【翻訳】戦争には反対だけど黙っている(ロシアの地方に暮らすある女性の声)
独立系ロシア語メディア「ホーラト」(Holod; “Cold”の意)に2024年8月12日付けで掲載された下記の記事を許可を得て翻訳したものです。無視されがちな声を丁寧に汲み取ったとてもよい記事だと思いました。
Я против войны, но молчу (Редакция «Холода», 12/8/2024)
Статья переведена с разрешения редакции.
自分を取り巻く状況が変わった時に、平凡な私たちがとる行動は多くの場合クセニヤに似たものだと思うし、彼女自身が卑下して言っているようにこういうタイプの人は「何の感情も呼び起こさない」から無視されがちだが、すごく普遍的ではある。結局私たちはヒーローでも極悪人でもなく、今あるかけがえのない生活を守りつつもできることをできる範囲でやるというのが現実です(彼女は「感情を呼び起さない」と言っているが、実際には右からも左からも、良くて軽蔑、悪くて罵倒を投げつけられる可能性がある——しかし人の行動が「善」であるとか「悪」であるとか、いったい誰がどの立場から判断できるのでしょうか)。そのうえで、国家が腐りきっている時にはわたしのささやかな生活さえも脅かされるわけだし、のへっとしてると国家にいいように利用させられ悪に加担させられてしまう。その時に私たちは、わたしは、どうするか。何ができるか。この問いは、今のロシア人だけではなくてあらゆる人に投げかけられている。
末尾に -NK を付けた註は、工藤による訳註です。また、原文では第2節のところにナチ・ドイツの迫害に関する編註がありますが、本筋には関係ないので略してあります。万が一誤訳等ありましたら、すみませんが、次に記載してあるメールアドレスまでご連絡ください→[連絡先]
戦争が進行中の今、公共空間では両極端の立場の人びとがもっとも目立つ。積極的に戦争反対を表明し、その後亡命や獄中生活をしている人たちと、そしてウクライナ侵攻を支持するZ活動家【*1】たちだ。ここにお届けするのは、ロシア人の中で戦争には反対だが発言はしない層を代表する女性の声である。チェリャビンスク出身のクセニヤ(24歳)。現在のロシアで暮らすことがどんな感じか、なぜ国外移住をためらうのか、誰が大統領になってほしいかについてクセニヤが語る。(ホーラト編集部)
1. 共通のコンテクストと隣人の頭
今のロシアでは、反戦を訴える人たちが「一人デモ」を行って刑務所に入れられるのを目にする。わたしも戦争には反対だが、そういうことはしない。そもそも、自分にとっても、いま戦争賛成の立場にいる人やドンバスに住む人にとってさえ、戦争は必要なかったと思う。そこで戦った友人もいるけれど、彼もそう思っている。
SNSで発言はしない。フォロワーは100人弱しかいないし、そんな発言に誰が興味をもつだろう? 基本的に公に発言する人間ではないし、自分の考えは胸の中にしまっておくことにしている。銃撃があったり他の悲劇があった日にわたしがSNSに〔犠牲者追悼の意味で-NK〕黒い四角の画像を投稿したってウクライナの人たちが楽になることはないし、親しい人を亡くしたばかりだとしたらなおさらのことだ。
今のロシアを覆い尽くす愛国主義は、一心同体になることはあり得ないのに人を平均化しよう、同じにしようとする試みだ。私たちは一つの国に属してはいるが、だからといって全員が同じというわけではない。ロシア人について議論される時、多くの人がこのことを忘れているようだ。たしかに私たちは共通のコンテクストを持っているが、だからといって隣の人の頭がわたしの頭になるわけではない。ロシア人全員が一つの塊だなんてことはありえない。そういう意味で、この戦争を始めた人や殺しに行く人のためにどうしてわたしが罪悪感を感じる必要があるのかが分からない。わたし個人の手は汚れていない。
