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【進撃の巨人という哲学書】7.人と社会と社会と人と ~11話~

アニメタイトル:第11話 偶像

あらすじ

突然に巨人化したエレン。
その身をピクシス駐屯兵団司令官が守ります。
さて、エレンの今後は。。。
壁に穴を開けられ巨人が入ってくる人類の今後は。。。

巨人を目の当たりにした兵士たちは、あまりの恐ろしさに怖じ気づきます。
どうせ戦って巨人に食われるくらいなら、家族の元に帰りたい。
そんな離脱希望兵が多く、ざわつき始めます。秩序が崩れ始めます。

その時、ピクシス司令官が演説を始めます。

「ワシを含め、人類全てに罪がある!」
「人類が滅ぶのなら、それは巨人に食いつくされるのが原因では無い。人間同士の殺し合いで滅ぶ。我々はここより奥の壁で死んではならん。どうかここで。ここで死んでくれ!」

その言葉で逃げ出しそうな兵士たちも戦う決意をするのです。

エレンの巨人化能力を利用し、大岩で破壊された扉の穴を塞ぐ作戦です。
その間に兵士全員でエレンを援護します
ある者は壁の上に集まり、巨人達を誘き寄せ、精鋭たちはエレン巨人に襲いかかる巨人を倒します。
問題はエレンが巨人としてちゃんと機能するかどうかです。
エレンの巨人化という恐ろしく曖昧な根拠に人類の存亡を賭けるに値するかです。

さあ、巨人の進行に負け続けたきた人類が一矢報いる事が出来るでしょうか。


あれこれ考えてみよう。

ピクシス司令官
「ワシを含め、人類全てに罪がある!」
「人類が滅ぶのなら、それは巨人に食いつくされるのが原因では無い。人間同士の殺し合いで滅ぶ。我々はここより奥の壁で死んではならん。どうかここで。ここで死んでくれ!」

社会は人が作ります。
大海を泳ぐイワシの群れは、無数のイワシの泳ぐ方向によって形を変えます。
その一匹一匹に泳ぐ方向を決める意志を持っているのでしょうか?
その群れ事態がイワシ一匹一匹に泳ぐ方向を支持しているのでしょうか?
その群れは不連続の連続で幾何学模様に変化し続け海を漂います。
不思議な光景です。
まるでそのイワシの群れと同じように、人間社会は誰一人望んでいないのに、時に足並みを揃えて地獄へと落ちて行きます。

その典型が「戦争」でしょう。
戦争責任は誰にあるのでしょうか?
もちろんA級戦犯で裁かれた者たちに責任は逃れる事はできません。
しかし、彼らにも彼らなりのそうしなければならない理由がきっとあったはずです。
それを止められなかった上層部、それに簡単に洗脳された民衆、一人一人にも責任があります。
しかし、その民衆、一人一人にもそれに従わなくてはならい理由がきっとあったのです。

「ワシを含め、人類全てに罪がある!」

その地獄の責任は人類全てに罪です。
遠く遠くの戦争も私に責任の一旦はあります。
どこかのイジメの遠因は私のもあるのでしょう。
ニュースにもならない詐欺や窃盗や強姦や、それら事件の一旦も私にもある気がします。
天国にしろ地獄にしろ、その原因は自分にあり、今が地獄であるならそれは「ワシを含め、人類全てに罪がある!」のです。

それに自覚なき者は、全てが受け身であった人生を反省する事もなく、全てを誰かのせいにして、戦わずして死んでいきます。
それに自覚ある者も、その責任の一旦を償うかのように、胸を張って戦い死んでいきます。
いずれにしろ、愛する者を守るために戦うのです。
戦う意義、死ぬ意義とは、生きる意義の証明なのかもしれません。

イワシの群れにも反転してクジラと戦うことがあるのでしょうか?
それぞれの愛するものを守るために。

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