました。
〔③,p.94〕彼の文章で示された、①自然の営みの流動性と文明のはかなさ、②脱境界的体験や思考の器としての不定形な物質や焦点を絞らない視覚の重要性、③自然への弁証法的対立物としての鏡、地図、断片、④ある時代の集団的夢想を表象する「遺跡」としての時代遅れの事物やB級SF映画への関心は、彼の芸術的方法の基盤を形成している。
〔③,p.95〕67年、ニュージャージー州郊外の街パセイックのショッピングモールや建設現場などを訪れ、そこで発見した事物や流行遅れの看板など、破壊と創造を繰り返す都市のプロセスの「記念碑」に見立てて写真に記録し、文章『パサイックの記念碑』とともに『アートフォーラム12月号」に掲載。
〔④,p.21〕自身の出生地、ニュージャージー州パサイックへの旅日記的フォトエッセイ『ニュージャージー、パライックのモニュメント』(1967)では、郊外の街のなんでもない建設現場に「廃墟」を見出し、文明の興亡や自然の破壊と結びつけた。
〔④,p.20〕スミッソンは、ギャラリーや美術館などの文化的「幽閉」やキュレーターという名の「監視員」からの、作品の自由を説いた。彼が目指したのは、展示の場、とくに自然のオープンスペースと観客との関係性のなかで、移りゆく季節や時間もふくめて、ときに不確かで、その意味も常に変化していく弁証法的なアートのあり方を示すことだ。そして、その作品はいずれは朽ちていく。
〔⑤,p.152〕人間を摩滅・衰退・崩壊へと差し向け、そのプロセスを異なる時空間スケールにおいて、文明の廃墟化・種の絶滅・地質学的崩壊に重ねるのがスミッソンの基本的創造力だ。そこには「人間中心主義」への批判とともに、岩石のように風化し「絶滅」する人類というヴィジョンがある。
2.ランド・アート Land Art
〔2〕1960年代以降、美術館・ギャラリーを出て、作品の新たな場所を発見し、大地・海などの自然/屋外空間に展開されていった芸術作品の総称。(中略)美術作品の「内」と「外」という二項対立を超克し、作品が置かれる場と作品そのものとを一致させる目論見が「大地(ランド)」に作家たちを駆り立てた主たる要因の一つであると言えよう。
3.エントロピー Entropy
〔②,p.62〕物や熱の拡散の程度を表すパラメーターである、熱力学の用語。(中略)語義を拡大解釈するならば、ランド・アート全体を説明しうるものであるといえる。ほぼ恒常的に変化のないものであると理解される通常の芸術作品に対し、野外の只中に晒されるランド・アートは、自然の変動に従ってその姿をその姿を変えざるを得ない。
〔③,p.92-93〕★「エントロピーと新しい記念碑」(1996)より
(前略)芸術家たちは、熱力学の第2法則を視覚的に表現している。その法則は、エネルギーは獲得するよりも簡単に失われ、未来のある時点で全宇宙は燃え尽き、すべてを飲み込む無に還元されてしまうというエントロピーの概念を説明するものだった。(中略)「冷たいガラスの箱」と言われ、嘲笑の的となっているパークアベニューの建造物は、エントロピー的気分の蔓延に貢献している。
このような質的価値を持たない建造物は何かであるとしたら、「事実」なのである。こうした「ぱっとしない」とフレイヴィンがいう建築物のおかげで私たちは、「純粋さと理想主義」のお題目から解放された物質的現実をはっきりと知覚することができる。(中略)そのような媚びた価値がはげ落ちていくと、人はしだいに、平板な表面や、凡庸で空虚で冷たく、何も語ろうとしないものが、現代の「現実」なのだと気づく。つまり、エントロピーこそ現代の現実だと気がつくのである。
郊外や衛星都市のつらなりや戦後のベビーブームから生まれた無数の住宅群が、建築におけるエントロピーをつくりだしている。(中略)そうした場所の内部には、カウンターが迷路のように伸び、きちんと積み上げられた商品の山が並んでいる。それらが幾列も並ぶのを体験するうちに、消費者は何を見ているのかも忘れてしまう。気分を落ちこませるような哀愁を堪えたこの内装が、平板で退屈なものについての新しい意識をアートにもたらしたのである。
★(前略)引用は以下を参照(後略)。
*「エントロピーの新しい記念碑」:"Entropy and the New Monuments," Artforum. June 1996.
