そこに愛はあるか。
愛でしかない、「好き」ではないのだ。
完全に愛に振り切っているしかないのだ。
無償の奉仕でしか表現することができない執着的、愛着的表現であり、真っ当な対立、すなわち真っ当な付き合い方(自立した個人としての)はしてあげないという反逆であり裏切りなのだ。相手を個人として認めないほど潰しきっているからこそ愛で良いのだ。もし、真っ当な人権として相手を捉えるならばそれは強固な壁であり私の付け入る隙などなく、私はただそれを壁として見るに過ぎなくなるのだ。だからこそ、その存在自体を懐柔し破