「武士の鑑」のタイトルにひねりはないが敬意はある
37話の副題は、畠山重忠の代名詞そのままの、全くひねりのない「 武士の鑑」である。おそらく、いつものダブルミーニングを控えて、あえて文字通りに「 武士の鑑」そのものに敬意を払ったのだろう。
小四郎(小栗旬)と次郎(中川大志)の一騎討ちは2012年『平清盛』の清盛(松山ケンイチ)と義朝(玉木宏)を思い出すのだが、いずれも敗者の方が政治的には負けるが単体では強いので、本来は有り得ない一騎討ちだ。大体斬り合いでも組み打ちでも2人の武功の差を考えれば小四郎が次郎に勝てるわけがないので、そこだけは普通にリアルだった。
そもそも「畠山重忠の乱」という大きな争いに端を発したのは、実朝の御台所を朝廷から迎える使者の一人に時政と後妻牧の方の息子政範が選ばれたことから始まる。その牧の方と、娘婿である平賀朝雅の縁故で御台所に決まったのは、藤原一族の名門、坊門の姫で、後鳥羽の従妹でもあるのだ。ところが、その時政と牧の方の一粒種である政範が上洛中に急死してしまったことで大きな事件に発展するのだ。
大きな事件「畠山重忠の乱」が起きる経緯は、政範の急死→畠山重保の騙し討ち→(「畠山重忠の乱」)稲毛重成の誅殺であるのだが、『鎌倉殿の13人』の解釈はかなり独特である。
まず政範(中川翼)の死だ。『鎌倉殿の13人』では、病死ではなく毒殺で、しかもその真犯人は娘婿で京都守護である平賀朝雅だったという仰天の仮説には度肝を抜かれた。さらに朝雅(山中崇)を唆したのは、源仲章(生田斗真)であり、その背後には後鳥羽(尾上松也)、慈円(山寺宏一)、兼子(シルビア・グラブ)があるという設定だ。
朝雅は、自分が毒殺に関与していたことを畠山重保(杉田雷麟)に聞かれてしまった挙句、逆に重保を真犯人に仕立て上げる。溺愛していた息子が上洛中に急死したことで、茫然自失しているりく(宮沢りえ)に、政範を殺したのは重保だと囁くのだ。息子政範を失い打ちのめされているりくは、娘婿の讒言を信じてしまい、ついに、夫時政(坂東彌十郎)に”畠山を討て”と焚き付け、政範の死への復讐を開始し、重忠、重保親子誅殺を計画するのだ。重保は重忠の嫡子で、彼も御台所を迎える使者の一人で政範の仲間でもあったのだ。
確かに政範の急死は不審死としか言いようがなく、『吾妻鏡』でも政範の病名は記されなかったこともあるので、毒殺説自体は決しておかしくない。ただ朝雅犯人説は飛躍しているようにも思う。朝雅の毛並みは桁外れで曽祖父は源新羅三郎義光で、その義光の実兄はあの八幡太郎である源義家なのである。たかだか執権の座を奪うためにそのようなリスクまでおかすのだろうか?朝雅にとっては、後鳥羽の”代官”である仲章も、唆す時に朝雅に向かって「鎌倉殿の座を狙える立場」と言いながら、”執権別当になって実権を得よ”と言うのもちょっと苦しい設定なのではないか?