〔③,p.94〕その後、「エントロピー」は、想像と破壊の中で宙づりになった建築物「脱構築」(de-architecture)の概念に発展し、69年のメキシコ旅行の折に見つけた常に改築と荒廃の狭間にあるホテルの様々な箇所の写真を撮り、スライドショーにした《ホテル・パレンク》(1969-71)や、大量の泥を体積させた廃屋がその重みで崩れる過程を観察させた(中略)《部分的に埋もれた小屋》に反映された。70年に、ユタ州のグレートソルト湖に建設された全長457メートル幅4.5メートルの巨大な堤《スパイラル・ジェティ―》の始源と終末とを融合する渦巻き形や、塩を含み水中の微生物により分解され水没する設計は、エントロピーの究極の表現だった。
4.サイト/ノンサイト Site/Non-site
〔②,p.61〕スミッソンが、自身の作品や論文においてしばしば用いる用語。(中略)前者は作品とそれが展開される大地といった具体的な「場所」を指し、後者は客体としての作品を抽象化する(中略)写真・映像記録あるいは図版が掲載さえる雑誌などのメディアといった「非-場所」を指す。けれどもスミッソンが主張するのは、このような単純な二項対立の図式ではなく、「場所」という概念の両義性である。一見すると対立概念であるかのように見える「場所」と「非-場所」とは、実のところ交換可能な概念でしかない。むしろ、この両者を隔てる「/」という文節線に注目することで、概念の文節の恣意性と概念そのものの両義性を明らかにしようとしているのである。
〔③,p.93〕★「アースワーク――心の体積化」より
もしアートがアートとして存在しようとするのなら、それは境界を持たなくてはならない。そこにどうやって、大海のような境界のなさを体現する「サイト」を内包させることができるのだろうか。私はノン-サイトを考案した。それは、物質的に、サイトの崩壊を内に含んでいる。
★引用は以下を参照(後略)。
*「アースワーク――心の体積化」:"A Sedimentation of the Mind: Earth Projects,"Artforum, September 1968
〔③,p.94〕彼の「記念碑」は、しばしば、「エントロピー」と対になる概念として、作家のある場所への訪問を示す痕跡であり、芸術的器を逸脱する体験の指標として、断片や、時間の中で変化し消滅する「はかない」形をとる。その方法は、68年から制作された「ノンサイト」(Nonsite)という、山や工業地帯などで採取した岩石を、箱に入れたり鏡と組み合わせて、地図や写真とともにギャラリー内に設置し、そこにはない場所の、太古からの生成のプログラムが刻まれた地層を想起させ、すべてを有機的つながりとして見る他視点的感覚(De-differentation)を誘うインスタレーションに代表される。(中略)「はかない記念碑」の典型は、彼の最大のアースワーク《スパイラル・ジェティ―》だろう。それは、ローゼル・ポイントという工業都市の岸壁から太古の海を思わせる赤い湖に着き出すことで土地の神話的背景を想起させ、単一視点では把握できない巨大さによって「境界のないものに包まれる」体験を観客に与え、消失を通して時間の経過を実感させるための装置だった。
5.スパイラル・ジェティー Spiral Jetty
〔④,p.20〕ロバート・スミッソン(1938~1973)はユタ州グレート・ソルトレイク(塩水湖)の北側一部を借り受けた。1970年4月のことだ。3週間のうちに湖岸の岩石と土を重機で掘り起こし、少しずつ土手(ジェティ)を湖に延ばしていく。完成した全長457m、幅約5mもの巨大な渦巻きは、ほどなくして湖面に沈んだが、長きにわたりランド・アートの象徴的な作品となった。
