見出し画像

詩のソムリエの、小さな大発見《教養のエチュード》

"教養とユーモアはあなたの人生を豊かにしてくれる"
「教養のエチュード賞」応募作品です。主催者の嶋津亮太さんに宛てた手紙のようにつづります。

こんにちは。だんだん秋も深まってきました。
詩のソムリエ 渡邊めぐみです。

「詩のソムリエ」、なんのこっちゃと思われたかもしれません。これは勝手に名乗っている職業で、詩をレコメンドしたり、ダンスとのコラボやワークショップをしたりしています。

詩のおもしろさにはまったのは、6歳のとき。「ひばり」という詩集を小学校から配られて夢中で読んだのがきっかけです。学生時代は詩を研究し、会社員時代から「詩のソムリエ」を名乗りはじめました。

そんなこんなで、25年もの間《詩ってなんだろう》と考えてきたのですが、ふと、小さな大発見をしたので筆を…否、MacBookをひらきました。

これまでの話もまじえつつ、

・詩ってなんだ?
・世界最小の詩

について、お話したいと思います。よろしければお付き合いください。
どうぞ、あたたかい一杯もご一緒に。

詩の研究をしていたけど、ぜんぜんわからなかった(爆)

6年前のこと。
同級生たちがフレッシュに社会に飛び出したとき、わたしは大学院でジメジメと戦後詩を研究していました。

《詩とはなにか》について、いろんな言葉を書き留めたノートが手元にあります。たとえば、ジャック・デリダという学者の定義。

一、記憶の節約(エコノミー)ということ。
二、心ということ。   
          「詩とは何か」『(総展望)フランスの現代詩』所収

・・・・・・???
自分で書き留めたのに、サッパリ意味がわかりません(ごめん、デリダ)。

にらまんといて、デリダ。

そして「詩とはなにか」は結局わからないまま、社会に出て、荒波にもまれてきました。

合理化・効率化しながら働くのは嫌いじゃなかった。でも、それだけだと息が詰まる。ビジネス書も読んだけど、詩も同じくらいたくさん読みました。

それで、サラリーマンの聖地・新橋で詩のソムリエをはじめたとき、改めて「詩ってナンダ??」と、考えるようになりました。

詩は、欲望(本能)のひとつ。

そこで役立つのが学生時代の研究ノート。件のデリダをはじめとしたナゾ定義にまじって「欲望」という言葉がちらほら。

どうも、人には、詩にむかわせる欲望(本能)があるらしいのです。コクトーというフランスの詩人は「詩は汗!汗かかないと健康にわるいよ〜〜」と言っています。

書くことは、殊に詩を書くことは、汗をかくことに等しい。作品は汗である。汗をかかないで走ったり、遊戯をしたり、散歩したり、競技をすることは、健康によくない。『職業の秘密』

健康に・・・よくない・・・!?

画像1



要するに、人間にそなわっている生理的な欲望(本能)ってことらしい。では、どんな欲望なのか?

それは、どうも、「この現象に名づけたいという欲望のようです。わかりやすい例でいうと、人の心に響く歌詞もまた、心情を「名づけたい」という欲望が働いている場。たとえば、ポルノグラフィティの歌詞。

あなたに会えたそれだけでよかった
世界が光で満ちた
夢で会えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海がまじる           「アゲハ蝶」

この歌詞に撃ち抜かれたみなさん、同世代です(最近、肩腰つらくない?)

さて、この歌が流行った当時、わたしは小6。「付き合う」という概念が突然出てきた頃でした。はじめて「付き合いたい」と言われて、

《両思い》がゴールだと思っていたのにその先に《付き合う》があって、《別れ》がたぶん何度もあって、そしてそのずーーっと先に《結婚する》がある???っぽい???

という果てしない道のりに激しく混乱しました。

なぜ、淡く思っているだけではだめなのだろう?
なぜ、昔に戻れないんだろう?
この気持ち、なんていうんだろう?

そんな思いを、ジャンッジャンジャジャーン♫と勢いよく歌ってくれた
ポルノグラフィティの歌詞。

ボンヤリ抱えていた気持ちをピタリと表現する。
これは「名づけたい」欲望といえるし、受け手もまた「名づけられたい」欲望をもっているともいえそうです。(病名がついたときに、なんとなくホッとする感じにも近い)

他にも、生きているといろんな感情にぶち当たります。
うっすらとした孤独。不安。あるいは、言いしれない喜び。光悦。憎悪。

人はなにかを感じたとき、表現せざるを得ない、または表現したい(=名づけたい)という「欲望」が生じるものです。

萩原朔太郎氏も、詩集『月に吠える』抄でこんなことを言っています。

私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章では言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。(中略)どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思ったら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にも立たない。そこには音楽と詩があるばかりである。

また、氏は、《狂犬病患者が水を非常に恐れる》という「我々には想像の及ばない」恐れについて触れながら説明しています。

(この「奇異な感情」を表現するために、)若し彼(=患者)に詩人としての才能があつたら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩は言葉以上の言葉である。

つまり、言葉にしがたい感情に出会ったとき、言葉以上の言葉(=音楽と詩)で、表現したい、誰かに伝えたいという切ない欲望があるようなのです。

たとえ誰かに制止されても、人間は表現をやめることはできないんだと思います。それが絵であれ、詩であれ、ダンスであれ。独裁者より戦争より表現は強い。

しかし、詩は感情を伝える手段、とするには惜しい気がします。
「ナンセンス詩」「ことばあそび」など、「理解」をこばむ作品も多くあります。ちょっとこの話、続きます。

詩は「意味」だけではない

さきほどまで「詩は(現象の)名づけ」という話をしていましたが、こんな詩はどうでしょう?