これまでのフィクションでも毒殺を採用することは少なくなかった。実はその真犯人は政子・義時姉弟だったという説もあるのだ。つまり時政の先妻の子供たちが、後妻の子供を殺したということなのだが、個人的にはその説の方が有効のように思う。牧の方は公家の出で、先妻より身分が高いので、時政の嫡子は自然の流れで政範になり、義時は廃嫡される格好になる。しかも時政は16歳の政範を従五位下につける働きかけをするくらいなので、42歳の同じ従五位下の義時からすれば大変な脅威である。義時が姉と共謀して異母弟を間接的に毒殺したという説はおかしくはないと思う。
ちなみに『草燃える』では、ほぼ『吾妻鏡』を踏襲し毒殺を採用しなかった。政範は実朝の嫁迎えにたまたま具合が悪くなり、それを無理して働き、医者にも世話にならずに拗らせて病死してしまったのだが、母牧の方(大谷直子)の過剰な期待に押し潰されたようにも描かれている。病死自体はやや不自然な感じもするが、政範の死が「畠山重忠の乱」につながる流れは決して不自然ではなかった。
次は畠山重保の騙し討ちに移る。
『鎌倉殿の13人』では
「うまいことを言って由比ヶ浜におびき出せ」と言ったのは時政で、
「”浜に謀反人がいる”と言って討伐に向かわせましょう。」と言ったのは平六(山本耕史)だ。
騙し討ちの黒幕は時政、その参謀を含めての実行犯は平六だが、実際に重保を誘き出すのは稲毛重成(村上誠基)であるが後々にここが重要なのだ。
「首尾よくいけば畠山の後釜に据えてやる。惣検校職だ。」と。
そしてこの作品では重保の騙し討ちに関しては小四郎は無関係なのだ。平六は弟の平九郎に「小四郎殿には伝えないのですか?」と言われても、「板挟みになってやつが苦しむだけだ。」と伝えない。この点でも小四郎の罪はかなり免れているのだ。
毒殺を採用しなかった『草燃える』でも、畠山討伐を計画したのは牧の方であり、朝雅(伊東平山)と重保(神有介)の口論をきっかけに、息子と行動を共にしていた重保に怒りを向けたことも『吾妻鏡』に近いように思う。『草燃える』ではそこを掘り下げて、政子(岩下志麻)と牧の方がお互いの息子の死の理由を巡った対立を発端にしている。当初政子は政範を亡くした継母牧の方を同じ気持ちを共有しようと労わろうとしたのだが、逆に手痛い反撃に合う。
「どうして政範が死ななければならないのですか?あなたの息子のように悪いことをしたわけではない。謀反を企んだわけではないので、ただ御台所を迎えに勇んで出て行っただけなのにどうして政範が死ななければならないのですか?」
政子は絶句するしかなかった。牧の方から発せられる政子への批判も当然一理あるが、息子への負い目も入っている。なぜ政範にプレッシャーをかけてしまったのかと…
しかし牧の方とは和解どころか今後の内ゲバに発展する要素も作ってしまうのだ。
その後も牧の方は、実朝(篠田三郎)と御台所(多岐川裕美)の縁談を取り持ったのは自分だという自負があるから忙しく立ち働くことで、息子の政範を失った悲しみを忘れようとしていたのかもしれない。だが、忘れられるものではなかった。時がたつにつれて、彼女はだんだん重保を恨むようになっていきことごとく辛く当たるようになったのだ。
ある日政子は、牧の方が重保をいじめている現場を抑えて面前で意趣返しをする。
「これ以上重保をいじめないで頂きます。もし妙なことをなさったら義母上といえど許しませんよ。よろしいですね。」と。
政範の死を慰めようとして手痛い反撃を受けた仕返しも入っている。
政子にやっつけられたことでさらに怨みを晴らそうと畠山討伐の計画を進めていた牧の方は畠山をどうにかしたいことを時政(金田龍之介)に訴えた。彼女は元々時政の先妻の息子の小四郎を退けて自分の息子政範を跡継ぎに考えていたふしもあるが政範の死でそれは頓挫し、ならば一緒に実朝の縁談を取り持った娘婿の平賀朝雅をその代わりにと考えていたのかもしれない。朝雅は武蔵国の国司、そしてその領主は畠山、畠山は邪魔なのだ。時政自身も後妻につられたこともあるし朝雅にいい顔をしたいのは本当だが畠山がなかなか都への年貢に関して一歩も引かないことに手を焼いていることは事実だ。当主の重忠は時政の娘婿、重保は孫なのだが...