起こったことはすべて正当化されると信じる友人もいる。そのことは嫌だと感じるけれど、付き合いは続けているし、友人たちのほうでもわたしに後ろ指を指すことはない。友人がZマーク付きの服を着ているのを時々見かけるけれど、その時はふつうに「うわ最悪」と思う。でも毎回そう口に出す必要性は感じない。とはいえ、あっちではわたしが別の考えを持っていることを知っていて、「あんたリベラルだもんね 」と言われることもある。
わたしが知っている小さい町出身のある女の子はいつも会うたびにこんなふうに言う。「わたしはラディカル・リベラルとフェミニストの考えを持ってるから、同じ考えを共有しない人とは付き合えない」。でもわたしの価値観は違う。わたしが大切にしているのは、自分と共通のコンテクストを持つ人たち。あえて愛国の人(ヴァトニク)と親密な関係を築く気は今はない。こういう頭の変な人を自分の頭に入れて何になるだろう? でも親しい人たちと関係を断つことはないだろう。友だちと言い争うことはあるかもしれないけれど、絶交したりはしない。ただ時々何時間か言い争うだけ。たいていの場合はそもそもこのことについて議論をしない。
侵攻を支持するおばあさんがいたとして、その人の批判をしようとも思わない。わたしにその権利があるだろうか? その人なりの幻想があるのだとしたら、好きに信じればいい。それが、膝が痛かったり家賃を払えなかったりするような苦しい生活を生きていく助けになるのなら。でも公共施設で「Z」を目にするたびに最低な気分になる。毎回強烈な恥ずかしさを感じる。前職の上司は、ある会議の時にZがプリントされたTシャツを着ていて、それが流行りなんだと言っていた。それを見て「頼むからそれを脱いで、恥を晒すのをやめてくれ」と思った。そんなことがあると、これは要するに戦争に加担しているということだし、将来的には倫理的犯罪と見なされるかもしれないと本気で思う。
もしこういう人たちがいなければ、私たちみたいなまともなロシア人は「自分は戦争には反対で関係ない、ぜんぶプーチンのせいだ」と言うことができたと思う。こういう人たちが社会にいるとそんなふうには言えない。だからこそ、ロシア人全員がこのZの服を着る人の群れと同一視されるのはムカつく。ロシアの別の部分には、このことで共感性羞恥を感じている人もいるのに。
目を引くのは投獄された政治犯か、侵攻支持者のどちらか。わたしのような人間は何の感情も呼び起こさないから、メディアには出てこない。
欧米では、政治犯は少数派で侵攻支持者が多数派だとみんなが思っているようにわたしには思えるけれど、実際の社会を見てみれば、大多数を占めるのはおよそただの平和な人たちだ。この人たちは誰にも悪いことをせずにただ平穏に暮らしたいだけなのに、そうすることができないでいる。
2. 不確かな快適さ
わたしの住む町で戦争を感じることはあまりない。ロケット弾が飛んでくることもない。こういう現実があるから、深刻な内的葛藤を感じることなく生きていける。
ナチ時代のドイツについて読んだ時、例えば政治的な理由で路上で殴られたり、目の前で人が殴られたりするような国にはとても住めないと思った。ナチ・ドイツのように人が投獄されるようになったら、耐えられなかったと思う。
ロシアでそこまで状況が悪化したら、国を出る可能性は高い。露骨な人種差別、ナチズム、物理的な暴力はわたしにとって最後の危険信号だ。けれど今はまだ起きていることを肯定しないでいられる可能性があると感じている。すべてのことに賛同するように政府が強要することはない。第二次世界大戦中のドイツにはなかったこういう隙間が、ロシアにはまだある。
ロシアの生活は前と変わらず快適だ。物価は上がったが、ちょっと良いおいしい食べ物を買ったり、レストランに行ったりするゆとりはある。けれどこれはぜんぶ不確かな快適さでしかない。いろいろな小さなことで快適さは感じるが、世界規模のことではそうではない。超安定したものを買う余裕はない。例えばマンションや車の値段はすごく高くなった。以前ならそういうものを見て「何百万か貯めて現金で手に入れてやろう」と思っていたのに、今は同じ数百万ルーブリでは尻を拭えるだけ。すごくムカつく。
