![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/93860216/rectangle_large_type_2_6a05ab1838b7824bd6370b18e307e71d.jpeg?width=1200)
2022年度 早稲田大学 スポーツ科学部 自己推薦入試 小論文 模範解答
【オンライン指導 個別指導 添削指導】総合型選抜(AO入試)/学校推薦型選抜(推薦入試)・小論文対策専門塾・予備校 『潜龍舎』
スポーツにおける最大の矛盾として、私は、オリンピックのあり方を挙げる。近代オリンピックは世界最大のスポーツの祭典であり、スポーツを通した人間の生き方の向上や、人類の平和、人間の尊厳といったものの実現を目的とするものである。実際、国際オリンピック委員会によって採択されているオリンピック憲章においても、こうした理念が明記されている。くわえて、この憲章には、競技会場などオリンピック関連区域においていかなる種類の政治的、宗教的、人種的な宣伝も許可されないことが述べられており、その中立性が強調されている。
しかし他方で、1984年のロサンゼルス大会以来、現代のオリンピックは収益増加や経済効果を前面に出す商業主義によって運営され、スポンサー料や大会の放映権料などの上昇も続いている。こうしたなかで、放送技術の発展も相まって、放映権の価値は高くなる一方であり、放映権料による収入は大会運営に不可欠な資金源となっている。2021年に開催された東京オリンピックが競技環境として最適とは言えない真夏におこなわれたのも、この時期が米国のテレビ局のオフシーズンにあたるため、放映権料の高騰が期待されたことが一因である。このように、かつては参加することに意義のあるものだったオリンピックは、現在では巨大スポンサーによる巨額の資金なしには成り立たなくなっている。
さらに、中立性を謳うオリンピックが安易なナショナリズムに利用されるという問題も生じている。たとえば、大会の招致に際しては、国同士の熾烈な招致合戦が繰り広げられ、自国での開催が国威発揚に利用される。また、自国の代表が参加・出場している様子がメディアを通じて日々知らされることで、国民は自国への愛着と帰属意識、および一体感を味わうことになる。もちろん、自国代表の活躍に喜びを感じるのはある程度自然なことだが、時にはそれが、他国人に対する優越意識や排外意識の温床になることもまた事実である。こうして、いかなる種類のプロパガンダも許可されないはずのオリンピックが、ナショナリズムを助長するという矛盾が生じている。
こうした過度な商業主義とナショナリズムへの転用を抑制し、アスリート同士の切磋琢磨を通してスポーツの素晴らしさを共有するという原点の精神をいかにして取り戻すかが、真剣に議論されるべきであると考える。(964字)