時を継ぐ者はややこしい
「牧氏事件」ー時政(坂東彌十郎)とりく(宮沢りえ)が退場する話は、第36話「武士の鑑」(「畠山重忠の乱」)から1話を空けずに完結するのだと勝手に思っていたが、1話延びるのだと悟ったのは前話を観る前に分かった。その前話である第37話『オンべレブンビンバ』の次回38話の副題が「時を継ぐ者」になっていたからだ。つまり”時政を継ぐ者”だということは誰だって分かるので親切な予告とも言える。
前話、本話と2話にかけて、時政がりくと伊豆に戻る話での小四郎(小栗旬)との父子対決はやや抑え気味になっていて、時政と子どもたちとの別れというむしろ情感たっぷりのアットホーム感が溢れすぎていて、やや引き気味な感も残ってしまった。
『鎌倉殿の13人』で小四郎が父を追いやることを決めたのは、父が次郎(中川大志)の首桶を改められなかった時だ。『草燃える』の42話「畠山討伐」で、時政(金田龍之介)が畠山討伐の計画を息子たちに打ち明けたときに一瞬視線をそらした場面のオマージュである。御家人たちの信を失った時政は、名を連ねられた訴状を破った小四郎に恩を売られたことにより、恩賞の沙汰の実権を奪い取られる。
「小四郎、わしをはめたな。」
「やりおったな、見事じゃ。」
前話での投稿で、この場面もおそらく『草燃える』の43話の「父と子」のオマージュで、次回で回収されるのだろうと期待してコメントしたが、回収されなかった。多分オマージュはここまでで我慢してくれということなのだろう。
『鎌倉殿の13人』では、時政が自身の館に実朝(柿澤勇人)を連れ込み、鎌倉殿の座を娘婿である平賀朝雅(山中宗)に譲るように迫ったが、『吾妻鏡』にはそこまでの具体的な記述はなく創作である。
『吾妻鏡』では実朝を誘拐してはいないし、起請文への花押も要求していない。鎌倉殿の座に据えた時点で実朝を自邸に迎えて実権を握り、花押などであたふたすることもなく、幼い実朝に代わって単独で署名すらしているのだ(『鎌倉遺文』1379)。それに時政と牧の方が共謀して実朝を廃し、朝雅を新将軍として擁立しようとしている噂が流れ、察知した政子が三浦義村ら御家人たちを遣わして、時政邸にいた実朝を義時邸に迎え入れたのだ。その部分においては『草燃える』は『吾妻鏡』を覆していない。
時政側についていた御家人の大半も実朝を擁する政子・義時に味方したため、陰謀は完全に失墜した。なお、時政本人は自らの外孫である実朝殺害には消極的で、その殺害に積極的だったのは牧の方であったとする見解もある[。だが最も同時代に近い『愚管抄』では事件の首謀者を一貫して時政としており、『吾妻鏡』は北条氏の祖である時政を擁護するために牧の方を事実以上の悪役に仕立てているとする見解もある[。幕府内で完全に孤立無援になった時政と牧の方は出家し、翌20日には鎌倉から追放され伊豆国の北条へ隠居させられることになった。(ウイキペディア)
『鎌倉殿の13人』も『吾妻鏡』と同様にりくを単独に近い首謀者にしており時政は無理矢理善人にしている傾向がある。
頼朝(大泉洋)の死のときにも触れたのだが、「鈴の音と頼朝の死は直接的には関係はない。生死は問わずこれから小四郎とパワーゲームを繰り広げる人たちなのだろう。但しそれは代表者1名のみであり、北条の代表者はりくで、時政ではないのだ。あとはそれぞれの一族の代表者ということなのだろう。」と予測したのだが、そこは当たってしまったので複雑な心境だ。梶原景時(中村獅童)も比企能員(佐藤二朗)も畠山重忠もりくも鈴の音を聞いていたからだ。それに何より長きにわたって宮沢りえは本作のトメをつとめていたことが証左である。りくのことは後述するが、『草燃える』では『吾妻鏡』を翻してどちらかを単独首謀者にはせずに共同首謀者にしている。同作品ともそれぞれ違う箇所で『吾妻鏡』を踏襲したり翻しているところは興味深い。
確かに最初に夫に畠山討伐を唆したのは牧の方(大谷直子)だが、畠山が所領している武蔵国の広大さにずっと食指が動いていたのは時政だということは強調していた。それは小四郎(松平健)も同じだった。
