都立西高校推薦作文問題の極意
都立西高校の推薦には作文が課されている。
(問題については、こちらを見てほしい。)
問題文には、著名な哲学者や科学者、文学者等の一般性&抽象性が
高い言説が毎年出題される。
都立西高校の作文の極意は、
それらの言説を
どのように「解釈する」のか、
この一点にかかっている。
「解釈する」とはどういうことだろうか。
解釈とは、他者から与えられた表現(この表現は言葉にとどまらない。詩や俳句や、音楽や映画等、表現されたものは、それが表現されたものである限り、解釈の可能性を備えている。)を、受け手の側で理解し、説明することだ。(したがって、解釈とはその表現に秘められた新たな意味や価値を見い出す創造的な行為でもある。)
要するに、与えられた表現から、
君が何を考えるのか、
あるいは考えるべきなのかが重要な点になってくる。
たとえば、
「生きるということは、何かとかかわり合うことである。」
という言葉が与えられたとしよう。この言葉を君はどのように解釈するだろうか。すなわち、
この言葉から君はどんなことを考えるだろうか。
ためしに、この言葉を解釈してみよう。
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一見すると、この言明はさほど特別なことを言っているようには見えない。というのも、われわれは、物を食べたり、花の匂いをかいだり、人と会話をしたりする。あるいは、音楽を聴いたり、犬をなでたり、映画を見たりする。何かを好きになり、誰かに恋をし、何かを願い、何かを祈る。つまり、何かをするときには、われわれはつねに必ず何かとかかわっている。ことさら声高に叫ばなくとも、われわれはごく日常的に何かとかかわり合っている。したがって、何かとかかわり合うことは、生きることについての特別な特徴ではないように思えてしまう。しかしながら、何かとかかわり合っていなければ、われわれは生きていくことができないことも事実だ。物を食べなければ死んでしまうだろう。光がなければ見ることはできないだろう。重力がなければ地に足をつけて歩くこともできない。だから、われわれは、あらゆるものとかかわり合うことによってはじめて生きることができるのである。こうして、生きるということは、何かとかかわり合うことなのである。以上より、この言葉は、生きる上でもろもろの存在が他の様々な事物とのかかわりを必要とすることを表現していると考えられる。
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これが解釈だ。
現行の教育制度のなかにある中学生が解釈をする機会はあまりないだろう。各科目、学校の先生の授業や教科書は、それぞれの意味や内容を持っている。生徒に求められているのは、その理解や応用だ。解釈は求められていない。国語の授業でさえ、文章の一定の読み方や汲むべき意味が先生から教えられているはずだ。「僕や私なら、この文章をこう読む!このように解釈する!」なんてことを説明することもほとんどないだろう。
しかし、都立西高校は、君たちのほとんど訓練したことがない
「解釈」を受験生に課すのだ。
このレヴェルの高さがわかってもらえるだろうか。都立西高校の問題は、様々な解釈の可能性がある言説を出題する。
この言説に対して、
「わたしは、このことばを だと考える。」という
自分なりの解釈を提示しなければならない。
そしてまた、この解釈が妥当なものであることも、自分の体験や具体例を挙げて論じる必要がある。
解釈をするには、
さまざまな考え方やアイデアが必要だ。
解答を作成するにあたって、課題文から何を考えるべきか。
【哲学博士による都立推薦小論文道場】では、まずはこの考え方やアイデアを受験生に叩き込んでいく。推薦入試において、ラッキーで受かったなんてもう言わせない。「格」に見「合」った力を確実に身に着けてもらう。
雄飛教育グループ 潜龍舎 プロデュース
【哲学博士による都立推薦小論文道場】
代表 佐藤陽祐
(https://senryushadoctoressay.hatenablog.com/)
【お問い合わせ先】
dr.sato.suisen.shoron@gmail.com (代表佐藤メールアドレス)
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