未来の実感はここにはない。こういう状況でわたしと彼氏がローンを組むべきなのかどうか、分からない。ある日突然国を出るかもしれないのに? もっと強く確信したのは、子どもを生む必要は絶対にないということ。ここでいったいどうやって子どもを育てればいい? 学校で起こっていることをコントロールすることはわたしにはできない。子どものゾンビ化〔教育を通じた「洗脳」のこと-NK〕とかいろいろなこと。怖いのは、教師の多くがプロパガンダを本当に信じていることだ。もっと悪いことに男の子が生まれたら? 大砲の餌食になる子どもを育てるのは最悪だ。
3. 隅に追いやられた人生を選ぶ
ロシアがまるでますます隅に追いやられていくようで、それは良くないと思う。戦争を支持することは、社会を隅に追いやることだ。まともな思考プロセスが停まり、動物的な何かへの回帰が起こっている。それはわたしの本能に反している。
隅に追いやられた生活に陥らないで済んだかもしれない選択肢が一人ひとりに与えられた瞬間があったとわたしは思っている。わたし自身はたくさんのことを頑張って克服してきたから、こういう人には批判的に接している。この人たちが選んだのは、愚かであること、首を突っ込まないこと、恥としか言えないようなことをすること……例えば戦争に行けと男たちに言ったり、「Z」のTシャツを着たり、起こっていることを支持したり。
わたしの家族は裕福とはいえないが、ロシアで何か最低なことが起きているとみんな昔から分かっていた。そのことについての会話はたぶんもう十年も続いている。親戚は政府に反対だが、同時に〔反体制活動家で殺害されたアレクセイ・〕ナヴァリヌイや〔反体制活動家のミハイル・〕ホドルコフスキーを支持することもないだろう。また何かが変わることがただ怖いから。1990年代を生き抜いた人たちなので、変革なんてまったく最低なことでしかなくて、結局はデフォルト(債務不履行)か、また別のバカみたいな何かだろうという思考パターンが染みついている。そういう考え方をする親戚の多くは、〔亡くなった(極右-NK)自由民主党党首のヴラジーミル・〕ジリノフスキーを真剣に応援していた。
みんながロシア政府のプロパガンダにものすごく影響されているようには思えない。彼氏はホモフォビアというわけではなく、LGBTについては中立的だが、ゲイ・パレードにはかなり否定的【*2】で、例えばNetflixのLGBTプロパガンダは好きではない。でもロシアで国家レベルでLGBTの人たちが嫌われはじめた時、彼には抵抗があった。「どういうことだ、普通の人たちじゃん、何やってんだよ」と。要するにやり過ぎに見えると逆効果ということだ。この種の法律に対して、みんなが不信感を募らせることは多くなった。「政府がやることはバカげたことばかりだ」と。政府に対する不信感はますます大きくなる一方のように思える。
わたし自身は、政権交代して何が起こっても怖くない。どうなったって構わない。選挙の後で彼氏と議論していたら、「誰でもいいからプーチンに勝てる奴がいたら、みんなそいつに投票するだろう」と彼は言っていた。〔反体制活動家で殺害された〕ボリス・ネムツォフが〔大統領に〕なっていたら最高だったと思う。ネムツォフは、ロシアをグッと掴んで、明るい未来へと導いてくれたはずの本当にすごい大物。でもわたしは冷静に現実を見極めていて、誰でもいいから新鮮な見方を持つ人が登場してくれていたら状況は良かったはずと思っている。そうすれば政治学者の意見に耳を傾けたり、何も悪くないのに刑務所にいる政治犯を釈放してくれたかもしれない。ロシアの政治犯が交換されたことは嬉しいし、そういう人たちの顔を見れて良かった【*3】。でもそもそもこんなことが行われず、自分の発言のせいで誰も投獄されることがなければもっとよかったと思う。
4. 誰もが国を出られるわけじゃない
動員の噂が流れるたびに、国外移住について考える。一緒に暮らしている彼氏が召集されるかもしれないからだ。徴兵されることは絶対ないみたいな彼の冷静さが理解できない。長く国外にいた人が帰国して「故郷のロシア以外のどこにも幸せはない」みたいな投稿をしているのを時々見かける。それはその人たちの勝手。でも心の中では「バカだな、逃げなよ」と思っている。
