大学入学から症状発覚まで
20歳の誕生日はとっくに迎え、成人式を来月に控える者です。それでも感覚としては「10代を卒業した」としかまだ言えないのが私の幼さなのでしょうか。
大学に入ってからのこの2年弱の生活は、私の頭をハンマーでぶん殴ったりはしないけれど、つるはしでコツコツとえぐり固定観念を壊されていくような日々でした。
大学とはそもそも多種多様な土地から人が集まりますし、答えが一つとは定まらない学問の場でもあるので、当たり前のことかもしれません。また、私自身が高校までの間、小さなコミュニティでしか生きてこなかったことも要因かもしれません。
ただの田舎で燻った生活をしている一女子大生の1人語りです。それでも、どこかに書き記しておかなければこの私の貴重な2年間が、自分自身忘れてしまいそうなのでここにこれから残していこうと思います。
地元の進学校をギリギリの成績で卒業した私は、地元の県立大学に入学しました。トントン拍子でバイトも決まり(長年通っていた塾に講師として採用) サークルも高校時代から練習先としてお世話になっていた大学にインカレで入れせてもらうことになりました。
いつも、出だしだけはいいんですよ(笑)
精神的にバランスが崩れてきたのは、1年前期が終わる頃でした。「別れました」の5文字だけで40ふぁぼ稼いだくらいの時期です。おままごとのような恋愛しかしたことがなく、男性と食事に行くことは多くても深い関係になったことのない私にとって、短い期間とはいえ「別れよう」と面と向かって言われるのは初めてでショッキングでした。テストが終わるまでは気丈に振る舞いましたが、あの夏休みは寝るかバイトしかしてなかった気がします。
「男に依存してはならん」そう用心した私は、ジャグリングのイベントやバイトに熱心になりました。ありがちですね。めちゃくちゃありがちです。特に、自分が主催になって初めてイベントを企画したりしていて、その忙しさに夢中になっていました。
「そこそこ今 ジャグリングで忙しいんですよね」
バイト中の何気ない雑談。その中で特に他意も無く私が発した一言でした。
「でも、それって仕事ではないでしょ?」
上司から返ってきた思いがけない一言は、今でも私の脳裏にこびりついています。
自分なりに、全国大会に出て無名の母校を知ってもらおうと頑張ったり、大学生に混じって地方のイベントを盛り上げようと企画したり、運営に慣れない後輩の力になれるよう 「自分の好きなジャグリングのために頑張ってきた」3年間全てが否定されたような気がしました。
今でもこれは、少し引きずっています。よく知らない人からの「ジャグリング?なにそれ?」より、尊敬する上司からの全否定は私の胸には堪えました。
自己肯定感の低さから、当時の私は「まだまだ私、仕事できてないんだ」とバカ正直に受け止めてしまい、バイトに力を注ぎすぎて段々実生活が疎かになっていきました。バイトでの働きだけで人を見て、同じ大学の先輩に怒りそのままブロックしてしまったこともあります。
大学にもバイトにも行くのが億劫で、寝室から出れない。泣きながら駅まで来たけど無断欠席をする。それを紛らわせるように、慣れてないのに男遊びをして、痛い目に遭いまた泣く。そんな日々を3,4ヶ月ほど繰り返している内に、眠れなくなり、春休みに連れていかれた心療内科で診断されたのが「双極性障害」でした。