『草燃える』の畠山討伐は、政子と牧の方の対立が発端だが、『鎌倉殿の13人』での牧の方に当たるりくはその気配は全くなく、政子は小四郎の頼みで政範の死について朝雅に吹き込まれていることがないように持っていこうとするが、りくは畠山討伐など微塵もないように振る舞う。『鎌倉殿の13人』のりくの方が、『草燃える』の牧の方より巧妙なのか、『鎌倉殿の13人』の政子(小池栄子)がりくに対抗意識を持っていないこともあるのだろう。
父時政から畠山討伐の計画を打ち明けられたときは、小四郎も五郎も反対した。
「畠山重忠は、頼朝公の時以来、忠勤を励んで来ました。比企の乱の時にも快く協力してくれたではありませんか。これは北条家の婿として父上に尽くしたのです。そういう人間を討つことはできません。」とこの点は『鎌倉殿の13人』と『吾妻鏡』と同じことを言っている。が時政がさらに稲毛重成が懸命に和解工作をしているが、畠山はそれに応ぜず、北条を討つつもりだと、強く主張すると、小四郎は考えておきますと保留しながら五郎(森田順平)と退席した。そして保留しながら父が主張しながら視線をそらしたことを見逃さなかった。
帰り道、親父は義母上の言いなりになってものがみえなくなっているという五郎に小四郎は語った。
「しかしな五郎、このさい親父の言うとおりにした方がいいと思っているんだ。どうもその方がよさそうだ。五郎、考えてみろ。畠山の本領、武蔵の国のことを。亡き殿は心からあの広大な武蔵の国、あの国をがっちり掌握する者こそ真に鎌倉を治めることができるんじゃないかと。そのためには軍を出そう。五郎、三浦和田にも使者を出せ。直ちに軍勢を整えよと。畠山は謀反を企んだのだ。」
松平健版の小四郎は一度は父(と継母)の計画は反対を示しただけで、畠山の謀叛を信じたふりをして、父の命令に従い討伐するが、それが冤罪だとわかり後悔し、その矛先を継母、稲毛に向ける。そして次郎を犠牲にしたことで父を追及できる理由にもなるのだ。
小四郎が五郎に「畠山は謀反を企んだのだ」と宣言した後は『鎌倉殿の13人』のように打ち合わせなどは行わずに重保の騙し討ちは粛々と行われる。
そして鶴岡八幡宮の祭礼の翌日、重保はその夜、由比ガ浜で騙し討ちにあって殺された。
平六(藤岡弘、) 「謀反人はわぬしだ。」手を下したのは五郎だ。五郎は重保の叔父なのだが...
おそらくその打ち合わせは省略され、視聴者の想像にお任せということなのだろう。
黒幕が時政で現場指揮官が平六だということは『鎌倉殿の13人』と変わりはないのだが、『草燃える』の方がいかにも騙し討ちらしいし、しかもほとんど闇討ちで、抵抗すら出来ずに抹殺されるのだ。また実行犯が五郎ということは、その立案は小四郎に違いない。とは言っても道筋以外の具体的なことは平六に任せている傾向はある。繰り返すが小栗版の小四郎は重保の騙し討ちには無関係なのである。しかも誘き出しはするが、闇討ちなどではなく、手向かいも出来る状態だったので、やはり『鎌倉殿の13人』の方が重保を殺す言い訳が立ち易い。ただ『草燃える』にもかなり苦しい設定はある。重保に”浜に謀反人がいる”と誘き出されたとしてもそれで一人で来るのはおかしい。
畠山討伐後の稲毛重成の誅殺については、後述する畠山重忠の振る舞いで謀反は冤罪だったという苦い結末から始まる。矛先を変えるという作業である。
『鎌倉殿の13人』では、小四郎は最終的には稲毛を捨て石にすることによって、非のない畠山を討伐した父に政から退かせる初めの一歩に成功するが、
「御家人たちのほとんどが畠山殿に非がなかったことを察しております。畠山殿を惜しむ者たちの怒りを誰か他の者たちにむけるというのは。」と最初に矛先を変えることを提案したのは広元(栗原英雄)である。『草燃える』では武蔵を奪い取るために畠山の謀反をでっち上げたのは稲毛だと御家人たちに吹き込み、自らが稲毛を処分したのは平六だが、『鎌倉殿の13人』では役割分担になっていて、御家人に吹き込む役は八田(市原隼人)にやらせて、稲毛の首を斬るのは平六にやらせている。
「私に隠れてこそこそ動いた罰だ。」重保の騙し討ちのことである。重保の騙し討ちには無関係だが、稲毛の誅殺には関与する。重保は潔白だが、稲毛は全く潔白ということではないので、この点も小四郎の罪が緩和されているのだ。
小四郎のバランス感覚がより発揮されているのは畠山の所領の分配についてである。本来恩賞の沙汰は執権の権益なのだが、父にペナルティがあることで納得させ、だからといって所領の分配を自分では行わない。そのために父を追いやったと思われるからだ。だから恩賞の沙汰は姉にやらせるのだ。