開戦後に何人かの友人が国を出たが、どう反応していいか分からなかった。今でも頭の整理ができていない。そもそもどうしてみんな国を出るのか、どうしてそんなことが起こっているのか。わたし自身は外国に行ったことはないし、本当のところ、国外移住したいのかどうかも分からない。
一つの考えとしては、もっと自由な社会、少なくとも経済制裁の少ない国、それか最低限であっても便利な国(例えばいちいちVPNを使ってインスタにログインするのにはもううんざりだ【*4】)で暮らしたいと思う。
けれど他方では、国を出ることで、いま持っているものさえも失うことになるのが怖い。仕事を続ければ、給料はルーブリで受け取ることになる。ルーブリを他の国で使うことはとても難しい。他の国で仕事を見つけられるかどうか、生活の質を落とさずにその国の生活に適応できるかどうか、自信がない。わたしはロシアでまずまずの生活を送っているし、外国ではきっと買えないようなものを買うゆとりもある。長いあいだこの生活を続けてきたのに、ここで突然諦めなければいけなくなる。
手続きの面でも、移住の正当性をどう申し立てられるのか分からない。例えばジャーナリストや政治活動家が実際に受けている個人的な脅迫から逃れるように、政治的迫害を理由にして移住することはできない。
要するにわたしにとって国外移住は生活の質と水準が低くなること、そしてたぶん言葉の壁、その結果としてコミュニケーションの質が低くなることだ。その他にも、内的な葛藤や場合によっては外的な軋轢もあるだろう。わたしはヨーロッパ人と交流したことがまったくないし、これはたぶんプロパガンダがそう言っているだけかもしれないが、欧米の側からロシア人を非難しているような感じを受ける。大人だから、自分のパスポートのせいで嫌な目つきをされるのは我慢できると思うけれど、そんな社会で暮らすのはあまり気分が良いものではないだろう。
国内に残った人と国外移住した人のあいだに対立のようなものはないと思う。インターネットではもちろん「おれは移住した、クソどもはせいぜい残ってじっと座ってろ」みたいな誰かしらの投稿を目にする。ロシア政府に賛同はしないけれど国外移住もしない人たちへの非難がある。SNSでそんな投稿を見たことがある。けれども基本的にはもちろん、原則としては移住できる可能性がある人に対する批判だ。例えばメディアで影響力のあるポジションの人が、それにもかかわらず「ネズミみたいに逃げる」ことに反対して国外移住しないことについての批判だ。例えば、ナスチャ・イヴレーエヴァ(Nastya Ivreeva)に対する批判がそう。普通の人に対する批判は見たことがない。
わたしがそんなふうに批判されたとしても、腹は立たないと思う。ただの他人の感想だから。個人的に受け止めることはない。確かに批判には事実も含まれているが、でもだからどうしたらいい、批判を受け入れて自分をクソだと思えばいいのだろうか? ロシア人が税金を払っていることや、軍務に就いているのは事実だ。でも少なくともわたしは大した税金を払っていない。彼氏は仕事が内定していて、それは素晴らしいことだ。
誰もが国を出れるわけじゃない。例えば政府に反対しているわたしの叔母はずっと田舎で暮らしてきた。最近になってやっと都会に引っ越すことができたが、叔母にとってはかなりしんどいことだ。
わたしが国を出ることは叔母よりも簡単だと思うが、今さらこう言うと変に聞こえるかもしれないけれど、わたしは人生が大きく変化することを好まない人間だ。政権はもちろん交代してほしいし、今この瞬間からだって人生が変わることへの準備はできている。けれど他の点で人生に根本的な変化が起こるには、喉にナイフを突きつけられるくらいのことがなければいけない。ただ、もし彼氏が徴兵されるという差し迫った恐れがあれば、すぐに彼氏と一緒に国外移住すると思う。
5. 社会復帰は怖い
2022年2月24日〔ロシア軍によるウクライナ侵攻開始の日-NK〕、わたしは本当に呆然としてしまった。本当に、すべてが嘘だ、フェイクか何かなんだという感じがした。頭が悪いとかじゃなくて、戦争〔が起こっていること〕、こんな酷いことが起こっているのを信じることさえしたくなかった。正直、こんなことを信じたくはなかった。
