【あなたに贈る詩】初心にもどれる詩
SNSで「どんな詩が読みたいですか?」と呼びかけたところ、リクエストをたくさんいただいたので少しずつお答えします!
▼これまでのリクエストはこちらから
「初心に戻れる詩が読みたい」とリクエストをくれたのは、大学4年生のモトキ。春からは個人事業主だね、がんばれ〜!
「僕の後ろに道は出来る」
そんなモトキに贈りたいのは、高村光太郎の「道程(どうてい)」。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
シンプルで力強いメッセージですね。不安もありつつ、それをふるい落とすような気迫を感じます。
ただ、わたしが伝えたかったのはそれだけではありません。
実は、この「道程」、発表当時は102行もあったのです。
ほぼ煩悩の数じゃん。
どこかに通じてゐる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自堕落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められかけたあの道
幼い苦悩にもみつぶれたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戦慄(せんりつ)に値(あた)ひする
支離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が生命(いのち)に導く道だつた
そして僕は此処まで来てしまつた
…続く
冒頭部ですでに長い!
これはこれでいい詩だけど、やや自己批判めいていたりうじうじしてたり(笑)
これを発表した当時、運命の相手である智恵子とは出会っていませんでした。しかし9行版の「道程」を発表するまでの8ヶ月の間に二人は出会います。決意だけを残してウジウジ部分をスパーンと削ったのには、純粋な智恵子との出会いも大きかったのかもしれないね。
彫刻家でもある光太郎は、このゴテゴテ感がある詩から、本質だけを削り出した、とも言えるかも。
高村光太郎という人の生き方
さて、「道程」の2つのバージョンを見ても分かる通り、高村光太郎はつねに自分と厳しく向き合い、表現や生活を削ぎ落としていった人です。戦争中に戦争賛美の詩を書いたことを猛烈に恥じ、東京から岩手へ。雪が吹き込むような小さなあばら家に7年間蟄居します。
〜以下、HPから〜
光太郎62歳の時です。氷点下20度の厳寒、吹雪の夜には寝ている顔にも雪がかかり、生きているものは自分と何匹かのネズミだけ。炎暑の夏には、蚊やブヨに悩まされての厳しい毎日でした。亡き妻智恵子の幻をおいながら、自らの手で自らの生活を守り、真と善と美に生きぬこうとした高潔そのものの理想主義的な生活でした。
え、思ってた以上に過酷・・・。しかも62歳だよ〜。62歳でこんな生活をはじめるの、辛すぎん・・・?
でもそれをやったのが彼なのです。(よく死ななかったよなぁ)
彼のことばは、だからなのか、とても厳しく研ぎ澄まされた魂を感じます。
時々読むと、心が洗われる。
ふりつもる真っ白な雪のなかに、一筋だけ光が見えるような。
わたしたちの道程もこれからまだ長〜いね。
高村光太郎には絶対およばない(寒いのムリすぎる)けど、自分が納得できるありかたを、決してあきらめず、何度も見直しては潔く変えていく心はもっていたいと思います。
初心とはなにか
愛する妻・智恵子が亡くなって、蟄居しながら書いた詩「亡き人に」の一部もちょっと見てみましょう。
あなたはまだゐる 其処(そこ)にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる
私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ
これ、読むたびに泣けてくるの。
彼にはもはや「初心」とかなくて、ただただ、生きれば生きるほどに純粋になっていっただけなのかもしれない。
「初心に戻る」というリクエスト、わたしはぱっと光太郎が思い浮かんだのでした。いかがでしたか?気に入ってくれるとうれしいです。
ところで、いつうちに遊びにくるの?笑
待ってるから、みんなで焚き火でもしよう。
じゃ、またね。