【開催レポ】互いのバイブスを分かち合う”たまりばネイル”ができるまで
こんにちは、ちひろ@自由七科です。今日は10月30日に開催したランチタイムセッションのレポートをお届けします。ゲストは、たまりばネイル主宰の石野有紀子さんです。
社会と我が子の板挟みになっていたころ
何のバイアスもなく、我が子のことを見れているか?
母である人にとっては、ドキッとする質問ではないだろうか。「はい、出来てます。」と即答できる人はスバラシイ。生まれてきてすぐの頃から、身長・体重が成長曲線に乗っているかから始まって、いつ歩けるようになるか、いつ字を読めるようになるかetc.、世の中の平均と我が子の比較はずっと続く。もちろん、それが全部悪いことではない。けれど、その子に無理を強いたり、その子の良さと反していることだったら?良くないということはきっと誰もが思うだろう。でも、比較してしまう母当人にも、一言では言えない複雑な思いがあるのだ。まして、子どもが定型外の発達をしていたら?
トークセッション前半は、有紀さんが早産で息子のゲンちゃんを生み、やがて障害があることがわかり、小学校3年生で特別支援学校に転校するまでのお話を聞いた。冒頭の疑問は、私もいつも自分に問いかけることではあるけれど、その重みは有紀さんが抱えていたものとまるで違う。聞いているだけで、心がぎゅっと苦しくなるような思いだった。
「親としてレールを敷いて将来を安心できるものにしてあげよう」という有紀さんの思いそのものは誰も否定できるものではない。その思いをどう実現するか。社会の在りようと目の前にいるげんちゃんとの間で葛藤し、傷ついていた有紀さんの姿が浮かんだ。
ネイルとの出会い。自分を取り戻すということ
一方で有紀さんは、ゲンちゃんが保育園の年中だった頃にネイルに出会う。発達の遅れから団体行動をとることが難しく、保育園からきつく言われることもあった時期だ。知り合いのネイリストのお母さんの練習台になったのが始まりだった。
やってもらうと気分が上がってまたやりたくなった。美大の出身だった有紀さんは自分でデザインすることに興味がわいたと言う。友達にやってみると、いつの間にかお願いされるように。
もっとやった方がいいという周囲の声に背中を押されて、当時Polarisが運営していた「Loco-working Space“cococi”(ロコワーキングスペースココチ、略称:ロココチ)」でネイルをするように。その後、ご縁が繋がって現在の古民家コミュニティハウス「もえぎ家」で「たまりばネイル」としてサロンを開業することになった。
有紀さんがネイリストの活動を広げていったのが、ちょうどゲンちゃんが小学生の頃。ゲンちゃんは現在17歳で、たまりばネイルを始めたのが、小学校高学年~中学生の頃。散々傷ついてきた有紀さんは、ネイルによって自分を癒していったのではないか。
そして同時に、お客さんとの交流を通して、有紀さん自身の感覚で社会を捉え直していったのかもしれないと思う。なぜなら、小学3年生でゲンちゃんが特別支援学校に移ったのを機に、社会の在りようにゲンちゃんを合わせるのではなく、「息子が楽しんでいることをどんどんやらせるようになった」と仰っていたからだ。転校してから、急激に育てやすい子になったと有紀さんは言っていたけれど、きっと有紀さん自身も大きく変わったのだろうなと思う。
トークセッション当日は、たまりばネイルのお客さんが多数集まってくれて、まるで有紀さんの応援団のようだった。そのわけは、有紀さんの言葉から伝わってくると思う。ネイルというサービスを受ける場所ではなく、もっと対等で、互いにつくり合う場所、それが有紀さんがつくるサロンの形なのだ。
指先からビビビッとお互いの何かを交換し合ってるのだろうか。言葉にならないところで、有紀さんとお客さんは繋がっているのかもしれない。そして出来上がったネイルを見て、互いに分かち合っていることを確認する。それは、言葉を介さない豊かなやりとり。ちょっとうらやましい。
「お互いにつくり合う」「言葉を介さないコミュニケーション」。これらのキーワードは、有紀さんとゲンちゃん、そしてお友達の美音ちゃんが始めた「マイペースカフェ」の活動にも繋がりそう。この続きはまた後編で。
ランチタイムセッション全編はこちらで視聴いただけます。
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