「愛している」という言葉の重さ。
noteを更新するのも
大分お久しぶりになりましたね。
その間に何があったのかは一旦置いときまして。
早速本題に入りますですよ。
先日めでたくカノジョと1年記念日を迎えた。
今まで同性とお付き合いしたときはいつも大体
2~3ヶ月で別れてしまっていたわたしからすると
1年も続くなんて本当に奇跡のようなことだな
なんて思ったりもする。
カノジョとは以前のデート以降お互いの事情もあり
直接会うことが出来ていなかったわたしたちだが
それでも時間を見つけてはLINEや電話をして
会えない時間を埋めていた。
そして今日もいつものようにカノジョと連絡を取り
2時間ちょっと電話で話していた。
今までのデートを振り返ってみたり
これから2人で叶えたいことを語ってみたり
今お互いに想っていることを伝えてみたりと
きっと第三者からしたら
ただのバカップルの会話だと思われるようなことを
わたしたちは2人でたくさん話した。
その中でわたしはカノジョへ対する想いが
これまでと少しずつ変わってきたことに気付いた。
今まではカノジョに対し「大好き」や「尊敬」等の
言葉を言うことはあったのだが
「貴女を愛している」と言うことはなかった。
それはわたしだけでなくお互いに。
何でって、それは言葉の重みが全く異なるから。
「好きだ」という言葉は友達にだって言える。
でも、「愛している」という言葉は
それよりもずっと重く、深い。
だからわたしはカノジョに対し「愛している」と
言葉に出すのをずっと躊躇していたのだ。
その言葉をカノジョに向けて発することで
果たしてカノジョの今後のことを、わたし自身が
縛ってしまうことにならないだろうか。
わたしたちはお互いにパンセクシャルであるため
いつかはカノジョも男性と結婚し子どもを持ち
所謂「普通の家庭」を築きたくなるのではないか。
そんな思いがわたしの中にはあり
ずっとカノジョに対し「愛している」という言葉を
1年経っても使うことはなかった。
けれど今日カノジョと電話をしているうちに
このわたしが、どうしようもなくカノジョのことを
愛してしまっていることに気付いたのだ。
わたしにとってカノジョは、まず何より
どんなときも常に側にいて欲しい人であって
これから先何があったとしてもきっと
カノジョとなら乗り越えられると想える人。
そして、この世の誰よりも尊敬できる人。
ああ、わたしは心の底からカノジョを愛している。
愛おしいカノジョの声を聞きながら
わたしはそんな自分の感情に気付いたのだ。
そして電話を切ったあと、わたしは勇気を出して
LINEで、だがカノジョと付き合ってから初めて
「心の底から誰よりも貴女を愛しているよ」と
まあ何ともこっ恥ずかしい文章を送った。
同性カップルは他の異性カップルに比べれば
苦労することは数えきれぬほどある。
今後結婚だって出来るかはわからないし
子どものことや金銭的な問題も出てくるだろう。
でも、それでもわたしは
カノジョと人生を共にしたいと思っている。
きっとわたしたちなら全て大丈夫だ、なんて
根拠の無い自信があるからだ。
近々カノジョとはゆっくり会えそうだし
7月にはカノジョとのペアタトゥーを2つ入れる。
そして今年はお互いの目標を叶え
2人でお金を貯めて、同棲する予定だ。
辛いことや苦しいことはこれからきっと
たくさん待ち受けているだろう。
でも貴女とわたしならきっと全て大丈夫だ。
だから、これから先もずっとわたしは
貴女のことを愛し続ける。
そんなわたしの隣にこれからも一緒にいて欲しい。
世界中の誰よりも愛しているよ。