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Zohab Zee Khan ワークショップ・レポート "詩人の授業"(後編)


ポエトリースラムのオーストラリアチャンピオン、Zohab Zee Khan(ゾハブ・ズィー・カーン)。彼が来日した際にインターナショナルスクールで行った、詩の一日特別授業のレポート・後編をお届けします。

同じ教室のなかで学年の違う複数の学生グループを相手に、目の覚めるような手際良さで詩のレッスンを進めるゾハブ。取材したマエキクリコさんは前回、その様子を「まるで2つの大鍋を火にかけつつ、同時進行でデザートも作るシェフみたい」と表現されていましたね…(まだ前編を読んでいない!という方はこちらから!)。

後編では、詩人の授業もいよいよクライマックス。一日の仕上げは学生たち、そしてゾハブによる朗読ステージです。その熱気をぜひ感じてみてください。詩を作ること、味わうこと、学ぶこと…について、様々な発見があるはず!


半日で(!)詩人として成長する生徒たち


ランチルームは、食欲旺盛な男子生徒達のエネルギーで満ちていた。セント・メリーズ・インターナショナルスクールは、50カ国以上の国から集まった幼稚園年長児から高校3年生までの男子約900人が通う大規模なインターナショナルスクールだ。多国籍の子ども達が、ホットランチと呼ばれるバイキング形式の給食を楽しんでいる光景を目のあたりにすると、つい日本にいることを忘れてしまう。

こうして今は日本で学び、いつかは世界に羽ばたいていく彼らも、ゾハブの定義によればみな詩人なのだ。それを彼が伝える前に自覚し、丸1日コースを選択した11人は本当にラッキーだと思う。その希少さは、この世で自らを詩人と認識している者はほんのごくわずかという現実の縮図のようだ…そんなことを考えながら、私は教員達と一緒に昼食を食べていた。

ランチタイムが終わると、食べ盛りの胃袋を満たした生徒たちが、図書室の席を徐々に埋め始めた。図書室に集まったのは、おなじみポエトリー隊と最後の第3グループ。午前中のグループよりも少しゴツい感じの高校2年生と3年生だ。「詩なんか興味ないんっスけど」みたいな雰囲気を漂わせている生徒あり。しかし、そんな人にも詩を身近に感じさせ、詩をエンターテイメントにしてしまうのが、ゾハブなのである。

ポエトリー隊にはもう常識となった詩の定義から、第3セッションは始まった。「詩って何だ? 口が利けるなら、みんな詩人だ。そこの君の髪型、かっこいいじゃないか。朝、髪のセットにどのくらい時間かけてる? 君の毛だって、詩なんだよ。そっちの君は詩人かい? …『違う』って言った声の抑揚、首を傾げてるそのニュアンス、それも詩なのさ」
こうして詩が、毎朝手に取る整髪剤くらい身近になる。同じ定義を語るにも、目の前にいる相手に合わせてたとえを変えるゾハブ、さすが生粋のパフォーマー詩人だ。

毎度ながら人類皆詩人説で、古参も新参も等しく詩人とのたまい、舞台が温まったところで、この日3度目のライブ朗読が始まった。”Lost”、自らの欲望に飲まれていく人間に対して警告を鳴らす激しい詩だ。熱い詩の炎は、朝から煮込まれている鍋も、ついさっき火にかけられた鍋も、等しく包み込む。初めて聞く者にとってはまっさらな驚きと感動を、リピーターにとってはクセになる心地よさを、ゾハブの朗読は与えてくれる。正直でストレートなメッセージが、センスとギミックに溢れた言葉に紡がれ、メリハリの効いたパフォーマンスを通して体験されるからだろう。

第3グループの指導を始める前に、ゾハブ隊長はポエトリー隊に共通任務を与える。
「俺がこっちのグループに詩のスタンダード・コースを教えている間、君たちはグループポエムの添削をするんだ。まず、共通テーマについて書いた自分の詩から一番気に入った一行を選ぶ。仲間の意見も聞いてごらん。そこからひとつの詩にまとめ上げるんだ。行の編集はもう体験済みだよね。あとで俺も聞きにくるから。じゃあ任せたよ」 
それぞれの詩人の脳から流れ出てきた赤裸々な思い、生まれた言葉に凝らした修辞法の数々、そこから珠玉の一行を選ぶことは容易ではないだろう。午前中に積み上げた自分の財産である詩のページを握りしめ、ポエトリー隊のメンバーは少し離れた図書室の一角に集結する。

