穏やかなる死とこれから迎える壮絶なる死の交錯
冒頭に3人の死が描かれる。
正治2年(1200)1月20日条、討ち取られた景時(中村獅童)一族の首桶があっけなく並べられる。小四郎は合議制を支えていた景時を失うことで「この先はいやがおうでも北条と比企がぶつかることになる」とその間に立つことが自分の役目だと息子(坂口健太郎)に告白するのだが、『草燃える』では似たような台詞を別の人物が吐いている。
景時の死からわずか3日後に三浦義澄(早川雄三)が自身の臨終に「これからは比企と北条だ」という遺言を残しているのだ。義澄の臨終の背景は両作品とも三浦家と義澄の甥でもある和田義盛(横田栄司)が控えている点においては、あまり違いはない。文字通り畳の上で沈痛な面持ちで一族に囲まれて大往生する。違うのは義澄(佐藤B作)の遺言と友人である時政(坂東彌十郎)が控えていたことである。
背景としては『草燃える』と同様厳かな臨終なのだが、内容はあまり厳かではない。
「死んだあとのことは正直どうでもいいや」と先の遺言と真逆な遺言を言わせるだけではなく最期は駆け込んで来た時政を掴み「待っておったぞ四郎。(あの世に)一緒に行こう!」としがみつくのだ。「ばか言え!」と時政に突き飛ばされた義澄はやはりあっけなく死ぬ。「次郎!」時政は義澄の通称である次郎の名を呼び号泣するが、オマージュしながら翻してやろうという三谷幸喜の野心満々さは相変わらずである。
「頼むよ 次郎」思えば本作品での時政はいつも義澄に甘えていた。13人の合議制に加入させたこともそうだった。
なお劇中にはないものの、富士の巻狩後に出家した岡崎義実(たかお鷹)はさらに約5ヶ月後に89歳で天寿を全うしている。これで本作品で上総広常事件に関与した人物はほぼ他界しているのでもう物的証拠は残っていない。土肥実平(阿南健治)だけは没年月日が微妙なのでなんとも言えないのだが…
珍しく畳の上で往生したのは、もう一人、安達藤九郎盛長(野添義弘)だが、命日は約3ヶ月後の4月26日だが、前者2人と違い公式サイトの『吾妻鏡』に載っていないのは、無位無冠だからだろうか?本作での藤九郎は常に鎌倉の良心として保たれて、いつも死にゆく者を惜しみ、時にはまるで頼朝の母のように接する好人物として描かれていたが、武田鉄矢が演じていた『草燃える』の藤九郎はそこまでの好人物には描かれてはおらず、死にゆく人を惜しむような言動も特には見当たらなかった。66人の連判状にも名を連ねていたので、ここまで好人物に描く必要が果たしてあったのか、逆に藤九郎が惜しんでいた者たちの無念を想い名を連ねたのかそれはわからない。それにしても同時期に寿命を終えながら、前者は最期まで騒がしく後者は眠るような穏やかさで対照的な最期だった。
だが『草燃える』の藤九郎の最期はない。
退場は3人だが、引き継ぎもある。
「さすがにわしも年を食ったので、2代目です」善児(梶原善)である。
小四郎に呼ばれて自分の2代目であるトウ(山本千尋)を連れてきたのだ。範頼(迫田孝也)と一緒に父母を殺したことを目撃されたあの少女である。剣技まで披露させるが、剣捌きは既に善児を超えているようだ。善児を呼んだ小四郎は、景時から預かっていた巾着袋を渡す。伊東祐親(浅野和之)の死後に善児を捕らえた畠山重忠(中川大志)に渡されたものである。重忠は「北条の三郎殿が持っていたものです」と明かしていた。
『草燃える』でも同時期に北条家の侍女が善児のように「もう年だから」みたいなことを言って、自分の娘に引き継いだ場面を思い出した。
本話での引き継ぎは底辺があれば頂点もある。建仁2年(1202年)7月22日条、頼家(金子大地)、従二位に叙され、征夷大将軍に任官する。
頂点になった頼家は天狗になっているようにも見えるが、信じる者がないのだ。13人の宿老がいまや9人となり、「これからは好きにやらせてもらう」と比企能員(佐藤二朗)の後ろ盾を拒みながら方向が見えずにいた。畠山重忠の所領問題での裁決で絵図の中央に「所領の広い狭いは所詮運である」と線を引いたり、念仏僧を斬り捨てようとしたりある意味捨て鉢になっている。ネタバレになるが、頼家にはもう少ない話数しか残っていないからか、本作品のルールというか去りゆく人への美談というフラグを残すのだ。