たらこ かずのこ さかなのこ
だんごの きなこは だいずのこ
たけのこ たけのこ なめこは きのこ
たまご かまぼこ れいぞうこ

谷川俊太郎氏の「たらこ かずのこ」という詩です。この詩を読んで、意味や作者の気持ちを考えても(止めはしないけど)あんまりおもしろくはない気がします。なぜなら、音やリズムといったことばあそびも詩のだいじな要素だからです。

字面(字づら)もまた、要素の一つ。ひらがな(旧かな)、カタカナ、漢字(旧字体)、ルビ、漢字の閉じ開き。日本語は言葉遊びに適した言語ですね。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

                   「純銀もざいく」より一部抜粋
                 「山村暮鳥全集 第一巻」彌生書房

ひらがなで広がるこの情景。そして9行×9文字という見た目のおもしろみもある詩です。明治時代からこんな実験的な詩がつくられています。

あるいはこんな詩。

薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 
ナニゴトノ不思議ナケレド。
              北原白秋『白金之独学』より「薔薇二曲」

カタカナと漢字で、学者のような小難しい感じがうまく出ている気が。

ほかにもプレヴェール(フランスの詩人)が「雨」というタイトルで雨のように縦書きにした詩とか、寺山修司がハート型とか階段型にした詩を書いてます。(著作権的にNGな写真で載せられませんが…)

・・・

長々と書きましたが、ここからが「小さな大発見」です。
気づいたことがあります。

詩・・・名づけ。
詩・・・音(あるいは、響き)
詩・・・字面

これって、もしや…

「名前」そのものじゃないですか。

考えてみれば、「名前」は詩だ

まっさらな状態で生まれてきた赤ん坊に、願いをこめて名前をつける。
音の響き、名字との組み合わせ、字数、字面を考えて、名前をつける。

画像2

これに気づいた時、なんだか涙が出ました。

「詩は苦手」と敬遠しているひとも。
実は、生まれたときからずーっと、「名前」という詩と生きている

ちなみに、わたしの名前は「めぐみ」です。
恵まれ、そして恵みをもたらせる人に、という願いがこめられています。

ひらがなにしたのは、「漢字の『恵』だと強すぎる子になるからひらがなにしろ」という、占いの人?の助言らしい。(ちなみにわたし、空手道で全国大会に出てるので、十分強いのですが。)

どうでもいい話はさておき、友だちの「美結」ちゃんは、人と人とをしくんでいるし、「春花」ちゃんは、のおのようにかわいくて明るい。

Every child has a beautiful name!!(ゴダイゴ)

親族の名前と同じ響きでつけられている人、先祖代々ある漢字を使うルールでつけられている人もいて、めんめんと続く歴史のうたを感じます。

自分の名前が好きじゃなくても。

もちろん、親との折り合いが悪い、いじめられた等の理由で、名前を愛していない人もいらっしゃると思います。自分で名前を変えた人や、表記を変えている人を、何人も知っている。

わたしが軽々しく言えることでは、ないのかもしれないけれど、じぶんで名前をつけ直すのも、いいと思うのです。まとう詩を、親ではなくじぶんが決めて、全然いい。芸名・活動名を名乗る人もいる。なんなら、誕生日も、じぶんで名前をつけた日にしてしまってもいいかもしれない。

矢沢あいさんの漫画『Paradise Kiss』に心は女性、体は男性の「イザベラ」が出てきます。イザベラは、春に女の子として生きはじめることを決めたから、毎年春に自分の誕生日を祝う…。素敵だな、と思います。

結論。詩をまとって生きている。


詩を苦手だと思っている方は、ほんとうに多いです。

詩のソムリエをしていますというと、とたんに不安げに、また申し訳なさそうに、「詩は苦手なんです」と教えて頂くことが多い。比較的、アートやことばに興味があるわたしの身の回りでもそうなので、99%くらいの人が詩を"苦手"なんだろうと思われます。(まぁ、わたしも「得意」かと言われるとべつに得意ではないです)

でも、わたしは言いたいのです。

詩をわかる必要ない。ましてや、作者の気持ちなんてどうでもよろしい。
詩のリズムや響き、字づら、見えてくる風景をただ、味わおう。

そして、あなたも生まれてからずっと、詩をまとって生きていますよ、ということ。

ようやく気づいた。わたしもまた、ずっと、最小の詩と生きていました。
これまでも、これからも。

あなたの「お名前」は、なんですか?

詩のソムリエより

#教養のエチュード賞


いいなと思ったら応援しよう!

めぐ@詩のソムリエ
そのお気持ちだけでもほんとうに飛び上がりたいほどうれしいです!サポートいただけましたら、食材費や詩を旅するプロジェクトに使わせていただきたいと思います。どんな詩を読みたいかお知らせいただければ詩をセレクトします☺️