そしてゾハブは第3グループの学生を相手に、Brain Dump、詩の技巧、大喜利四行詩、そして八行詩人体編集、と詩の授業のフルコースをふるまった。最終グループは高校生ということもあり、内容はさらに高度に、そして深くなる。詩を通して自分を愛し、他者を理解し、世界と繋がる、そのプロセスが約1時間のレッスンで体現され、伝授される。3度目のスタンダード・コースをはたで見ていても、全く飽きない…のだが、隊長不在のポエトリー隊はどうしているだろうか、とふいに気になった。

図書室の片隅に行ってみると、ポエトリー隊が今日のハイライトとなるグループパフォーマンスの準備に励んでいる。ゾハブ隊長がいなくても、自発的に隊長や副隊長的な役割を担う者が現れていたようだ。

「お前がその行を最初に読んで」
「そことそこは、並び替えた方がよくね?」
「このパンチラインは全員で一緒に読もう。サンハイ!」

ああでもない、こうでもない、と言いながら、少年たちは水を得た魚のように楽しそうだ。こうして彼らは半日のうちに、自分たちだけで添削と編集を行う自立したパフォーマー詩人に成長したのだ。彼らは、共通のゴールに向かって切磋琢磨する同志だ。お互いの詩に耳を傾けながらも、率直に自分の意見を交換し合う、温かくも風通しの良い空気がそこには流れていた。


「ここに立っている一人一人は、間違いなく詩のレジェンドだ!」

そこへ、
「やぁ、ポエトリー隊! いい調子じゃないか。仕上がってきてるかい?」
と、隊長のお戻りだ。もちろん、とばかりに張り切った若き詩人たちは練習の成果を披露する。立ち並んだ順に次々と詩を回していく様子は、まるで言葉のバトンリレーのよう。ゾハブのアドバイスを受けて、詩のバトンはよりスムーズに、より力強く運ばれていく。

「パンチラインを、もう一回言って」
“Dreams take time!” (夢には時間がかかる!)
「息を揃えて、もう一度」
“Dreams take time!”
「もう一度!」
“Dreams take time!”
ユニゾンパートを繰り返す度に連体感が強まり、11人の詩人がひとつの詩になっていく。

「いいねぇ! お前たち、最高だよ。緊張する必要なんかない。きっと上手くいくさ。さぁ、そろそろライブの時間だ。みんな、行こうぜ!」
緊張感、自信、照れ笑い、様々な感情を顔に浮かべながら、生徒達はその日ポエトリー道場となった図書室をあとにする。

決戦は午後の2時。学校の講堂に全校生徒が集まった。今日、この稀有な詩人の授業を受けられなかった不運な生徒たちのほうが圧倒的に多いのだ。自分も詩人だとは、露も知らない観客席の少年たち。皆が席に座ると、今日のライブの主役がステージの真ん中にすっくと立った。

「俺はオーストラリアのスポークンワード・チャンピオン、Zohab Zee Khanだ。これから、君たちに詩の話をしたり、詩を聞いてもらうことを、楽しみにしているよ。まずは、今日の朝から詩のワークショップに参加してくれた君たちの仲間を紹介する。さぁ、ポエトリー隊、前に出て!」

全校生徒の前に出てきた11人のポエトリー隊が、横一列に並ぶ。一編の詩の体現者となるべく。ゾハブは彼らを讃え鼓舞する。

「ここに立っている一人一人は、間違いなく詩の戦士だ! ここに立っている一人一人は、間違いなく詩のレジェンドだ! 今この時のために、彼らが共に作り上げた詩を聞いて欲しい。では、スタート!」


「夢には時間がかかる」

夢には時間がかかる
10秒じゃ叶わない
夢には時間がかかる
人々を別世界に導く
夢には時間がかかる
簡単には叶わない
夢には時間がかかる
夢は自分のために、成長し変化する力
夢には時間がかかる
間違っちゃいけない
夢には時間がかかる
毎日、悪口言われても、
夢には時間がかかる
川上る銀の鮭のように、夢を目指せ
夢には時間がかかる
夢を見れたなら、その夢になれるんだ
夢には時間がかかる
いじめる奴らのケツを蹴っ飛ばしたいぜ
夢には時間がかかる
僕らの心と思いと魂を解き放てる世界が欲しい
夢には時間がかかる
そう、夢には時間がかかる
だから、語る時には遠慮なんかするな
正直になれ
自分に最大級の約束をするんだ
立場を明確にしろ
ごまかすな
辛抱強くなれ
図々しくなるな 
全てを迎え、全てに向き合う準備をするんだ 
なぜってそれは、 
夢には時間がかかるから!


