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どちらにも困難を抱える
外部的である限り、偽りの自己であるし、それがもともとは内部的な動機であったとしてもエネルギーが外部へと向かう動作をする限りは偽りの自己にならざるを得ない。それをしないでいるということは、真にひきこもりの立場を取るしかない。
ある程度の折り合いをつけて、自らの存在を表現して生きているに過ぎない。
かといって、社会的なものは全て外部的であるのだから、社会的な世界に生きる限りは偽りであるという感覚を捨て去ることができない。
偽りの自己なんぞ使わずに生きたいと望むのであったとしても、社会的にそのようなことが叶わない。その葛藤の中で、特に自律を考える時に私とはどちらなのか、真なる生き方とは一生、抑圧され続けるのかと困難にぶつかっている。