自分なりの世界の捉え方を見つける「哲学対話」
「失恋のときの痛みは“悲しい”なのか、“悔しい”なのか?」
これは、高校生の「哲学対話」の授業で出てきた問い。
この言葉を聞くだけで、過去の経験のあれこれや、恋愛以外の辛かった体験が頭の中に浮かんできます。そもそも”悲しい”や”悔しい”ってどんな気持ち?みんなで話してみると、いろんな発見がありそうです。
今回のランチタイムセッションでは、「哲学対話」について、町田を中心に地域や学校で、哲学対話を開かれている、“まちいろドロップス”代表のふみひらみつこさんにお話を伺いました。
最後まで正解の出ない対話の場
ふみひらさんによると、哲学対話ではこの「問い」がとても大切とのこと。哲学対話で扱う「問い」とは、辞書やネットで調べても、簡単には答えが出ないもの。たとえば、「幸せとは?」という問いの場合、言葉の意味としては理解しているけれど、一人ひとり違う前提や価値観を持っています。
日常生活で、あえて立ち止まって考えることはあまりないけれど、でもやっぱり改めて考えてみたいと思うこと。ふみひらさんは、そういうことを哲学対話の場では話したいと考えているそうです。
「問い」は対立を超える
高校や小学校の哲学対話の授業にも携わっているふみひらさん。小学校では思わぬ展開になったこともあるそう。ある日のこと、哲学対話の時間になったものの、まったくのってこない子どもたち。どうしたのかと話を聞いてみると、哲学対話の前に、男子と女子で揉めていたことがわかりました。
「いつもやんちゃをする男子。それを注意する女子。先生に怒られる男子。」というよくある構図。「女子だって隠れて悪いことをしてるのに、どうして女子は自分たちに注意するのか。先生はどうして男子ばっかり怒るのか。」男の子には、そんな思いがあったそうです。
このときは、「今みんなが一番話したいことを話そう」と、生徒たちと相談の上、この件について話すことに決めたふみひらさん。「どちらが良いか、間違っているか」を決める場ではないことを生徒に伝え、両方の言い分を確認。なぜそう思うのか、理由を深掘りしていったそうです。
すると、お互いのことが嫌いじゃないことが判明。「仲良くってどういうこと?」「一方が変なことをしているときに、黙って見ているのが仲が良いってこと?」という対話になっていったそうです。
不満や悩みを「問い」として立てることで、問題を誰かに帰属させることなく、対話できるとふみひらさんは話していました。
対話を通じて、自分の言葉を見つける
ふみひらさんと哲学対話との出会いは、ふみひらさんが2人目のお子さんを出産したとき。産後3か月になり、赤ちゃんを連れて出かけていこうか、という頃に、コロナ禍に。家にこもりきりの生活が続いてしまったそうです。
そんなとき、友人が誘ってくれたのがオンラインの哲学対話でした。そのときのテーマは「幸せ」。自分がどんなことを「幸せ」だと思うのか聞かれたとき、ふみひらさんは何も答えることができなかったそうです。
毎日2人の子どもの世話に追われて、赤ちゃんはなぜ泣いているのか、子どもたちは今どんな気持ちなのか、そればかりを考えて、自分の気持ちを考える余裕はなかった。「こんなにも自分の中に言葉がなかったのか。」と、まるで自分が空っぽになってしまったように感じたそうです。
でも、それからも哲学対話に参加するうちに、少しずつ言葉を取り戻せているという感覚があった。現在は、世界を少しは自分なりの捉え方で見れるようになったかなと思っているそう。「哲学対話と出会って、世界が少し明るくなった」と表現されていたのが印象的でした。
子どもも大人も。もっと街なかに対話の場を
私たちが開催している「子どものいる暮らしの中ではたらくを考える座談会」でも、まずは自分の思いを言葉にすること。もし言葉が出て来なければ、まず人の話に耳を傾けてみることを大切に考えています。
今回のランチタイムセッションを通じて、改めて普段見過ごしている自分の思いや価値観について、誰かと話してみる必要性を感じました。
そして、小学生や高校生のエピソードには、ほっこりする半面、ハッとすることも。多世代で対話する場ももっと増えていくといいなと思います。
本編ではこのほかにも、哲学対話でのルールや進め方、哲学対話のはじまりのお話などもお伺いしました。ぜひアーカイブも併せて、ご覧ください。
次回のランチタイムセッションは、5月27日(月)12:00~12:50。一般社団法人みんなの公園愛護会、代表の椛田里佳さんをゲストにお招きします。
お申し込み、詳細はこちらからどうぞ!