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令和5年度 東京都立西高校 推薦入試 作文 解答例
冬になり素裸となった木のありさまには、葉というかつては自分の一部であったものの喪失を見てとれる。したがって、冬の木の姿がどこか物悲しく、自身の一部を失った不幸なもののあり方を象徴しているように思われる。しかし、このことばはそうした木のあり方が不幸ではないと否定する。それでは、自身の一部であったものを失った存在が、不幸ではないといわれるのはなぜだろうか。
人が思い出の品を大切にするのは、それが想起させる自身の記憶や思い出が、自身を構成する一部であるからだと考える。私にも祖父から誕生日のお祝いとしてもらった綺麗なガラスのコップが祖父との大切な思い出の品としてあった。しかし、あるときこのコップを壊してしまい、捨てなくてはならなくなった。祖父はすでに亡くなり、さらにコップも失ってしまい悲しくなったものの、私はこうした喪失が不幸だとは思わない。なぜなら、祖父との思い出やつながりが失われたわけではないからだ。
木が葉を失うことを不幸ではないといわれるのは、葉が落ちて養分となって木を養い、木の一部となるからだと考える。私も祖父や祖父との思い出の象徴であるコップを失ったけれども、祖父と過ごした幸せな時間は大切な私の記憶であり、今の私やこれからの私を作る一部である。以上より、このことばから私が考えたことは、失われたものを糧にして人も木も生きていくということである。(580字)