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キラキラを振り撒いて過ぎ去る日々を生きる
育児は育自だ、とよく言われる。
それは本当にそう。
日々試される大人としての力量。忍耐力、包容力、調整力、臨機応変に対応する柔軟性、次善の策を瞬時に練れる引き出しの多さ、そして何より子供への愛情、それらが親に備わっているのか、こどもは生まれたその時から全力で投げかけてくるように思う。
私はそれらの挑戦に日々圧倒されて、結構負けている。
この世に生まれて数年の人たちに、すぐカッカしてしまう。
ちゃんと親をやれているのかわからない。
試される中で育自ができているのか、いつまでも自信がない。
と、言うタイミングで、小川糸さんの「椿ノ恋文」を読んだ。
半年前に図書館で予約していたけど、なんと250人くらい順番待ちをしていて、最近は予約したことをすっかり忘れていた。順番がきたことを知らせるメールがきて思い出したくらいだった。
本との出会いは、不思議なもので、ベストなタイミングで向こうからやってくる事がある。今回はまさにそれ。
鎌倉と小高い山のふもとで、代書屋を営む鳩子。家事と育児に奮闘中の鳩子が、いよいよ代書屋を再開します。可愛かったQ Pちゃんに反抗期が訪れたり、亡き先代の秘めた恋が発覚したり、新しく引っ越してきたお隣さんとの関係に悩まされたり……。代書屋としても、母親としても、少し成長した鳩子に会いにぜひご来店ください。
いつのまにか3人の母になっているポッポちゃん。QPちゃんなんて中学3年生!
お馴染みの登場人物たちも、それぞれ少しずつ状況が変わっていて、でも変わらず優しい空気がそこにある。
詳しい話はネタバレになってしまうから置いておくとして、私はこれまでのシリーズのなかで一番好きかもしれない。
好き、というか、今の私にとても沁みるタイミングだったというのが正確な表現と思う。
よく考えれば、QPちゃんはもう、十分すぎるくらい私にいろんなものをプレゼントしてくれたのだ。だから、今どんな態度で私に接しようが、そんなの取るに足らないことなのかもしれない。
先に書いたように、私は全くの「親」業初心者で、忍耐力もその他資質も全然足りてなくて、惨敗続きだ。
あーもうーーー!と子供にも自分にも叫んでなんとか日々を乗り切っている。
ひとから見たら及第点ぎりぎりな点数しかつけられない。たぶん赤点がつくときもある。いや、結構ある。
それでも、子供は私にキラキラを振りまいてくれる。
朝、目が覚めて、隣にいる母を認めた時の、にこぉっとほころぶような笑顔とか。
道端で摘んでくれる小さな花だとか。
見たアニメの概要を私にも伝えようと、たどたどしくも一生懸命説明してくれる声だとか。
私がどんなダメな親な日でも、変わらず私に、惜しまずに愛をくれている。
無償の愛は親から子へ与えられるのではなくて、幼な子から親に振りまかれるものだと、子供を持ってからはそう思う。
ポッポちゃんの奮闘を追いながら、私自身が分け与えてもらったキラキラを思い出していた。
毎日受け取るキラキラを、全部覚えておけたらいいのに。
雑務や、思うように物事が進められないイライラに追いやられて、せっかくもらったキラキラが手からこぼれ落ちている。
そう思うこともしばしばだけど、マダムカルピスがポッポちゃんに分けてくれたことばを、私も大事に心にしまった。
でもね、今から思えば、そういう嫌なことも全部含めて、すべてが自分の人生の栄養になったって実感するの。
何か起きても、まずはそれに逆らわずにこの手で受け取って、そしてまたそっと水に流して。その繰り返し。ただただ時間が経つのを待つだけね。
だって、時間が経つことで少しずつ見える景色が変わってくるから。毎日ちょっとずつ変わるから自分では気づかないけど、でもある日、あれ?随分と目の前の風景が変わったなぁ、って気づくの。それがトキグスリ。
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