わたしはその時まだロシア政府を強く支持する職場で働いていた。そこはやがては国と協力して政治家の評判をロンダリングすることを目指していたレピュテーションマネジメント会社で、結局その目論見は完全な失敗に終わった。それで、開戦直後、職場全体がショック状態で、その時の出来事に自分がどう向き合えばいいか分からないでいた時に、上司は単刀直入にこう言った。「選択肢は2つです。ロシア連邦の立場を受け入れ、ロシア連邦大統領ヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ・プーチン氏が最高のトップだと考えて、私たちと仕事を続ける。そうでなければ辞めてください」。その時はただ黙っていた。まだ2か月しか働いていなかったので。でも「バカじゃないの」と思った。それは上司の個人的な通告であって、誰かが上から彼女に政治的見解を与えたわけではない。そもそも民間企業なのだ。心の中では葛藤していた。自分は反対の立場だったから。
けれど戦争の一年目は、起こっていることを考えたくなかった。問題がたくさんあった。ドルが高騰し、手に入る日用品がどんどん少なくなれば、生活は苦しくなる。『犬の心臓』〔ミハイル・ブルガーコフの小説-NK〕に出てくるプレオブラジェンスキー教授の原則「昼食前にソ連の新聞を読むべからず」に従って暮らしていた。ブチャのことをはじめ、何か酷いことがいくつか起きていることは知っていた。でも自分の中では「恐ろしいことが起きているんだな、犯罪が行われているんだな」と理解することにした。自分にとってはこの理解で十分だったので、メディアを読むのをやめた。これ以上自分にトラウマを負わせないために。
ただ、強い意思でメディアを読まないことにはお構いなく、戦争の話題はわたしの空間に入り込んできた。当時はアンドレイ・ペトローフという名前で執筆や撮影を行っていたミラーナ・ペトローヴァ〔Milana Petrova:トランスジェンダーであることをカムアウトする前は、ロシアで男性メイクを広めた一人だった。ウクライナ侵攻後は反戦の立場を取り、ロシア政府を強く批判している-ホーラト註〕のブログを読んでいて、いろいろな形でそこに戦争の話題が滑り込んでいた。
身をもって学んだこともある。私たちのある友人が開戦前に召集され、2月の少し前に軍と契約を交わしていた。その後、友人は軍を辞めようとした。この問題でうんざりしてきたので、動員の少し前に辞めたかったのだ。友人は休暇を取らされた。やがて突然動員が決まり、軍との契約は無期限に延長された。その後はご存知のとおり、激戦地に向かわされ、何をしても引き返すことはできなかった。
彼が負傷した時、いったい何が起こったのか知るために半日どこかに電話を掛けつづけたことを覚えている。彼は行方不明とされて、その後どこかの軍病院に入院していることが分かった。そういう状況なら、知り合いに電話を掛けて、なんだかんだと矢継ぎ早に情報を伝えることになる。
それから友人は帰ってきて、恐ろしい話をしだした。彼には会いたかったが、同時にとても心配だった。戦地できっといろんなことを経験したはずだから。戦地の経験の後で、彼が大きく変わってしまったのではないかと思った。友人はそのままでもちょっとした変人だったし、どんなことでもできてしまう人にいったい何を期待したらいいだろう。わたしにとって戦争に行くということは、どんなことでもできるということだ。
友人の傷にそのまま触れたくはなかったので、「人を殺した?」みたいな直接的な質問はもちろんなかったけれど、興味はあった。友人が話したのは、塹壕の中での暮らしのことだった。塹壕がとても汚いこと、体を洗うこともできず、与えられた毛布さえ何かと自分たちに嫌がらせをしようとしてくるようで、こういうことをどうやって何とかしたのか、といったこと。でもあるタイミングで質問が出た。「やったのか、その……」と。「ああ、やった」と彼は答えた。そして会話は途切れた。「戦争は人間を動物に変えるね」と友人は言った。つまり、戦地では考え方がまったく違っていて、自分の命が危険に曝されているのだからそれを犯罪だとは思わず、「やらなければやられる」というテーゼに基づいて考えていた、と。「帰ってきて考えなおし、思いだしはじめる時に、他人の目とか他のことをぜんぶ思いだすんだ」と言った。わたしが目撃したこの友人の社会復帰はとても怖い。たぶん、だから前線から兵士を帰さないのかもしれない。
