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「許されざる嘘」をつくのは義経だけではない

 「許されざる嘘」をつくのは義経だけではない。源氏のほとんどの男が、まるで息を吐くように「許されざる嘘」をつくのだ。
 「わしは一度口にしたことは必ず守る男だ」
 「一度口にされたことは必ず守られる恐ろしいお方です」
 前者は頼朝(大泉洋)で後者は小四郎(小栗旬)だが、2つの言葉が連続しているわけではなく、小四郎が以前に頼朝が発した言葉を連想して返したものだ。しかも小四郎が連想した頼朝ワードはそれだけではない。
 「伊東祐親、決して許さぬ!」この言葉こそが頼朝の最重要ワードの一つだ。もっとも映えある第1話で頼朝が「祐親を殺せ」とも命じたときに居合わせたのは藤九郎(野添義弘)と工藤祐経(坪倉由幸)だけだったが、仮説が正しければ、画面には映らないだけで小四郎が立ち聞きしたということになる。
 祐親祐清の殺害の件、つまり第11話の本題に入ろう。それは政子の2度目の懐妊から始まる。当然男児が期待され、望みの子が生まれるには”親が徳を積めれば”ということになり、小四郎が恩赦を提案するに至る。「先の戰で捕らえられている者たちを許してやるというのは」と。つまり伊東祐親(浅野和之)と次男(九郎だから本当は九男だろうけれど)の祐清(竹財輝之助)への助命嘆願である。頼朝自身も小四郎の案に乗り気ではあったが、最初に「親が徳を積めば望める子が授かるようです」と助言した全成(新納慎也)が懸念を示すのだ。「お命を奪ったのは伊東祐親殿と聞いております。祐親殿が生きておられる限り千鶴丸様の成仏は難しいのではないかと」そして頼朝は、表向きは恩赦を肯定し、裏では善児(梶原善)を使って密かに殺してしまうのである。結果、第1話で頼朝が発した「伊東祐親、決して許さぬ!」の言葉はその通りになったわけで「わしは一度口にしたことは必ず守る男だ」も実行され、小四郎が「一度口にされたことは必ず必ず守られる恐ろしいお方です」と発するに至るのだ。『吾妻鏡』によれば、祐親は恩赦を潔しとせず「以前の行いを恥じる」と自害して果て、祐清も自ら頼朝に死を願い粛清されたとも平家軍に加わって討ち死にしたとも記述されているのだ。なので『鎌倉殿の13人』では恩赦は世間体のために取り繕った見せかけで、実際には殺していることを暗に示されているので、一応記述と辻褄はあう。

 ところがである。皮肉なことに『草燃える』では恩赦が無惨な結果をもたらしたことだけは同じではあるものの、その内実は全て逆になっていて三谷幸喜の悪意すら感じるのだ。祐親と祐清の最期も『吾妻鏡』の記述になぞらえていて、祐親は恩赦を辞退し自ら命を断ち、祐清も恩赦を固辞し平家に身を投じたいとすら訴えるのだ。当然もう頼朝(石坂浩二)は祐清の助命をすることは出来なくなり、またしてもその役目は小四郎(松平健)が負わされる。兄を殺したのは伊東で小四郎の敵を斬首するのが筋が通っていると。そしてこの祐清を演じたのは何と若き日の橋爪功(当時37歳、竹財輝之助は現在41歳)なのだ。しかもこの祐清は斬首される前まではほとんど台詞もなかったのだ。当時クレジットも連名になっていたことも現在の地位からすれば信じられない話だが、わずかでも祐清パートが存在していたこともあり橋爪は与えられたほんの少しのパートの中で恩赦の固辞から自身の斬首まで思う存分腕を振るうことが出来たように思う。『吾妻鏡』でも祐清は死を願い誅殺されたが、討死を遂げたという記述もある。『平家物語』では最後に平家に身を投じて討ち死にしたとある。『草燃える』では結局どの説も採用したということであろう。

 両作品における恩赦の内実が逆であるのは伊東家だけではない。大庭景親の最期でもあるのだ。
 「あの時、頼朝を殺しておけばとお前もそう思う時が来るかもしれんの上総介。せいぜい気を付けることだ。ハハハハハ」に較べるとえらい違いだ。最期までラスボス感を崩さない國村隼版の景親に較べると、あまりにも純朴なのだ。覚悟は出来ていることは同じなのだが、頼朝に謝罪はするものの命乞いも哄笑もせずただただ娘(松坂慶子)の身の上を案じながらいかにも従容として死に就く。『草燃える』では娘茜は小四郎の恋人であるという設定があるので景親のプライベート感や親としての情愛も出てくる。そのため比較的善人顔である加藤武が起用されているので、頼朝と景親の対峙はどうしても横溝正史の金田一シリーズの金田一と磯村警部を思い出す。そして頼朝が抱く景親への怨恨も『鎌倉殿の13人』と全く逆になっているのだ。石橋山の合戦が始まる前に勃発する、時政(坂東彌十郎)と景親の舌戦というエピソードは『源平盛衰記』に記されていて、両作品ともそれを採用しているが、『草燃える』の方が多く加筆している。