前述したように時政は実朝を誘拐などしていないし、最初から時政邸にいた実朝を、政子の命で義時邸に迎え入れ、多くの御家人が小四郎に味方したことで完全に失脚している。
「小四郎の奴、食えない奴だからな。畠山の謀反を信じたふりをして滅ぼした。そのあとでどうも謀反の事実はなかった。一体こんなことになったのは誰のせいだ?牧の方のせいだ。稲毛のせいだ。矛先を変えて都合の悪いもんをついでにどんどん討っちまう。つまりこういうやり方だ。」と平六(藤岡弘、)が嘯く通りになっている。
なので
「今生の別れにございます。父が世を去る時、私はそばにいられません。父の手を握ってやることができません。あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます。」
というような台詞を『草燃える』の松平健版の小四郎が吐くわけがなく、父親から畠山の謀叛を聞いた時点で、それが嘘だと知っていて畠山を滅ぼし、それを踏み台にして父を失脚させる気満々だったのだから。
よって『鎌倉殿の13人』の第38話「時を継ぐ者」と同様に『草燃える』の第43話「父と子」も、子が親を弟子が師を超える普遍的なテーマのターニングポイントの一つである。それは時政が息子に嵌められ悔しがる一方、満足の意も示す重要な場面だ。
「おのれの欲望が顔に出る。ところがそなたはまるで違う。政子(岩下志麻)の影に隠れて目立たぬように目立たぬようにとふるまいながら涼しい顔で人を陥れる、旗揚げのときにはいやいや戦に加わり虫も殺せなんだ男がいつのまにやらこのような薄気味悪いやつに...悪党め。北条一族の中で最たる悪党よ。そなたはな」
この場面には身震いしたし逆流した。時政にも小四郎にも。
『鎌倉殿の13人』では父子対決より、家族の別れに焦点を当てているので、その期待ははずれてしまったが、意外にも時政の妻への思いと謀反へのサバサバ感はそれほど変わりはなかった。
小四郎が罪状を追及すると
「口にも出したよのう。確かに。」とあっさり認めてしまう。しかも「将軍家といえども所詮は尼御台の息子、今は執権役としてわしの思い通りになっているがこれから先のことを考えれば我が家の娘婿を将軍の座に据えておいていれば牧のためになる。と確かそのようなことも話し合ったな。」とまで口にするのだ。牧の方は夫の白状を
「気でも狂ったのですか?あなた。あなたは耄碌したのよ。あなた方の父は耄碌したの。信じちゃ駄目、信じないで、この人の話を信じないで、信じちゃ駄目。」と最後まで否定する。
『草燃える』の時政は冷静で現実的なので上手な負け試合を展開し、小四郎に「この始末いかが?」と問われれば、自ら「こうしてやる」と自ら髷を切ってしまうー落飾だ。こうすれば自分も妻も平和的に伊豆に下向出来ると。娘婿を将軍にするなど所詮寝物語だけのことなのだから。時政は髷を切った夫に取りすがる牧の方の髪をなでる。
それに比べると『鎌倉殿の13人』での時政の妻の庇い方はこんなことで済むわけがない。ここでは寝物語どころではなく将軍誘拐までしているのだから。実朝を解放し妻を密かに逃して京に落ち延びさせ自身は自刃しようとするが、政子(小池栄子)の命乞いによって間一髪で生き延びる。
両作品も敵役ながら後妻のつらさも描かれている部分もあり、時政が晩節を汚した一因は牧の方が先妻の子供たちから浮いてしまうことを恐れていたような表現も見て取れる。
『鎌倉殿の13人』の時政は最初から最後まであまりブレることは少なく良くも悪くも一貫性があるように描かれている。急に野心家になったわけでもなく、いつも所領と一族が一番だと信じ、小さいコミュニティの長のままであれば理想的な人物といってもいいだろう。実は現代でも自分の仕事は口利きだと思っている政治家は多くいる。フィクションの中でだけは燦然と輝くところが厄介でもある。「分かってねえな」が口癖だった。
