中山道は木曽路にある宿場町「奈良井宿」「妻籠宿」「馬籠宿」をフィルムスナップ
どうもポラックです。
今回は昨年12月始めに行った岐阜旅行から。
岐阜県に行くのは静岡県に住んでいた小学生のとき以来。
色々と調べていると東京から向かう途中にも面白そうなところがあることに気づく。
それが今回の木曽路の宿場町たち。
奈良井宿
9時前に到着して最初に撮った写真。
あとでインスタを見たらこの辺は定番構図だった。
木曽路って聞くとしゃぶしゃぶ屋のイメージ。
本来は「木曽街道」といって中山道の中で信濃国と美濃国を繋ぐ街道。今でいうと長野県と岐阜県を結ぶ山道。
木曽路には11の宿場町があって、中でもここ奈良井宿は1番標高が高い。
「奈良井千軒」なんて呼ばれて栄えていた。
まだ時間が早くお店も開いてなく誰もいない。
屋根の上に蒸気が見える。
それにしても圧巻の町並み。
これだけの量の古い町並みを維持していることがすごいね。
たてものをよく見ると少し変わった造り。
2階がせり出した「出梁造り」というそう。
どこを撮っても絵になる町並み。
ここは実際に宿泊できる御宿。
賑わってるところも見てみたい。
これらは軒行燈(のきあんどん)。
奈良井宿は江戸時代より続く木曽漆器という伝統工芸品も有名。ヒノキを使った漆器。
中山道はヒノキの他に塩を運ぶ「塩の道」としても有名だったようで、塩の道の終点が塩尻というわけ。
妻籠宿
奈良井宿から車で約1時間ほど岐阜側に行く。
そこにあるのが妻籠宿。
奈良井宿ほどの規模はないけどここも良い雰囲気のところ。
お土産を扱う「槌屋(つちや)」さん。
神に捧げる「御幣」が起源といわれる五平餅。中部地方の郷土料理。
水車なんてのもよく考えたら何に使ってたのか?と思って調べると精米・穀物製粉に使われてたって。
これが「高札場」。江戸時代以前も使われてたらしく法令なんかを民衆に伝えるための場所。
今はテレビどころかネットやTwitterなんかで日本はおろか世界中に情報が一瞬で広がる。
それを昔はこんな板でやっていたと思うと気が遠くなる。
どこもいい店構え。
こちら「脇本陣」。本陣っていうのは参勤交代なんかで大名や旗本が泊まるところで一般客は宿泊できない。
脇本陣はその補助的な役割で本陣に泊まりきれないときや、藩同士がかち合わせた時に格下の藩が泊まるのが脇本陣。
鯱鉾以外にも瓦の端なんかも細かく装飾されている。
ここが本陣。
通りが二手に分かれる。
こちら下側の道。
ここで元の道と合流する。
これが升形。宿場町も敵と戦う時の防御の役割を持っている。
反対側から来るとこうなっている。
馬籠宿
妻籠宿から車で15分ほど。ここが馬籠宿の1番下の入り口。
入り口から突き当たりで左に折れるとここも升形になっている。
升形の舌の道に水車。
水車から上へ出て振り返る。
馬籠宿は石畳の坂道がいい。
ここはまばらながら人がいる。
元治元年は1864年。157年も続くお店。美濃国の東のあたりが栗きんとん発祥の地。
こちらは長野県の郷土料理おやき。
馬籠茶屋さん泊まってみたい。
中腹からの眺めもいいなぁ。
藤村記念館。
登りきったところにある蕎麦屋さん。
ここでランチすることに。
風情を感じる建物。
更に上には展望台が。
展望台から見る恵那山。
江戸時代の大名たちが中山道で京都と江戸を行き来していた。
その途中でこの宿場町に泊まっていた。
過去を想像するのも浪漫があって楽しい。
長野県や岐阜県には過去を感じられる場所が多いのが良い。
今度は馬籠宿と妻籠宿の旧中山道をトレッキングしてみたい。
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