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オブジェが語りはじめると フィリップ・パレーノ展 @ ワタリウム美術館 鑑賞メモ
3月の上旬だったか、ワタリウム美術館のフィリップ・パレーノ展にでかけてきた。まだ、この時は、そこまで新型コロナ禍が大きくなかったような気がする。未来のことは誰にもわからないのだね。
展覧会は3フロアを使っている。エレベーターで2階から4階まで、順番に巡回していく。
展覧会ポスターのメインビジュアルにも使われている雪だるま、知らなかったら、これが何かが分からない。
写真で見ると、アクリルのオブジェのように見えるけれど、水琴窟のように水のしたたる音が響いている。恐らく、増幅されている音だと思うけど、管を通して耳をつけて聞く水琴窟と同じ音がした気がする。
周りに転がっている石はインスタレーションではなくて、雪だるまの目や鼻やボタンを表していたもの。氷が解けてしまったら、そうした役割は無くなってしまう。この石がそうした役割を与えられていたことを知っているから、時間の経過とともに溶けて落ちた石なのだろうと分かるけれど、知らなかったらインスタレーションだと思うだろう。実際、初見では気が付かなかった。後から、この石は雪だるまの一部だったんだと気が付き、これを「わかる」という感覚を得た。でもね、ひょっとしたら雪だるまの融解にあわせて石を配置しているのかもしれない。氷が溶けるスピードは認識することができるけれども、目で見ることはできない。石が落ちたかどうかは、推測するしかない。
時計ではない、時の流れ。
とはいえ、水の音は尋常ではない量の氷が溶けていることを想起させた。そこから温暖化問題だったり、実は岩石は微細な振動をしていることだったり、思いがいろいろと飛躍する。
雪だるまと対向するように配置された作品。石は話をするし、ライトは明滅を繰り返す。
3階のマーキー。
これらのオブジェは、ワタリウム美術館の外の環境に呼応するという。気圧、天候、明るさなど、外界の刺激に反応する。そして、オブジェの反応が、他のオブジェへも影響を与えて、それがループしていく。
ちょっとずつの差異、それは美術館の周りの環境から影響されるもの。でも、しばらく観察していても、いくつかのパターンしか見いだせない、ちょっとした差異。それがループしていく。時たま大音量で共鳴しあったり、電源切れたかなと思うほどの静寂になったり。
人がわかるということは、その環境に身を投じて、経験を積んでいき、整理していくということ。実は自分が身を置いている環境は様々な違いがある。それを認知していないだけ。このオブジェは、そうした感覚を刺激するモノ達だと感じた。
やはり後から知ったのだけど、フィリップ・パレーノとピエール・ユイグはコラボなどもしている間柄、岡山芸術交流でのアーティスト同士の響きあいに似た感情が、ここにもあると思った。
フィリップ・パレーノ展では、彼一人の作品の展示だけど、制作年が実に幅がある。時間を経ることで、一人なんだけど複数の感じがあって、それが、岡山芸術交流の感覚に接続したのだろうと思う。
それを踏まえて、もう一度、岡山での交流鑑賞を振り返ると、あれは、生命を表現していたことなんだと、ビビっときた。それは生命を写しているのではなく、生命を表現している。生物と無生物という対立ではなくて、融合というわけでもなくて、「境界を引いているのは何でだっけ?」みたいなメッセージだろうか。
ここに人工生命が重なった。
修士論文の研究の方向性が決まった感じがする。
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