アイデンティティ、キャラクターとペルソナあるいはアバター
アイデンティティ。自分を表すもの、他人との識別。企業にとってはブランドだろうか。
本業のラップトップにログインする際に、"Verify your identity"という表記を見て、まじまじと考え込んでしまった。この場合、ユーザーIDとパスワードを入力するけど(そもそもユーザーIDのIDってIdentityだな)、今までは軽く通り過ごしていた。最近はユーザーIDという言い方の方が一般的になってきたけど、昔は(今でも)アカウントとかアカウントIDとか呼んでいた。アカウントとは、口座のこと、お金に関することを取り扱う。これはコンピュータが高価だったときの名残で、消費した計算機能力が、誰が実行した処理なのかをアカウントに紐づけておくために用いられた。情報システム部門が、その膨大なコストの言い訳とした方便として発生したと聞くけど、本当のところは分からない。ただ、アカウントが口座ということと、口座別に、どれだけリソースを消費したのかという情報は、今でも主要なOS(オペレーティング・システム)に記録されているし、Webのサービスはユーザーのことをアカウントと呼んでいたりする。
Facebookの「ログイン」ボタンの下に”アカウント”と表記
Facebookは無料で使えるはずなのに、アカウントという言葉を使っているのはユーザーが金をもたらすものと無意識的に考えているから、それぞれの口座の価値を計測するためだ。なんて言ったら、穿った見方だろうか。
データが金になり、データによって争いが起こるというのは、『ポスト・モダンの条件』に指摘されていた。
個人情報を巡る争いは、EUの大型訴訟がGoogleなどを相手取った罰金だったり、アメリカを始めとする諸国のTikTok排除にもみられる。如何に情報を集めるかということで争いを起こしている。集めたデータを投資対効果高く、手軽に分析、アウトプットのためのアルゴリズムの開発などが伸展した結果だろう。思えば、IBMの大型汎用機によって給与計算が実行されたとき、企業の巨大化の条件が整ったのかもしれない。
コンピューターの中にあるアイデンティティ、自分の出生地、誕生日、友人、学歴、移動歴、写真、いいねをした内容、リツイートをした支持の表明、大学のレポート、なにげない日常のつぶやき、仕事で送らなくてはならない書類、ほとんど全部がクラウドにある。クラウドに分散しているから、会社を跨いでの情報収集なんて無いでしょう、数十億人のデータ分析なんて現実的ではない、自分の情報なんて、大した値打ちもない。大抵の人は、そんな風に考えていると思う。実際に、個々人のデータは、それほど重要でもないだろう。
マーケティング・テック大手のオラクルとセールスフォースがEUから提訴された。どちらもアメリカの巨大IT企業(IT企業というと範囲が広すぎるけれど、他の言葉も見つからない)、様々なWebサービスを横断して広告のための追跡情報を収集していたという。
両社ともに買収企業が収集していたマーケティング・オートメーションのサービスが収集していたトラッキング情報が問題になっているらしい。僕は、むしろ、こちら側(IT会社側)の人間なので、仕事がやりづらくなったなぁ、なんてのんきに考えたりもする。
EUのGDPR では、忘れられる権利としてIDの削除を収集した事業者に要求することができる。そうして要求されたデータは、上記のようなトラッキング情報からも削除しなくてはならない。もし削除されずに、分析に使われたことが(難しいけど)証明されたら、莫大な罰金が科せられる可能性がある。日本の個人情報保護法も同じような条文があり、利用者からの要求があったら、その人の個人情報はもとより、データウェアハウスに分析用に投げ込んだデータも対象になる。ただ、日本の場合、匿名化することで、データ活用を推進しようという方針もあり、実際のところは弁護士に確認、相談することになる。
ふと疑問に思ったのは、機械学習の学習データは、どうなるのだろうかということ。既に学習済みのデータは、削除しようがないのではないかな。
アイデンティティは、自分を語る物語。幼少期から成長した来歴と、今を表す諸々のこと。ファッションもそのひとつ。ネット化した社会では、アバターもアイデンティティのひとつ。
歌い手として、架空のキャラクターをデビューさせてみた。
名前と顔とSNSのアカウントを与えた。実在しない人物。ボーカロイドの曲を肉声で歌う。
これはアバターなのだろうか。それともアイデンティティの一部だろうか。そのキャラクターを素で演じれば、それはアバターであるだろうし、ネットに出現した個別な存在とも取れる。
ネットとリアルが、高度に結合された世界。それぞれの環世界があって、それらが交差する。多重に生成されたペルソナが、それぞれの世界で活躍する。そこに追加するキャラクター、これが、アイデンティティにどのような影響を与えるのだろうか。
スマホが橋渡し、デジタル・ネイティブ(こういう言い方も、最早違うと思う。)にとっては、ネットとリアルが結合しているわけだから、スマホが無かったら体の一部が失われたような感じになる。様々な形のコミュニティにあって、被り分けるペルソナ。キャラクターの奥にある世界を知らない鑑賞者は、そのキャラクターとふれあい、何を思うのか。むしろ、分身としてのキャラクターがビビッドな世界に解き放たれるのではないだろうか。
どこまでがフィクションか。
もしかしたら、ビッグ・データによる生活者の動態というのが、途方もないフィクションなのかもしれない。
時流を読む。風を読む。選挙特番で見かけるキーワード、街頭で勢いというか、そうしたものを見て、感じたものだと思う。当選した議員も落選した議員も、そうした空気を感じた的なコメントをしている。それって目に見えないよね、肌感とか、空気を読むとか、そうした言葉で回収されてもね。
ネットの中でも同じことで、ネットの中の空気というか、うねりのようなもの。ネットを体の一部としている人達は、そうした空気を感じ取る。脳内に作られる世界。その世界侵略において、テック企業が牛耳れる。デジタルに構築された世界は、即座に共有され、再利用され、計算される。デジタルの波を読むための技術が構築されたということ。ネットのフィクションがリアルに侵食してくる。
アメリカの大統領選挙、これが、いよいよ世論を読む先として接続するのだろう。そうしたネット経済あるいは世界を正しく認識できているだろうか。テック・ジャイアントとしてのGAFA、中国のBAT。GAFA はともかくとして、BAT は中国国内だけに留まらず、世界中に浸透しはじめた。中国政府が情報収集するからTikTokはダメとするならば、YouTube はいいのだろうか。
情報を巡る争い。もう少しリオタールを深くあたってみようかな。任天堂って、もっと可能性があると思うの。。。