研究の方向性 その1
大学院入学前、デザイン思考に関する問題意識を持っていた。アート思考という言葉もできはじめていた。2000年代はロジカル思考が全盛だったよな、なんて思う。
VUCAの時代、先の見通しがつかない中で、世界が溺れているような、そんな印象がある。かなり大きなパラダイムシフトに直面している。そうした社会に対して何がどうなっているのか、問いを投げかける役割、そこにアートの可能性があるのではないか、そう思ったのが現代アートを学ぼうと思った理由のひとつ。
入学と同じくらいの時期に始まったプロジェクトは、デスマーチプロジェクト、怒声飛び交うプロジェクトルームで、斜陽産業に対するコンサルティングを行っていた。どちらも強力なストレス。
かつては業界でもトップクラスのクライアント、いまでも業界の中では、五指に入るのだけど、業界全体が傾いている。その環境の中で、一緒に沈み込んでいる。
そんなプロジェクトで激務をしているとき、現代アートの難解さに溺れる。加えて、プライベートでも大きなアクシデントが起こる。泣きっ面に蜂。
そんな中で見たボルタンスキーが転機になったのでしょうね。
ボルタンスキーを鑑賞する以前は、網膜的な刺激で満足していた。
思えばファッション系ECサイトは、網膜的な注意をいかに引くかに注力してきた。そのために、ブランド間での同質化を起こし、消費者から「買いたい服がない」という意見を突きつけられている。
恐らく、僕がボルタンスキー以前に見た展覧会についても意味があったと思う。教授の指導もあったのだけど、ともかくアート漬けということと、アートを学ぶスタートラインが良かった。
僕は学部でアートを学んでいたわけではないから、ともかくがむしゃらにやってきたように思う。
ボルタンスキーを見て感じたこと。それは、自分の奥底にあった感情をサルベージし、提示してくれたこと。
これこそ現代アートの魅力だと思う。
修士課程の研究テーマを提示する時期にきた。
研究の方向性。アートマーケットを紐解くか、ブロックチェーンや、デジタルテクノロジーが現代アートに与えた影響を論文にしようかと考えていた。
ところが、K先輩から提示されたデカルトからベイトソンが研究の方向性のヒントをくれた。
産業革命によって科学と技術が結びついて、イノベーションという言葉を生み出した。そこからアートと技術が疎遠になってしまった。世界の魔術がとけてしまったということ。
このあたりを研究テーマにしよう。
認知科学をかじっていたことがあり、アーティストが提示するモノの見方というものに興味を持った。認知科学領域で、僕が勉強していたのは記憶のしくみ。90年代頃の人工知能ブームの際に学んでいたもの。
人の脳の構造を再現すれば、そこに知能が宿るのか?
そんなことを思い描きながら勉強していた。脳科学などにも寄り道して、脳の構造やら、記憶の仕組みやら、学習の仕組みを勉強していたのだけど、その時に脳の構造を模倣したとしても、それは模型。モデルでしかないと結論づけた。
今の人工知能ブームは機械学習によるもの。ゲーム産業の成功により、チップの性能が上がり、加えて統計アルゴリズムの進化も重なったということなんだけど、その話は、また別の機会にnote に書こうと思う。
そうして拡張された知能は人の仕事の一部を担うようになった。それは日々発生する大量のデータを分析するということ。
例えば望遠鏡の進化により、1日に収集される宇宙の観測データは、すでに人による分析の限界を超えているという。ここに人工知能の利用の可能性がある。人工知能に分析を任せる。これは宇宙の観測に限った話ではなくて、観測情報からの推論、理論の重ね合わせなどを人工知能が担っていく。科学が人の手から離れていくということだ。
そうしたら技術はどうする。
そこに技術とアートの再接続、そこからの再魔術化があるだろうと考える。そうした事例なり、アーティストなりを研究したいと提示した。
つづく