「わしは弱い。信じてくれる者を頼りたい。」と小四郎(小栗旬)に打ち明け、
「せつは強い。せつとなら鎌倉をまとめていけるような気がする」と一幡を後継にすることを伝えながら蹴鞠に逃げていたことを吐露し、蹴鞠の師匠になった平知康(矢柴俊博)をお役御免にする。だが鞠を投げ渡された知康は古井戸に落ちてしまう。小四郎が人を呼ぼうとすると、頼家は「時がない。我らでやる。」と助けようとする。決して暗君ではないところを描こうとしている。ただ頼家の汚名返上をしたいのであれば、絵図の中央に線を引く所は採用する必要はなかったのかもしれない。矛盾があり『吾妻鏡』が創作している可能性もあるので。
知康にしがみつかれて頼家も井戸に落ちてしまい、陰から見ていた全成(新納慎也)が小四郎に手を貸して、助け出すことが出来たが、この古井戸事件が実話だったことは知らなかったし正直驚いた。そのことは三谷の『ありふれた生活』にも触れられているし、本作品の公式サイトに掲載されている『吾妻鏡』も確認したところ、建仁2年(1202)12月19日条と記されていた。
それにしても『吾妻鏡』という正史は、一見どうでもいいようなことは載せ、本当に重要な案件は載せないのだなとつくづく思った。古井戸事件を載せてくれたことは助かったが。
良くも悪くも知康はフットワークの軽い人物であるが、『草燃える』で知康を演じるのは大河常連俳優の1人津村隆(現津村鷹志)で、1981『おんな太閤記』では足利義昭も演じている。そして2005『義経』ではなんとあの草刈正雄が知康を演じているのだ。
頼家を助けた全成は、偶然居合わせたのではなく呪詛するためにやってきたのだが、全成にとって頼家はやっぱり可愛い甥だ。時政とりく(宮沢りえ)に頼まれたとはいえ呪詛を続ける気は無くなった。頼家も残り少ない登場だが、全成は、さらに残り少ない話数なので、これでもかというほどのフラグを立ち続ける。
自分たちが乳母夫になっている千幡(実朝)を鎌倉殿につければ、妻にいい思いをさせることができる、鎌倉殿を呪詛するようにお父上に頼まれたが、やっぱり呪詛はやめることにすると実衣(宮澤エマ)に全てを打ち明け、実衣は久しぶりの笑顔を見せた。三谷は『ありふれた生活』でも全成と実衣は「唯一観る者をほっとさせるオアシス的な存在となった」と明かしているが、偉人とされている人を等身大に描くのであればいいと思うが、これまで光が当たっていない人物を等身大に描くのはどうなのだろうか?『草燃える』での全成と阿波局はもっとかっこいいのでついクレームしたくなってしまうのだが、三谷曰く全成の最期は大スペクタクルと予告してきたので、期待はしておこう。
言い忘れていたが副題の「ままならぬ玉」のダブルミーニングは頼家と鞠のことだ。
補足
「女子というものはな大体きのこが大好きなんだ」
泰時は父の助言通りに大量のきのこを初(福地桃子)にあげた結果、全部突き返されてしまった。
似た親子、父が駆け引き出来るのは政だけで、それ以外は頼れないことを学んだのだろう。視聴者に安心させるための創作だ。善児に巾着袋の中身を見たかと聞かれ、見ていないと真顔で答える小四郎に怯える視聴者のために。
頼家にもフラグは立ったが、せつ(山谷花純)にも立っている。前回までは長男一幡を産んだことにドヤ顔を見せるばかりだったが、本話は違った。『草燃える』では政子(小池栄子)と和解することなく終わってしまったが、助言を乞うた政子に「いっそ思っていることをぶつけてみては」と進言される。せつは嫡男が誰になるかはどうでもいいことを頼家に伝える。「私はただあなた様とお話しがしたいのです。鎌倉殿をお支えしたいのです。」と。
”鎌倉殿をお支えしたい”この言葉は政子の”佐殿をお支えしたい”を視聴者に思い出せるために引き出した言葉だ。功を奏したのかせつは頼家から「せつとなら鎌倉をまとめていけるような気がする」と言わせることが出来た。
『草燃える』の頼家は、比企べったりだったが、『鎌倉殿の13人』での頼家は、とにかく比企も北条も背後にいることを嫌っている。ステレオタイプに描かないように工夫していることが見て取れる。正室つつじ(北香那)のネーミングも史実での公卿の母”辻殿”からよく膨らませたなと感銘する。
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