〔④,p.21〕不毛の地となったソルトレイク北岸に、「どこからくるとも、どこへ行くでもない」スパイラルの造営を選んだのは、開発と自然のせめぎ合いを象徴すると同時に、再生の意味も含んだのだろう。(中略)高濃度の塩分から限られたバクテリアしか生きられず、強い赤身を帯びた湖水で、黒い玄武岩に白い塩分の結晶がこべりついた《スパイラル・ジェティ》は、2002年、再び表面に現れた。以降、水位4195フィート以下で湖面に現れ、場合によってはスミッソンが求めたように、ジェティの上を歩くことも可能だ。
〔⑤,p.159〕上空から見ると、《スパイラル・ジェッティ》の南東に、より直線的ではるかに大きい「突堤」の跡があることがわかる。それが(中略)石油採掘の遺構だ。スミッソンが所蔵していた地図によると、(中略)湖岸に沿って断層が走っている。石油は断層を通って滲み出しているのだ。(中略)《スパイラル・ジェッティ》もまた、断層の直上にある(中略)。地質学的破壊と産業の廃墟が重なる場所に、スミッソンの廃墟は選ばれている。
《スパイラル・ジェッティ》のためのスミッソンのドローイングを見ると、ほとんどの場合、螺旋の尾が「湖岸」ではなく、わざわざ車道まで伸ばされているのが分かる(中略)。突堤は車道から流れ出す。車道を通って、廃線になったゴールデンスパイクと石油採掘の遺構の記憶が流れ込み、渦を巻く。
〔⑤,p.161-162〕螺旋突堤の形態は、人間と機械と物質という複数の人間的/非人間的作用者の具体的で段階的な交渉の中から現れた。(中略)テクスト「スパイラル・ジェッティ」は、さらに神話的な形で螺旋の誕生を語り直している。
ピンクがかった浅い水の下には、網状に広がる泥のひび割れがあり、塩
原を構成するジグソーパズルを支えていた。私が見るにつれその場(サ
イト)は地平線まで反響し、ちらつく光が風景全体を震えるように見せ
る間、ただ静止したサイクロンを示した。休止中の自信がはためく静け
さの中へよ広がり、動くことなく回転する感覚へと広がった。この場
(サイト)は、自らを巨大な丸さの中に囲い込むロータリーだった。そ
の渦巻状に旋回するう空間から、《スパイラル・ジェッティ》の可能性
は現れた。
(中略)説明されようとしているのは、客観的物質としての大地と、震動し回転する主観的感覚との関係だ。テクアウトでは、見る「私」の回転の感覚と、大地の回転との区別が消えている。主‐客の区別ができなくなる目眩状の場(サイト)から、螺旋ダイアグラムは現れる。
おわりに
〔②,p.63〕には、ランド・アートを深掘りするためのブックガイドとして、ジェフリー・カストナー編 宮本俊夫訳(2005)『ランドアートと環境アート』ファイドン、ジョン・バーズレイ編 三谷徹訳(1993)『アースワークの地平―環境芸術から都市空間まで』鹿島出版会、ジェイムズ・ワインズ著 大島哲蔵・三善庸隆共訳(1992)『デ・アーキテクチュア―脱構築としての建築』が挙げられている。
美術思潮のコンテクストや、スミンソンの生涯、他の主要作品などの説明を省いたため、極めて断片的な説明に留まっている。スミッソンや彼の作品については、このサイトでかなり詳しく紹介されていそうだ。《スパイラル・ジェティ―》以外の作品は、日本語名で検索してもなかなか画像が出てこない。
Spiral Jetty《スパイラル・ジェティー》
Partically buried woodshed《部分的に埋もれた小屋》
The monuments of Passaic《パサイックの記念碑》
Floating island《マンハッタンを周遊する浮島》
などの英語名で、検索エンジンやSNSなどで検索してみてほしい。動画もありそうだ。以上の作品名には、先に紹介したサイトのリンクを貼りつけておいた。(《パサイックの記念碑》については、このような サイトも参考になるだろうか)。
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