【進撃の巨人から見る心】58.人種差別について考える ~68話
アニメタイトル:第68話 義勇軍
あらすじ
アルミンの回想です。
3年前。
マレーからパラディ島への調査船が度々きましたが、それを察知していた調査兵団。
進撃の巨人の力で上陸を阻止しました。
その折、イェレナという大柄の女性やオニャンコポンなどの「反マーレ派義勇兵」たちがパラディ島の調査兵団と手を組みます。
彼らが言うのです。
「私達はジーク・イェーガーの命を受け上官を撃った反マーレ派義勇兵です」
「始祖の巨人」を有するエレンと「王家の血を引く巨人」ジークが手を組めば、「不戦の契り」は発動せず、「地ならし」を行う事ができる。
マーレ国側の反発分子がパラディ島側と手を結び、それを裏でジーク(獣)が指示している。
物語はますます複雑になりそうです。
あれこれ考えてみよう。
しかし今回は調査兵団たちとオニャンコポンのちょっとした会話を考えてみたいと思います。
サシャ
「オニャンコポンはどうして肌が黒いのですか?」
オニャンコポン
「俺達を作った奴はこう考えた。いろんな奴がいた方が面白いなって」
「巨人になる人間ユミルの民も同じさ。俺たちは皆、求められたから存在する。」
アルミン
「誰が僕らを作ったの?」
オニャンコポン
「始祖ユミルの力を与えた存在。すなわち神だ。」
「そう考える者もいる。考えるだけなら自由だろ。」
物語の流れとしては、あっても無くてもいいような小さなシーンなのですが、これを観る世界の【進撃の巨人ファン】達の反応が面白いのです。
サシャの「オニャンコポンはどうして肌が黒いのですか?」という問いだけで、黒人や白人の反応が凄いんです。
もうその瞬間のリアクションだけで、凄くデリケートな話なんだなという事が分かります。
ところがです。結局みんな反応は同じなんです。黒人も白人も同じです。
「初めて黒人を見たらそうなるわな~。」なんです。
しかしその「初めて黒人を見たらそうなるわな~。」の裏にはというせつない思いが隠れているような気がします。
確実に世界には人種差別があります。
人類はその人種差別という罪を知っています。自覚しています。
しかしその人種差別は無くならなりません。
その罪悪感を押さえるように人間は「神」などという言い訳を作り上げたのだけれど、やはりその「神」の為に争ったりします。
「無知は罪なり」とソクラテスは言いましたが、はたしてホントにそうなのでしょうか。
この場合、「知識は罪なり」の方が正しいのではないですか?
ソクラテスと議論をしてみたいものです。
私は無神論者でそのくせ多神論者だから「神」などという存在にすがりつく気はありません。
「俺達を作った奴はこう考えた。いろんな奴がいた方が面白いなって」というオニャンコポンの言葉が私の価値観とピッタリです。
「いろんな奴がいた方が面白い。」
それは、面白がれる度量の問題で、他民族を嫌うその心理は怖れの象徴で、つまり自分の弱さの合わせ鏡なのだと思うのです。
当然、「嫌中」「嫌韓」を叫ぶ日本人に中国人や韓国人の友達はいないでしょう。
逆に中国人や韓国人の友達を持つ日本人は「嫌中」「嫌韓」などと言わないでしょう。
単純に度量の問題だと思うのです。
度量でいうなら織田信長はイエズス会の宣教師が連れていた黒人奴隷に「弥助(やすけ)」という名前を与えて家来としました。
「信長は黒人奴隷の服を脱がせて体を洗わせたところ、洗い擦るほど一層肌が黒くなった」という逸話や「黒人は信長様から家臣として召し抱えられて俸禄を得た。名前は弥助とされた。短刀と屋敷なども与えられた。時折、信長様の道具を運ばされた」
などの逸話が信長公記にも記載されています。
弥助は武田との戦いにも参戦し、最後は本能寺の変のその現場にいたのです。弥助は信長の死んだ後も、息子の織田信忠が籠もる二条城に駆けつけて刀を振るって奮戦したが、最終的に降伏したそうです。
その後、弥助の記録はありません。
が、信長は黒人奴隷「弥助」を大切な家来として側においていた事は間違えが無いのです。
度量とはこういう人の事をいうと思うのです。
「オニャンコポンはどうして肌が黒いのですか?」という言葉は
「あなたはどうして生れて来たのですか?」という問いに近い気がしています。
そんな純粋な問いにあなたは即答できますか?
「きっと僕みたいな奴がいた方が面白いと神様が思ったんだろうね。」
これからは、そう答える事にしましょう。