彼の話を聞いて、こういう質問は絶対にしないことにしようと心に決めた。
6. 内なる悪魔との戦い
ナヴァリヌイが亡くなった時、心がばらばらに砕けた。アレクセイ〔・ナヴァリヌイ〕が刑務所から出てきて、ヴラジーミル・プーチンと互角に戦えると本気で信じていた。彼を人間として信じていた。正しい倫理観の持ち主で、卑劣な振る舞いなど決してするはずがないように見えた。今いる政治家の中でこれほど信じている人は一人もいない。残念ながら。
その頃わたしはもうあの愛国上司の職場を辞め、別の場所、それもオープンスペースで働いていた。そこの同僚が「ナヴァリヌイが死んだ」と言った時、わたしの中ですべてが崩れ落ちた。別の同僚は彼女が言ったことをどうしても聞き取れず、「何が起きたって?」と何万回も聞き返した。それでわたしはオフィス全体に向かって叫んだ。「ナヴァリヌイが死んだんだって! 分かります?」。その瞬間、全員がコオロギのように静かになった。あそこにいた誰もわたしほどに喪失感を感じた人はいなかった。涙さえ流れた。
このことを話し合える人を探したが、ほとんどの人はどうでもいいと思っている現実に直面した。「だから何、勝手に死んだんでしょ」という反応だった。わたしは、ナヴァリヌイが故意に死に追いやられたのだと考えた。心の奥で何か情報が足りないような感じがした。わたしはこの問題にもっともっと沈みこんでいった。あらゆることがわたしは間違っていないと言っていた。実際、これは人に対する不当な振る舞いの結果であり、殺人と見なすことができるものだった。
ナヴァリヌイの死後、メディアにもっと目を向けるようになった。自分の内なる悪魔と戦っていたから。わたしにとって引き返すことのできない一点がこの時だった。もう黙っていることはできない。実際に起きたことがすべてなかったかのように装うなら、自分自身に対してさえ罪を犯すも同然になる。自分の身に起きていることを説明する言葉が見つからない理由が分からなかった。だから、「内なる悪魔との戦い」と名づけた心の中の戦いのようなものをすることになった。わたしにとって重要だったのは、その悪魔たちに抵抗することだった。
つまり、このことについて考えていないかのような時、はっきりと見えることに目を閉ざす時、そんな時にわたしは自分自身に対して口を閉ざすことになると気づいたのだ。ナヴァリヌイの死後、あまりにも多くのことに目を閉ざしているような気分が残った。今はもうそんなことには意味がないし、自分に対してそんなことを許すことはできない。それを続ければ、ある程度自分を裏切ることになるから。そしてほんの少しではあっても、ロシア政府が私たちに押しつける現実に自分の中で賛成することになるから。
この時まで、わたしと折り合いのつかない権威があった。ここからわたしは自分一人で何とかすることになる。この権威はもはや存在しないのだから。
わたしはホドルコフスキーや「ナヴァリヌイ・ライヴ」を見はじめ、ペトローヴァのブログを読みつづけた。エカテリーナ・シュリマンは大好きだ。シェンデローヴィチ(Viktor Shenderovich)のインタヴューもよく見る。彼は正しいことを言っていると思う。いま挙げた人たちや他のたくさんの人が「外国のエージェント」【*5】に指定されていることはとても残念に思う。このことが、この人たちの人生の質を傷つけていると思うから。この人たちは正しい仕事をしているのに、心配だからといって広告主が出稿を拒否するのだ。さっき話した頭のおかしい上司がいた前職で、「外国のエージェント」に「いいね」したせいである女の子が解雇された事件があった。「外国のエージェント」をよく思わない人を見たのはその時だけだ。
