2020年度 早稲田大学 スポーツ科学部 一般入試 小論文 模範解答

 科学とは疑うことである。というのも科学的探究には、ある現象や方法についての経験に基づいた通説に対して、通説が真か否かを疑い、現象や方法の背後にある理論や理屈の存在があるのではないかと考え、仮説を立てるところから始まる側面があると考えるからだ。たとえば、スポーツの分野においても、スポーツ経験者などの経験則に従ってかつては有効であるとされていたトレーニング方法が疑われ、科学的検証の結果、運動能力や技術の向上に効果がないことが明らかとなり、現在では行われなくなる例が見られる。したがって、こうした科学的探究の前提には、われわれの経験則に従った方法は本当に正しいのかという「疑い」があるといえる。
 また、科学は万能ではないため、科学技術の運用については疑いを持ったり、批判的な観点を備える必要性があることを、われわれは東日本大震災に伴う原子力発電所の事故から学んだといえる。というのも、かつて原子力はクリーンかつ安全なエネルギー源であると喧伝され、少数の原発反対論者もいたものの、国民の大半が政府や電力会社の説明を疑うこともなく原子力という科学技術を運用することを容認してきた過去があるからだ。それゆえ、科学とは疑うことであるというのは、疑いをもたずに科学技術を運用してきた私たちに対する警句であるともいえる。
 以上より、科学において重要なのは「本当にそうであるのか」という疑いを持つことであるといえる。したがって、「科学は疑うことである」という言葉は、権威や常識に従うのではなく、理性を用いて事物のあり方や現象を「疑う」ことから科学は始まるという意味に解釈できると考える。それゆえ、科学的探究には、「疑う」という理性の力に加えて、ときには勇気も必要になると考える。というのも、大多数の者が当然のように受け入れている事柄や現象について、「本当はそうではないのではないか」という疑いを持ち、科学的探究を行うことには、自分が誤っている可能性や立証ができない可能性に伴う不安がつきまとうからだ。それゆえ、科学的探究には疑う理性の力とともに不安に打ち勝つ勇気や胆力も必要となると考える。(891字)

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