㊗️母語の日おめでとうございます㊗️
みなさん、国際母語デーおめでとうございます。2月21日は母語の日です。
母語は私たちの思考の原点であり、文化や個人のアイデンティティーの源です。
掲載したポスター画像はエスペラント語で書かれたものです。「誰しもの第二言語」をかかげるエスペラント語の国際機関では、世界中のエスペラント語をしゃべれる人の協力を得て、様々な言語で「母語の日」をプロモートしています。
世の中には「幸福なポリグロット」と「悲しいポリグロット」がいると思っています。前者は教育を通して、あるいは自主的な勉強などで後天的、あるいは同時期に複数の言葉をしゃべれるようになり、言葉をたくさん運用できることを自分の人生にとって、アドバンテージになると感じている人のことです。例えば、スイスや北欧の知り合いはこのパターンの多言語話者が多いです。
「悲しいポリグロット」は勉強などで後天的、あるいは同時期に複数の言葉をしゃべれるようになったという点で「幸福なポリグロット」と同じですが、社会やより上位の共同体からの圧力・強制により複数の言葉を運用せざる得ない人で、かつその状態をネガティブにとらえている人たちです。
世の中には特定の言葉をしゃべるだけで「不穏分子」、「分離主義」や「テロリスト」などのレッテルを貼られてしまう環境も、国によっては存在しています。ときには「そんな言葉を使うな」と罵られたり、悪い人たちにつれていかれて体罰や拷問されることもあります。中東〜中央アジアでこのような経験を持つ人がいます。
ところで、日本は「家庭」「社会」「国語/公用語」の言語の関係に、ある程度の一貫性があります。
たいていの人はこの三つの領域に「日本語」が当てはまると思います。典型的なモノリンガルタイプの環境です。方言をどう扱うかは議論があるかと思いますが、大まかに考えると次のようになるでしょう:
「日本語」ー「日本語」ー「日本語」
最近ではいわゆるダブル(ハーフ)の人たちの活躍で、この関係は変わりつつあると思います。
🇵🇰私の知り合いの日本人とパキスタン人のご家庭では次のようです:
「日本語/英語/ウルドゥー語」ー「日本語」ー「日本語」
でも、例えばウズベキスタンに住んでいるタジク人の関係は、私たちのように均一ではありません。
「タジク語」ー「ロシア語/ウズベク語」ー「ウズベク語」
ここにモスクで祈祷に使う「アラビア語」を含めると、四つの領域で異なる言語を使わないといけない可能性がある状態になります。
少数言語の場合は上の例に似ています。例えば、フィンランドの北部のロヴァニエミからバスで北上して行くと北極圏に入ります。そして、ソダンキュラという小さな町でバスを乗り換えて、さらに北上すると、サーミ人の町「イナリ」があります。
※"Siida":イナリ にあるサーミ文化博物館・自然センター
そこに住む全ての人がそうではないと思いますが、サーミ語を基点とすると、次のようになるでしょう。
「サーミ語」ー「フィンランド語」ー「フィンランド語/スウェーデン語」
「幸福なポリグロット」は生来の環境にで複数の言語を教えられたり、自発的に勉強して、多言語の話者になり、それが自分の人生をより豊かにしてくれると感じている人たちだと上で申し上げました。
しかし、大切なのは複数の言葉をしゃべれることが、必ずしも幸福に結びついてない人も存在していると気づくことです。そして「悲しいポリグロット」の人をどうやって助けられるか、そのストレスはどのように軽減できるのか、考えてみることです。
「もし自分のことばの権利を誰かにうばわれたら...?」
母語の日はそのような言葉の関係を考えたり、「悲しいポリグロット」の人たちのことを学ぶいい機会です。「幸福なポリグロット」な人が「悲しいポリグロット」の人の母語を学んで話し合うことができれば、少しでも「悲しいポリグロット」の人をしあわせにできます。言葉を学ぶことで、人をしあわせにできるきっかけができます。
まだまだ寒い日が続きますが、こころだけは暖かく生きましょう。
もうすぐ春です。🌸
チェーリオ