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「ポジャギ」って アートの域にはまだ遠い?

ポジャギ作家、講師をしているくせに・・・ですが、昔は手作り&古着再利用みたいなものが大嫌いでした。恐らく、そういうのをしていた親戚のおばさんが大嫌いだったから。

着なくなった洋服やらを貰って帰って、頼んでもないのにフクロウとか狸の人形?置物みたいなのを「飾ってね!」と自慢げに持ってくる。かわいくないし、趣味でもないし、いらないよ。そしてまた、我が家のものをごっそり持って帰る。「なんて図々しい人なんだ。嫌な奴」と、子供ながらに思っていた。その昔、ジーンズの脚の部分をカットして、紐を付けてバックにしてたりして「これ、私が履いてたジーンズ!リサイクルしてるの!」みたいなノリも大嫌い。いまだにそういうデザイン(さすがに今は本当の古着ではあるまいが)嫌いです。

以前の私にとってパッチワークや、その類いのものは、こういう 貧乏くさい イメージそのもので毛嫌いしていた。なのに今、そういう針仕事を職業としているなんて、人生何があるかわからない。

ノバン1

でも、今でも常に肝に銘じて作品作りしているのは、その、貧乏くさい イメージは絶対に出さない!ようにすること。ポジャギというものは、元々端切れなどを再利用することによって生まれた韓国の伝統手工芸、パッチワーク。そう考えてみると、貧乏くさくなるのも仕方がないのだけれど。

現代においては、端切れの再利用というよりも、新しい大きな生地をわざわざ小さくカットして、昔の端切れを縫い繋いだような 継ぎはぎ/パッチワーク作品を作っている。

ここで、古臭い貧乏くささを出す必要は1ミリもない!と私は思っている。

許す

韓国国内でポジャギ(正確には韓国ではチョガッポと言います)は、風呂敷などの生活用品として使われていたものだった。昨年他界された 韓国刺繍博物館  許東華さんは 「後世に残すべき韓国の芸術・伝統手工芸」としてコレクションしていた。彼がいなければ、今、韓国の博物館などで展示されている素晴らしいポジャギは人目を見ることなく消費・廃棄されていたことだろう。戦後、男性で、本人は針仕事などしないのに、自腹でポジャギを買い集めるということがどんなに大変だったことか、どんなに変人扱いされたことか。そんな中、ポジャギの芸術性を誰よりも早く見出していたというのは、本当にすごい!亡くなる数年前に直接お会い出来たのは本当に幸運でした。ありがとうございました。

高級モシ作品

私は日用品としてのポジャギよりも、ギャラリーなどでアートとして鑑賞してもらえるようなポジャギ作品を作りたい。なので、自分のポジャギ作品集を出版する際、「テーブルの上に置いた敷物としてのポジャギ」「家の窓辺に飾ったタペストリー」「日常使いのポジャギ」などのシチュエーション写真は一切ない。興味がない。これからもそのつもりはない。

だからといって、そういう作品を全然作らない!という訳でもない。ポジャギ教室をしているので、「家の窓に飾りたいんです!」「眼鏡ケースを!」「巾着を!」というリクエストにはお答えするし、実際のところ、韓国の伝統手工芸の中には、日本や世界のパッチワークにない技法やデザインなど面白いものが沢山あるし、私は韓国でそういうポジャギ作品も沢山学んできたので、みんなに知ってもらいたい。実際に自宅でポジャギを素敵に飾っていたり、ポジャギ小物を使っているのを見ると嬉しくなる。ひねくれてるよなぁ~私。

キィチュモニ

以前、ポジャギ展示会を開催したときに、それと知らずにふらっとやってきた老人がべたべたと作品を触っていたので「すいません、触らないでもらえますか?」とお願いしたところ、「なんで?」と普通に言われた。恐らくそのおじいさんにとっては、ただのパッチワーク、風呂敷程度のものだったのであろう。小さいながらもちゃんとしたギャラリーなのに、どう見ても作品を展示しているスペースなのに。正直凹んだ。「え?触って何か悪いの?これ」って言いそうな感じ。所詮その程度だったのだ。

ポジャギを知っていようがいまいが、誰が見ても 勝手に触れてはいけないような 芸術・アートと言われるレベル のポジャギ作品を作ろう!と、その時強く思った。ポジャギ作家さんの中には素晴らしいアート作品を作り出す方もいらっしゃいますが、私はまだまだ道半ば。絶対的な作品を作ろうと思う。

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございます。カムサハムニダ~ 今日も明日も良い一日を!좋은 하루 되세요!

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pojagi*sono
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