妻の方も一応は両作品ともやり方は違えども夫を庇おうとしていることは同じである。『鎌倉殿の13人』のりくは、単独首謀者らしく、一番効果的なやり方で夫の命を救う。継娘である尼御台の政子に首謀者は自分であることを告白し、両手をついて夫の命乞いをするのだ。『草燃える』の牧の方は「口にも出したよのう」と告白した夫を「耄碌したのよ」と言い張って彼女なりに庇おうとした愚直さとは対照的だった。りくは元々策士であり、本話でも小四郎に殺されかけたことすら水に流して「執権になれ」と義理の息子にはなむけの言葉まで投げかけるくらいの度量もあるはずなのだが、なぜ朝雅に簡単に転がされるのだろうという疑問も湧く。愛息を失い冷静さを欠いていたという理由もあるが。そして両作品ともこの夫婦をシェークスピアの『マクベス』に例えていることへの説明はもはや要さないが、これまでもそれをモチーフにした牧氏事件を題材にした作品は枚挙にいとまがない。おそらく坪内逍遥の戯曲『牧の方』だけではないだろう。
『オンべレブンビンバ』ではりくなしに時政が子供たちへの別れの挨拶を描いたのだが、本話ではりくと娘たちだけの別れの挨拶が描かれている。夫の命乞いのときの質素な着物とは打って変わって豪華な打ち掛けと憎まれ口を披露し、
「お世話になりました」と手をつく別れ際の挨拶は忘れない。
「私は伊豆山権現に3人でこもった時のことを忘れないわ」と政子がしみじみと思い出すように、筆者も現代性も取り入れていた伊豆山権現の場面は気に入っていた。
あの石橋山の合戦の際、政子や実衣(宮澤エマ)と避難していたときはむしろ協力的で政子たちも好意的だったのだ。実衣などは思い出したように、継母と一緒になったことで父も良い意味で変わったことをここで復唱している。実の母を忘れかけているとすら吐露したことも、継母への肯定と実母への追憶の失念が交錯するシーンだった。
ところでここでは朝雅が時政とりくの嫡男政範を毒殺した真犯人ということになっているが、何度も繰り返すが創作である。
『吾妻鏡』でも政範の急死が理由と思われる朝雅と重保の口論も、北条と畠山の争いの一因となったことは確かだが、それに時政と牧の方が共謀して鎌倉殿の実朝を廃し、朝雅を新将軍として擁立しようとしている噂も、どこのソースなのかもはっきりしないのだ。よってその点を脚色するのは自由なのでここは『鎌倉殿の13人』では朝廷側が幕府の弱体化を狙って、源仲章(生田斗真)を介して朝雅に政範を毒殺させているのだが、
『草燃える』も『吾妻鏡』を踏襲しているものの、この物語では朝雅自身も自らが新将軍にとって代わることは考えてもおらず、義父母の共謀にも関与どころか知りもしない。時政と牧の方が寝物語で話していただけなのである。しかもそれを知ったのは京でそれが噂になっていることをはじめて聞いたくらいの体たらくで、その場で逃げようとするが、その後討ち取られた場面もなく、後に実朝自身から朝雅の死が語られているだけなのである。
オープニングクレジットにトウ(山本千尋)の名があったので、標的は朝雅かなと勝手に思っていたが、まさか標的がりくだとは思ってもいなかった。たまたま居合わせたのはのえと平六、時政を継ぐ者は、小四郎だが、りくを継ぐ者はのえ(菊地凛子)ということが分かる。トウと平六(山本耕史)の凄まじい暗闇の激闘は、前話の小四郎と次郎の陽の当たる一騎打ちとは対照的である。のちの伊賀氏の変に関わる伏線であれば分かり易すぎである。
副題に戻ると、時を継ぐ者は、”時”という北条の通字を持つ小四郎義時だけでなく、太郎泰時でもあり、時宗や高時のような執権になる得宗家の人間が継承者になるわけだ。だが急死した時政とりくの嫡男政範は時政の「政」がつくが、「時」はつかない。であるのに実は「政」を継ぐ者がいることも隠れたメッセージ、つまり政子なのだ(七代執権は政村である)。小四郎は継承しない時政の情を政子が継承しているのである。それを知っているりくが政子に夫の命乞いをするのであり、政子による御家人たちへの土下座までしての「方々、どうか父をお許しください」の言葉は、彼女の承久の乱におけるプレリュードである。小四郎は求心力だけは姉にかなわないことを悟り、役割分担を強化することを決めるのだ。
