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【役員インタビューvol.1】子育てNPOで育んだ原体験~市川望美さん(前編)

Polarisは現在13期目。全国津々浦々、約200名のメンバーが業務委託で働いています。組織が大きくなってきた今、Polarisの5人の役員がPolarisとどのように出会い、Polarisをつくってきたのか、改めてインタビューを行いました。

1人目は、Polarisの創業者、市川望美さん。
前編となる本記事では、Polarisを創業するまでの経緯について伺いました。


小さな活動が、国を動かした

――Polaris設立のきっかけを教えてください。

望美(以下、省略):直接のきっかけは、2010年12月に内閣府のビジネスプランコンペに採択されたこと。140万円の資金と共に、1年間の伴走が着くというプログラムでした。

――どうして内閣府のコンペに出ることにしたのですか?

利用者として通っていた子育てひろばが、国の制度になっていくのを間近で見ていたんです。お母さんたちの小さな活動が国を動かしたことに感動して、Polarisは最初からスケール志向で行こう、と決めていました。

――“子育てひろばが国の制度になった”とはどういうことですか?

今は子育ての当事者たちがつくる活動っていろいろありますが、今から20年ぐらい前はまだ珍しかったんですよね。お母さんと子どもの集まる場と言えば、行政から提供されるものがほとんど。

そんな時代に、私が通っていた子育てひろばは、保育園の2階を借りて、自分たちが欲しい場所を、自分たちでつくっていたんです。まさに、子育てひろばの先駆け的存在でした。

そこの設立メンバーが、政治家や行政との繋がりをなんとかつくって、視察に来てもらい、当事者自身がつくる場の大切さを訴えるということを、ずっとやられていたんです。国の制度になるまで10年ぐらい掛かったと思います。(現在、子育てひろばは厚生労働省の「地域子育て支援事業」になっています。)

お母さんたちがつくるささやかな活動が、同じ思いを持つ全国の人と繋がって、最後は国を動かすってすごいことですよね。内閣府のコンペに出たのは、こうした光景を見ていたことが大きいですね。

企業の伴走支援サービスCoHanaの前身の事業に「セタガヤ庶務部」という名前をつけたのも、〇〇庶務部というのを全国につくりたいと考えていたからです。

みんなで、自分が望む働き方を世の中に提案していきたいという思いが、「未来におけるあたりまえのはたらき方をつくる」というミッションに繋がっています。

インタビューはメンバー向けに公開収録で行いました。

仲間とつくりあった自分にできること

――子育てひろばでの経験が原体験になっているんですね。最初は利用者だったけど、運営にも携わっていたと聞きました。

はい。自分たちでつくることを大切にしていたので、参加していると自然に手伝うようになるんです。

私は、出産前はIT企業に勤務していてパソコンが使えたので、事務仕事をいろいろ手伝っていました。FAXのヘッダーをワードで作ったり、アンケートをエクセルに入力したり、HP更新をしたり。自分が得意なことで価値を提供していたんです。

でも“ひろば”では、得意なこと以外も頼まれてしまうんですよ。あるとき、子どもの保育を頼まれたのですが、自分も0歳児を連れているし、今までやったことがない。それでもやってみると、意外と嫌じゃなかったんですね。

自分ができることって、自分で考えているだけじゃわからない。自分ができることだけやっていると、選択肢は増えないんだと、そのとき気づきました。選択肢を増やすには、誰かに引っ張ってもらうという方法もあるんですよね。

こうして巻き込まれているうちに、気づいたらスタッフになっていた という感じです。

――そこから子育てひろばの運営母体であるNPOの理事まで務められたんですよね。

しばらくは子連れで手伝いながら、自分の人生で次にやりたいことを探してみようと思っていました。

だけど、スタッフとしてやりがいを見出してきていることに気づいて、「これを職業としたい。しっかり続けていきたい。この活動を広げていきたい」と思って、NPOの理事を引き受けることに。このときは腹をくくって、子どもを保育園に預けることを決めました。

今の事業の種まきは、NPO時代

――そこからどのように、Polarisの設立に繋がったのでしょうか。

「子育てひろばが厚労省の制度になった」ということは、子育てひろばで活躍する人たちに報酬が出るようになったということなんです。当時は、私のように、出産や育児で離職する人が多かった頃。そんなときに、子育てしながら働ける場をつくった価値はとても大きいものでした。

でも、みんながみんな、子育て支援をやりたいわけじゃない。私も助産師や保育士の資格をとろうと考えたこともありましたが、IT企業での企画系の仕事やバックオフィス業務も好きでした。子育て支援以外の一般的な仕事でも、育児中の女性が活躍できるようにしたい。Polaris設立前の時期は、そんな風に考えていました。

――そう思うようになったきっかけは?

私は、母親でもそうでなくても、一人ひとりが自分自身の生き方を考える場をつくりたかったんです。

子育てひろばでは、親子向けのイベントだけでなく、働き方に関する講座やお話会も開催していました。たとえば、Polarisが創業以来続けている「子どものいる暮らしの中ではたらくを考える座談会」。それに近いもので、ポーラースタープロジェクトという名前で、ライフプランニングを考える事業をやっていました。

ほかに起業講座もやりました。当時はまだ在宅でできる仕事は少なく、地域で仕事をつくるというと、ベビーマッサージやフラワーアレンジメントなどのサロン系が中心でした。私もカラーセラピストとしても活動していました。

そこで、自分起点で小さくてもやってみようと、世田谷区産業振興公社の委託を受けて、「ベイビーステップ」という地域起業の講座を開催したんです。下北沢のコミュニティカフェで講座をやって、それをマルシェにしたりね。Polarisのおうち起業講座でもやっていたようなことです。

そのときの卒業生が、今では下北沢でN.Y.Cupcakesというカップケーキのお店を開いていて、そういう姿を見るのはとても嬉しいです。起業講座は育児中の女性以外にも開かれた場だったので、いろいろな人が来てくれました。

そういった活動を通して、子育て支援とは違う文脈で、幅広い人とやりたいという気持ちが出てきたんです。

子育て支援から、はたらき方へ

――すでに今Polarisがやっている講座を子育てひろばでやっていたんですね。子育てひろばで自分の生き方を考えることは珍しかったのでは。

そうですね。子育てひろばでは、親子が今、困っていることを助けることが重要。でも、私がやりたかったのは、子ども中心ではなく、自分を中心に置いた選択をしようということ

だんだん、自分がやりたいことと、NPOのやりたいことがずれてきていると感じるようになってきていました。内閣府のビジネスプランコンペを知ったのは、なんとかNPOでやりたいことができないかと葛藤していたとき。コンペに採択されたら腹をくくろうと覚悟を決めました。


いよいよ、Polaris設立に向けて動き出した望美さん。後編では、Polarisの黎明期についてお話を伺います。

■インタビュー
武石ちひろ(Polaris)・戎晃子(Polaris)・杉山美穂(Polaris)

■執筆
武石ちひろ(Polaris)

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