 「犬だに1日の餌を施されればその恩を忘れず。しかるに、お主らがありがたげにいただく大将軍こそ、犬にも劣る恩知らずだ~」景親が時政に向けて発している言葉だが、その内容は明らかに頼朝への個人攻撃である。「取り消せ」と時政は必死に応戦するが、頼朝は憤怒の顔になっている。もちろん「犬にも劣る恩知らずだ~」はどこにも載っていないし、中島丈博の創作である。両作品だけでなく他作品も頼朝は恩も仇も忘れない人間に描かれているので、この時点で景親を「決して許さぬ」という気持ちに至り、その後万策尽きて降伏した景親は頼朝の面前に引き据えられるのだ。「犬にも劣ると申したな。忘れたか?」と頼朝に尋問されるが景親は「これ以上申し開きは致しますまい。速やかに我が首を打たれるがよい」と國村版の景親の攻撃的な潔さとは違い、静かな潔さだ。そこで小四郎は景親の助命嘆願を願う立場になる。景親の娘茜の恋人であり、しかも景親が頼朝を追討する日を茜に言わせたお陰でかかる事態になったので当然であるが、茜に下心のある頼朝は父を助けると約束をしておきながら、小四郎には「やはり命を助けるのは無理だ」と言い、「そちの口から言え」と酷い告知をする。「そりゃない。そりゃあんまりです。御所」と小四郎は必死に申し立てるが、抵抗はむなしく「言うんだ。そちの口からはっきりと。あの女に」と命じられ、それでも告知は出来ず、茜と父景親の面会中に上総広常(小松方正)に連行される(実際の片瀬川での斬首シーンはない)。『草燃える』での自分への攻撃で、景親に恨みを募らせた頼朝に較べると『鎌倉殿の13人』での頼朝の景親への対応はあっさりしたものだ。「犬にも劣る恩知らずだ~」もあるわけがないし、個人的な恨みもない。面前に引き据えることもなければ尋問することもなく事務的に”処置”するだけだ。一致しているのは斬首する人間と、その後木にかけられて吊し首になっていることくらいだ。『吾妻鏡』に載っている内容だから。

 この坂東での2人の平家側の大将への両作品における扱いの違いは一体なんだろう。まず『鎌倉殿の13人』では景親においては頼朝も小四郎も個人的な関連は全くないが、祐親にはどちらもある。頼朝にとっては祐親は子供を殺した相手であり、小四郎にとっては「爺様」であり、初恋の相手の父親である。当然景親と祐親の扱いの違いが出て来るし、祐親も最期にはまるで『草燃える』での景親のように「今はお前(祐清)や八重と暮らす日日が待ち遠しい」とプライベート感を隠せなくなっている。本来祐親役は辻萬長(『草燃える』でもゲスト出演している)が演じる予定だったが、昨夏他界してしまい急遽三谷作品の常連俳優である浅野和之が継承している。無骨な祐親役は刑事や自衛官役を得意としていた辻の方が良かったと筆者を含めて多数の人が思っていただろうが、最期に見せたプライベート感はヒューマニズム感を出すのが得意な浅野にやはり分があったのかもしれない。
 一方『草燃える』では繰り返すようにベクトルが逆になっていて、小四郎に関連性があるのは、景親と伊藤家の双方である。景親は前述したように想い人の父親(『鎌倉殿の13人』とまるで反転しているかのよう)であり、伊東家との関連は疎遠になってしまった親友十郎(滝田栄)の実家であることだ(北条家とも血縁があることは全く明言されていないが)。しかし頼朝の方は自分の個人的な怨恨への執着は景親だけに注がれており、自分の子供が殺されたことは『鎌倉殿の13人』ほどには執着していないのだ。頼朝の最初の子供である千鶴丸の死後に始まった『草燃える』と千鶴丸の生前に始まった『鎌倉殿の13人』の差だと言われればそこまでの話なのだが。だから『草燃える』の頼朝は祐親をどうしても殺したいとまでは執着せず、むしろ恩赦に積極的で祐親や祐清の死を惜しんですらいたのだ。その当時高校生だったであろう三谷はそれに矛盾を感じ、自作では頼朝が祐親への恨みを募らせたことを強調したかったのかもしれない。
 そういえば石橋山の合戦の背景も対照的になっている。『鎌倉殿の13人』は夜中だが『草燃える』は真昼だ。ただ『草燃える』は一応景親と伊東家両方に関連を持たせてはいるが、『草燃える』が千鶴丸を構わないために、三谷が逆に伊東家ばかりに傾きがちになってしまい今度は景親に構わなくなっているきらいもある。それが薄々分かっているのか、國村を起用した意味がなくならないようにせめて最期には申し訳程度に相模の豪族のラスボス感を残そうとしたのだと思う。國村の所用拘束時間は多分佐藤浩市よりも短いので1年間ここでラスボスを続けることは出来ないだろうから仕方ないのかもしれないが。

