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特別な人はいない

アメリカのクマ愛好家、ティモシー・トレッドウェル(Timothy Treadwell、1957年~2003年)

ティモシーはアラスカの国立公園で10年以上グリズリーやヒグマと一緒に生活し、熊保護団体を設立したり、ドキュメンタリー映画の撮影をしていました。

2001年頃にはメディアでも注目を集め、ディスカバリーチャンネルなどいくつものテレビ番組に出演したり、熊について教えるため米国中の小学校を回ったりしていたようです。

しかし13年目の2003年10月、恋人のエイミー・ヒュグナードと一緒にキャンプ地にいたところをヒグマに襲われ、2人とも亡くなってしまいます。

彼はたくさんのビデオテープを残していたので「グリズリーマン」として映画化され、いくつかの賞も受賞しています。映画の中では実際にティモシーが撮影した動画を見ることができます。

しかしなぜ、ティモシーは悲劇的な事故を回避できなかったのでしょうか?やはり一瞬の油断が死を招いてしまったのでしょうか?

実は、ほぼ完全に起こるべくして起こった事故のようです。アラスカの生態研究者のトム・スミスは「それは悲劇的ですが、簡単に予想できました」とコメントしています。

  1. 彼は国立公園のあらゆる規則を破っていた。…国立公園局によれば、訪問者とガイドとのトラブル、不適切な食料の保管、無免許での観光案内など、少なくとも6つの違反が確認されていた。クマまでの距離が近すぎる事や野生生物への干渉も問題視されています。

  2. 彼は周囲からの警告を無視し続けた。…国立公園局はティモシーが活動を始めた当初から彼に懸念を表明し、繰り返し警告を与えていた。彼は10年来の友人のクマ研究家からのアドバイスも聞き入れませんでした。

  3. 彼はクマ撃退用スプレーを持つことを拒否した。…ティモシーは一度だけクマ用の唐辛子スプレーを使ったことがありましたが、熊の反応を見て気の毒に思い、その後はスプレーを持つことを拒否しています。キャンプ地の周りに使う電気柵も使用しませんでした。調査によるとクマ撃退用スプレーは銃で撃つよりもかなり効果的であることがわかっています。

ティモシーが警告を聞き入れていれば、おそらく事故は避けられていたはずと言わざるをえません。

事故の直前には一週間滞在を延長して危険な位置にキャンプをし、明らかに空腹の見知らぬクマを撮影していていたようです。この年はエサが不足していました。

彼の死後にインタビューを受けたティモシーを知る人々もほとんどは好意的とは言えず、自業自得であるという話や、彼はクマを傷つけたというような手厳しい意見が多くされています。警告し続けていた国立公園局にしても、85年の歴史の中でクマに殺された最初の事件となってしまったようです。


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