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詩のレシピ2020振り返り

詩を好む人は、ことばのグルメ

ポエジオ食堂は、2020年3月にはじめた《詩を食べる仮想の食堂》。
"ポエジオ"という聞き慣れないような、なつかしいような響きの言葉。エスペラント(世界共通言語)で詩情のことです。

エスペラント(「希望する人」の意味)…ポーランドのラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが1887年に創案し弟子たちと作った人工言語。宮沢賢治が魅了されたとも。

「詩」にはそれぞれ固有の香りがあり、噛みごたえがあり、味があり…つまり、「味わう」ことができるのではないかというのが詩のレシピをはじめたきっかけでした。

最近読んだ『そんなとき隣に詩がいます』(谷川俊太郎詩撰)の谷川俊太郎さんによる後書きに、「詩は美味いか不味いかで判断していい。詩を好む人は日本語のグルメだ」とあって、彼に肯定されたようですこしうれしかった。詩は小説にくらべ余白が多く、じっくりことばを味わうにはいい。何度も何度も、味わえるのもいい。

今年のレシピ3選

今年つくったレシピは30。



たくさんの方に読んでいただけたのはこちらでした!(多謝)

1位 プラテーロとわたし(ヒメーネス)/アンダルシアのセラニート弁当

2位 木蔭が人の心を帰らせる(谷川俊太郎)/新じゃがのヴィシソワーズ

3位 美しい少女一人を好きになり(佐佐木幸綱)/人を好きになった日のシャーベット

1位はちょっと意外。たくさんの方に読んでいただきうれしいです!

個人的なレシピ3選

PV数は上記の通りでしたが、「詩とレシピのマッチング度」でいうとランキングはかなり変わるなーと思う。なので「読まれてないけど詩とレシピのマッチング度が高い」レシピを自分で選んでみました。
(手前味噌企画ですみません・・・)

1位 頭の中で白い夏野となつてゐる(窓秋)/白いガスパチョ

俳句のガツンと来る感じや、あとを引く印象がバチッと響き合う気がします。日本の俳句とスペインのスープの意外なマリアージュ。

2位 春芽ふく樹林の枝々くぐりゆき(中城ふみ子)/アスパラのサラダ

体中からすべてを新しくしてくれる恋。(彼女は病に冒され、そして4人の子どもを抱えての道なき恋でしたが)「作る」「食べる」ことを通じて彼女のはだかの魂に向き合えた気がしました。

3位 息を呑むほど夕焼けで(石川美南)/にんじんの濃厚リゾット

息をのむような夕焼けの色と印象をとじこめたリゾット。なんと歌人の石川美南さんご本人が作ってくださってすっごくうれしかったのも思い出。

詩をレシピに翻訳することの意味ートランスレーションズ展をきっかけに

さて、深く振り返ると、一体なんで「詩を食べる」なんてことをやっているんでしょうか。これを機に書いてみたいと思います。

「詩を食べる」というのは、詩をレシピに翻訳すること

「詩の紹介だけしてても敷居が高いから、食を組み合わせたらどうか」という思いもあってはじめたこの「ポエジオ食堂」。「詩の翻訳」という行為について思惟がぐっと深まったのは、今年10月に行ったドミニク・チェンさんのトランスレーションズ展がきっかけでした。


お手伝いさせていただいたフォーラムでドミニク・チェンさんのお話をうかがったときから楽しみにしていたのです)

スポーツを目が見えない人に伝えるダイナミックな「翻訳」や、翻訳できないことばなど、あらゆる「トランスレーション(翻訳)」が展示されたすばらしく文化の奥行きを感じさせてくれた展示「トランスレーションズ展」。そのなかに、食文化についての映像作品がありました。
食についての思惟は、文化についてあらためて考えることにつながります。

映像で印象的だったのは、料理が軽々と翻訳され、まとっていた伝統的ルールをぬぎすてていきながら国を超えていくこと。たとえば、パッタイというタイ料理は米粉の麺を使う「伝統文化」をもっている…にもかかわらず、クックパッドにはうどんを使っているのに「パッタイ」と名乗るレシピが数多く存在する。それらが否定的なニュアンスではなく淡々と写された作品で、翻訳と文化のミクスチュアの問題がからみあって感慨深かったです。

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実は、レシピには「著作権」がありません。(レシピ自体は「手順」なので。ただしレシピを書いた記事には著作権があります)そこで自在に翻訳されていき、国境をこえ拡散していく。「文化」「伝統」「テロワール(風土)」といった根っこはかんたんに引き剥がされ、情報として軽やかに拡散していく。("パッタイ"のレシピを日本で書いている人の多くが、タイでパッタイを食べたことがないだろう、おそらく)

一方で詩はどうか。
詩のオリジナリティは法律で厚く守られ、「翻訳」はオリジナルの詩情をおびやかす。

海外詩の日本語訳もしっくり来ないし、万葉集や俳句の英訳を見ると、うーむと思うこともあります。(もちろんめちゃくちゃ名訳もあるけど、それはもはや翻訳者の作品なのでは?と思ったりする)

たとえば、「いたづらに」というふくらみのあるゆかしい言葉を、「in vain(無駄に)」と訳せるんだろうか?「いたづらに」という五音も余韻もくずれてしまいます。

「詩」ということばの結晶に、翻訳という壁はとても高く見えます。

そこで、自在に变化しながら人々を楽しませる特性をもつ"レシピ"を組み合わせることで、軽々として気持ちのいい翻訳の風を吹かせることができるのではないか…。

だからなのか!

「トランスレーションズ展」を見て得心。

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「詩情」は世界共通のもの

実は、「ポエジオ」というエスペラント語(世界共通言語)を採用したのは理由があります。エスペラント語にちゃんと「詩情」という言葉があることを発見したときの、じわっとしたうれしさ。

その土地に、その土地の詩情が宿っている。

どこの地域が風光明媚だとか文化的に優れているだとかそういうことではなく、おばあさんがひなたぼっこする椅子に、種まきされたばかりの土に、朝食をこさえる若い父親の手つきに…詩情は宿る。

詩には「翻訳」の壁があっても、「詩情(ポエジオ)」は世界共通のものだと信じたい。それでレシピの力を借り、日本の詩にイタリアや海外の料理をあわせたりしています。

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今年は詩のワークショップや恋愛短歌ラジオなどたくさんできて幸せな一年でした。

来年もよろしくお願いします!




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