 つい比較対象ばかりに頁を使い過ぎてしまったが、本稿の主題は記事タイトルなので書き出しに戻ろう。『鎌倉殿の13人』の第11話のサブタイトル「許されざる嘘」をつくのはいつも源氏なのだと言いたいのであろう。分かりやすい義経だけでなく、頼朝も恩赦を肯定しながら祐親と祐清を殺し、全成も恩赦を勧めながら2人の誅殺を暗に勧める。十郎行家(杉本哲太)に至ってはほぼ詐欺師に近いので義円(成河)を唆しながら速攻で死なせてしまう。義円が討ち取られるときの行家の逃げ足の速さとその顔芸を見ると、これまであまり出ていなかった行家の特徴がやっと出たことで、杉本の面目躍如になったと思う。ただ義経の分かりやすい嘘に関しては面白いとは思うが疑問符がついてしまう。野武士の騙し討ちのことはともかくとして義円を言葉巧みに唆して行家について行くように仕向けるくらい知恵が回るくらいなら、後白河に騙されることはないのではないかと思うが、それは皆が思うことなので多分その理由を(三谷は)考えてはいるだろうとは思う。

補足
 他の『草燃える』との相違点
 治承4年(1180)12月12日御所の完成での出来事で時政が御台所になった娘を迎えるシーンは両作品ともある。『鎌倉殿の13人』での彌十郎版の時政はまだ純朴で父親の顔で娘を迎えるが、龍之介版の時政はもはや父として振る舞わず臣下の礼を取るのだ。彌十郎版の時政は現段階では武力には長けてはいるがそれ以外はポンコツということになっているが、龍之介版の時政は常にアンテナを張っていて源氏を尊い身分のお方として接しなければ通りが悪いことを真先に察し初代執権に相応しいように描かれている。

 頼朝の所信表明で初めて呼び方が「佐殿」から「鎌倉殿」に変わる。筆者の感覚では「鎌倉殿」の普及は大体10年前くらいから始まったと感じているのだが、未だにしっくり来ない。本当に御家人たちが「鎌倉殿」と呼称しているのか怪しいように思う。『草燃える』の「御所」呼びの方がまだ通りがいいように感じる。

 和田義盛の侍所別当の就任の場面はやはり両作品ともにあるが、『鎌倉殿の13人』の義盛(横田栄司)は実は侍所別当は何をするかわからないのに立候補してしまったことを正直に口にする。確かに言われてみれば『草燃える』での伊吹吾郎版義盛の立候補は唐突だ。『吾妻鏡』にそう描かれているのだから仕方ないと思うが、高校生の三谷も義盛が侍所別当という肩書きを理解出来ているのか疑っていた節もあるだろう。無論筆者も理解出来ていない。

 巨星墜つー清盛(松平健)の臨終の話、あくまで鎌倉幕府がメインで『平家物語』を踏襲する気はないというのは分かるがいくらなんでもあっさり過ぎるのではないか?清盛の周りはほとんど宗盛(小泉孝太郎)だけで、臨終の立ち会いも二位尼時子と思われる者の姿は見かけたがモブ同然の扱いで、やはり悲しむ場面があるのは宗盛のみだ。死因も不明である。

 『草燃える』での清盛の臨終はほぼ『平家物語』を踏襲していたようで、熱病に苦しむ清盛を時子が付き添っていて、徳子も安徳天皇も、もちろん宗盛も同席していた。清盛役は金子信雄、『仁義なき戦い』の山守組長である。『草燃える』以降の松平の清盛役は民放での主演もあったが、『鎌倉殿の13人』の清盛役を松平に据えた意義が見出せなかった。何もかつての小四郎をそのままオマージュしろとは言わないが。

 それでも「頼朝の首を墓前に」の有名な遺言を残し逝く(享年64歳)のは両作品とも同じだ。

 



 『草燃える』では清盛の死に悔しがるのは義経(国広富之)だが、『鎌倉殿の13人』では意外にも悔しがるのは頼朝なのである。哄笑し涙する。「平家のどどめはわしが刺す」これは新鮮だった。






 

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