「小四郎、恐ろしい人になりましたね」政子にも度量があるので決して弟を否定して言っているわけではない。
『草燃える』でも政子は弟に「御所にそっくりなことを言うのね」としみじみと語っていたことを思い出す。
小四郎が父を追いやることを決めたのは、彼が次郎の首桶を改められなかったことだ。『草燃える』の42話「畠山討伐」で、時政が畠山討伐の計画を息子たちに打ち明けたときに一瞬視線をそらした場面のオマージュである。御家人たちの信を失った時政は、名を連ねられた訴状を破った小四郎に恩を売られたことにより、恩賞の沙汰の実権を奪い取られる。
「小四郎、わしをはめたな。」
「やりおったな、見事じゃ。」
この場面もおそらく43話の「父と子」のオマージュだ。次回で回収されるのだろう。
それでも松平版と比較すると小栗版の小四郎はやはり受け身に感じる。見方によってはより巧妙なのかもしれないが。次郎に矛を収めさせようと奔走する小栗版の小四郎は、『草燃える』の小四郎に比べればかなりソフトに描かれている。松平版の小四郎は早い段階から畠山を滅ぼして、それを踏み台にして父を失脚させるつもりだったのだから。
次郎の最期は稲毛の誅殺より先の話だったのに、余計なことながらつい末尾にしてしまった。
『草燃える』での次郎の最期はこのようになる。
畠山追討軍は既に武蔵の国を出発している畠山勢を迎えうつために炎天下を進軍していた。両軍が遭遇したのは武蔵野の二俣川のほとりであった。何も知らずに出てきた重忠(森次晃嗣)は、武装らしい武装もつけてはいない。重忠の部下も息子も館に引き返し、総勢をあげて戦うことを促したが重忠は首をふった。
「このままつっきろう。引き返すことは本当の謀反人のやることだ。誰がなんと言っても謀反人ではないんだから突っ切っていけばいいのだ。突っ切れ。」
畠山一族はわずか百余騎ながらその奮戦ぶりは勇猛果敢で幕府軍を大いにてこずらせた。だが4時間ののち重忠以下全員ことととく討ち死にした。
『吾妻鏡』でも『草燃える』でも『鎌倉殿の13人』でも次郎がやっていることはほとんど変わりはなく、小太郎(横田栄司)が「暴れるだけ暴れて名を残すつもりなんだよ。」と思わず叫んだように、ただただ己の誇りを守り名を残し自分の実より名を取ったのだろう。「ここで退けば畠山は北条に屈した臆病者としてそしりを受けます。最後の一人になるまで戦い抜き畠山の名を歴史に刻むことにいたしました。」と。
実は『草燃える』での畠山重忠の待遇はすこぶる悪い。
モロボシダンなのに見せ場も少なく、ガイドブックの主要登場人物紹介にも載せてももらえず、あまりにもひどい待遇に怒った挙句、三谷幸喜はこれ以上のない最高の花道を用意したのだろう。
『草燃える』でもメインは合戦ではなくパワーゲームなので、武勇よりも権謀術数を徹底的に優先し、武勇を誇る義経や次郎(知勇兼備だが)はどちらかといえば隅っこに追いやられていた格好だろう。
しかも次郎は多芸多才で楽器も出来る。『草燃える』で次郎が鶴岡八幡宮での静御前(友里千賀子)の舞で銅拍子で伴奏するシーンすらなかったことに大いに不満があった三谷は自作ではそれを実施した。確かに『草燃える』での待遇は悪かったが、特徴のあるシーンが全くないわけではなかった。小太郎(伊吹吾郎)と十郎(滝田栄)の喧嘩を腕づくで止めたシーンである。つまり2人より素手でも強いことを示唆しているのだ。それでも次郎の名場面としては乏しいことに変わりはないのだが。
壮絶な生き様の気高さに関しては両作品とも『吾妻鏡』も同じであるが、小太郎との友情や小四郎との一騎打ちという創作を盛り込むことによってより美しく仕上げている。しかもあえて泰時(坂口健太郎)を狙うことによって一騎打ちに持ち込み殺せるはずの小四郎の命を保留にすることによって、もう逃げられないぞと楔を打ち込むのだ。
『草燃える』では次郎の最期、愛甲季隆(多田幸雄)に射られる場面は残しているが、『鎌倉殿の13人』では義経(菅田将暉)や景時(中村獅童)のように最期のシーンは写さない。特に次郎が敗れたシーンを写さないことが本話のテーマに直結するのだろう。
補足
スルーされるのかと危惧していたが、平六の弟、平九郎がついに初登場だ。演じる北田タツヤは特撮との関係が深く、『戦隊シリーズ』にも『仮面ライダーウイザード』にも出演している。
尚、『草燃える』で平九郎を演じていた柴俊夫は『シルバー仮面』で主演している。妹役の夏純子は『草燃える』では後鳥羽の乳母役を、弟役の篠田三郎は『草燃える』では実朝を演じている。