副題は”時代を継ぐ者”、”時を告ぐ鳥(ウグイス)”とさらに意味付けをされていく。
承久の乱の前哨戦は他にもある。
「北条義時のほかに御家人たちの筆頭になれる男を俺は知らない」という平六の絶賛は明らかに2度目の承久の乱のフラグである。そもそも「父親を執権の座から追い落としたのか」というあえての糾弾から一転するというぶっつけ本番のやらせなのだが、1度目は19話で義経追討で京に攻め込もうという話が出たときである。義経の強さに皆が尻込んでしまい、小四郎が平六に縋るような目をすると平六が渋々応じた言葉だ。
「ここで立たねば生涯臆病者のそしり受ける。坂東武者の名折れでござる!違うか!」と。義経(菅田将暉)は京を去るので攻め込む話は頓挫したが。義経も鎌倉攻略案で「三浦を味方につけておく、親父ではなく息子の方だ。あいつは損得の分かる奴だからな。」と小四郎に補足したように和田合戦のフラグでもあった。小四郎と平六はとことん利害関係で結んでいる絆なので、そもそも裏切るという概念もないので続けられているのだ。
第36話で平六が稲毛を斬首したとき
「ご苦労だった。下がってよい」の小四郎の対応に冷笑で返した意味は「俺が言った通りになったな」であり、「俺が言った通り」の内容は、第15話の「頼朝に似てきたぜ」のことである。
まとめになるが、前述したように両作品ともそれぞれ違う箇所で工夫しながら『吾妻鏡』の採用や加工に悪戦苦闘していることは見て取れる。例えば、「牧氏事件」での政憲の急死については、『草燃える』はそのまま採用しているのだが、『鎌倉殿の13人』では実は朝雅が毒殺したことにしている。その反面、牧の方(りく)が単独首謀者に近い点に関しては、『鎌倉殿の13人』はそのまま採用し、『草燃える』は時政との共同作戦に変えている。正直言うと、『鎌倉殿の13人』は『吾妻鏡』以上に北条家というより義時に甘いように思う。比企や時政やりくが頼家への呪詛に加担していたという創作も、小四郎に利があるように誘導していると言われても仕方がないのではないか?比企にも動機があるのではないかという推測に説得力がないわけではないが、時政の実朝誘拐説に関しては全く擁護できない。創作は決して悪いことではないが、せめて腑に落ちるような創作にしてほしいという願いばかりだ。無論、『草燃える』にもご都合主義は当然ながらある。次第に冷酷な政治家に変貌してゆく松平版の小四郎には全く文句のつけどころはなかったが、その反面、政子が北条の陰謀にはいつも蚊帳の外という扱いには矛盾を感じていた。実質的には小四郎が主人公だったが名目上では政子なので権謀術数には無縁にしたかったのだと思うが、脚本家の中島丈博自身が政子に関心が薄かったようにも思われた。
今週の特番のトークや完結編のムックでの、筆者が今一つ物足りなかった小四郎がついに最終形態に変貌するというような宣伝文句には、期待半分不安半分の心境というのが正直なところだ。
補足
「小四郎が来たら寝返るつもりでいる。分からなくてもいいから俺に従っていろ」と平六に言われるが、それでも突破してしまう小太郎(横田栄司)。既に幾度もフラグが立っているが、もう退場は間際だ。「ウリン(羽林)」呼びもすっかり2代目の上総広常(佐藤浩市)が板についているのか?受け売りだったことを忘れていつのまにか自分が考えたことになってもいるがそこもご愛嬌。時政に起請文を書かされそうになっても応じない実朝を助けようと、「起請文なんてあとで破いて捨てちゃえばいいんですから」と言うがココもフラグである。あと数週間で我々が見聞きするだろう自らが誰かに起請文を破られる目に遭うのだから…
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