以前はまったく知らなかったホドルコフスキーを知ったのは、この問題をさまざまな角度から勉強しはじめた時だった。例えばナヴァリヌイがどういう理由で死んだのか、といったことだ。どこかで聞いたようなこととか表面的に作り上げたものじゃなく、それとは反対のきちんと基礎のある自分の立場を持ちたかった。自分が話していることを理解したかった。「ドーシチ」(Dozhd’; TV Rain)の番組をよく見るようになり、3回目のインタヴューあたりでホドルコフスキーに出会い、すぐに大好きになった。大統領選があれば彼に投票すると思う。そもそもプーチン以外ならどんな人にだって投票するだろうけど。
7. 機動隊の壁にビビった
ロシア人がプーチンを選んだという話は最低だ。最低オブ最低と言いたい。まるでロシアに民主主義があるみたいな言い方で、本当にムカつく。聞くたびにうんざりする。ロシア人には選択肢があるという考え方には唖然としてしまう。選択肢なんてものはとっくの昔になくなっているのに。
わたしは24歳で、もうすぐ25歳になる。記憶にある範囲で大統領が代わったのは、ドミートリイ・メドヴェージェフに代わった一度だけ【*6】。申し訳ないけど、この国の上層はヴラジーミル・ヴラジーミロヴィチ(プーチン)に直属する統一ロシア党員で占められていて、どの政党もぜんぶ次から次へとプーチンに属していく。オルタナティヴなんてものはない。みんなこのピラミッドの中にいて、ひたすら同じ上層に養ってもらっている。
ロシアにいる人に実際に選択肢があるとしたら、それはたった一つだけ。メディア関係者でチャンスがあるなら、国外に失せて二度と戻ってこないこと。この選択肢はあるけれど、政府を選ぶだなんて……。本当に笑うしかない。
人生で二度大統領選挙を経験した。18歳の時〔2018年大統領選のこと-NK〕からいつも反プーチン票を投じてきた。抗議活動には行かなかった。当時は若すぎたので。ナヴァリヌイがわたしの住む町で抗議集会を開いた時、わたしはその中心にいることができた。本当のところ、集会が開かれたエリアを機動隊の隊列に完全に包囲された時はめちゃくちゃ怖かった。その中の一人が「元気でいたければ、別の道に行け」と言って道を教えてくれた。
抗議活動から感じたのは、これはある種のヒロイズムを必要とする危険な行為だということ。抗議に行く人たちはとても偉いが、わたしにはそこに行くほど胃が丈夫じゃない、本当にクソだけど。わたしは小っぽけで、あの機動隊の壁を前にしてビビりきってしまった。あの頃はまだ自分の立場も持ってなかった。もちろんサーシャ・ミトロシナ(Sasha (Aleksandra) Mitroshina)のブログは読んでいたし、彼女が正しいことを言っていることも分かっていたが、「そこに入らないほうがいい」ということだけは知っていた。
何かしらしなければいけなくなることは分かっている。賠償金の影響を受けるかもしれない。でもわたしやロシア社会がどう反応するかは、どういうコンテクストでそれが行われるかによると思う。もし政権が交代して賠償金を支払うと決めたら、わたしは大賛成で、真っ先にお金を出すだろう。それが公正というものだから。でも「負けたんだから払え」というようなやり方なら、罪悪感だけが深まる。国民には賠償金を支払うだけの財力もなく、不満だけが残る。でも今のところは国民には財力がある。もし今、これがぜんぶ食い止められれば、出口のない状況にいなくてよくなるわけだから、積極的に賠償に賛成する人は多いだろう。そうでなければわたしは「自分は悪くなかったのに、金まで払わされて、すべての責任を負わされた」という感じを抱くことになるだろう。
政権は交代しなきゃいけないし、この戦争を黙認した人たち(マルガリータ・シモニヤン(Margarita Simonyan)のことだ)は罰せられなきゃいけないというのがわたしの意見だ。まともな方向性が社会に戻ってほしい。多くの人はカメレオンのようなものだと思う。社会に正常な方向性が戻れば、この人たちは違ったことを言うようになるだろう。