全員が繰り返し力強く発するパンチライン、“Dreams take time!” は圧巻だった。時間軸になぞらえたような少年詩人たちの並列。向かって左端の生徒から順々に、夢への憧れと葛藤が詰め込まれた詩の1行を放っていく。ソロとユニゾンが交互に繰り出され、個々の思いと仲間の思いが、空間に編み出される。少年たちの過去と現在と未来が重なり鳴り渡る。そして、最後のソリストである右端の生徒が、夢見る若者を励ますかのようなラップで、畳み掛けて盛り上げる。締めくくりに全員によるパンチラインが一段と声高く響いたあと、会場からは大きな拍手が湧き上がった。

この若きポエトリー隊は、朝からスラムチャンプにみっちり訓練されてきた。昨日までは聴衆と同じような生徒だったけれど、今日は自ら志願して代表となった詩のアンバサダーなのだ。一日中詩を吸って吐いてきた11人が立派な詩人代表となる様子を見ていた私は、彼らを誇らしく思った。


「5回目の挑戦で、やっと…」スラム・チャンピオンへの道


それから、ポエトリー隊の中でソロ朗読を希望した勇者が2人、自分の詩を読み出す。全校生徒の前で、そして一国のスラムチャンプの前で自作の詩をソロ朗読するなんて、なかなか勇気のいることだ。もしかすると、彼らの中から将来ポエトリースラムやオープマイクで活躍する者も出てくるかもしれない、などと思っていると、舞台は再びスラムチャンプのものになった。語られたのは、夢を持った一人の若者が、やがて夢を叶えるまでの歴史。

「まずは、どうして俺が詩人になったのか話そう。俺が詩人になろうと思い立ったのは2009年、大学生の頃だった。スポークンワードポエトリーをYouTubeでみたのがきっかけだ。俺ならもっと上手くできるぜ! そう思った。自信はあった。実際、オーストラリアン・ポエトリー・スラムのローカルの予選から州大会までは、楽に勝ち進んだんだ。

まだまだイケる! そう思っていたけど、本番でなんと…頭が真っ白になって言葉を忘れてしまったんだ。なんてこった! バカバカしい! もう詩なんかやるもんか。そんな気持ちでいっぱいだったけど、15分経って、詩人の俺は復活した。いや、次こそ勝つぞ、ってね。2010年のことだった。

それから、一年が経った。2011年、またローカルの予選から順調に勝ち上がり、州大会のトップ5まで残った。だけど、そこでまた頭が白紙。ありえね〜! かっこわり〜! 詩なんて、もうやめたやめた! でもやっぱりしばらくすると、俺の中の詩人が頭をもたげてきたのさ。いやいや、今度こそは、ってね。

2012年にはとうとう州大会を勝ち抜き、やっと全国大会に出場した。なのに、そこで負けちゃったんだよ。5分ほどいつもの敗者モードだったけど、いやいやいや今度こそ、とすぐにやる気が戻ってきた。2013年、また州大会を勝ちぬき、全国大会に出たが、そこでまた負けた。

そして、2014年。決勝の会場はあの有名なシドニーオペラハウスだった。そして、5回目の挑戦で、やっと俺は勝ったんだ! そこで、俺の心を満たしたのは…感謝だったよ。今、自分がここに立てること、それがありがたいという思いでいっぱいだった。じゃあ、そこで読んだ詩のひとつを披露しよう」

朗読されたのは午前中にもパフォーマンスされた、“I Write”。なぜ詩を書くのか、その詩は何をなすのか、ゾハブの詩人としての存在意義の塊のようなシグニチャーポエム。意味深くもクールでリズミカルな詩にじっと聞き入る少年たち。詩の朗読が終わると、ゾハブは言った。

「じゃあ、今度は自分の生い立ちのことを話そうと思う」


「ずっと覚えていて欲しいのは、自分を愛するってことなんだ」


「俺はオーストラリアの田舎町で育った。800人くらいいた子どもの中で、俺と同じ肌の色で同じ髪の色の子は一人もいなかった。そのせいで、俺はからかわれたり、いじめられたりした。ひどい話だろ? 本当に孤独だった…。

「ある日、そのことについて祖母に話してみた。するとばあちゃんは言った。『おまえは、特別な人間なんだよ。みんなと違ってたって、何も悪くない。肌の色? 素晴らしいじゃないか! 髪の毛?カッコイイじゃないか! 私はおまえが大好きだよ! おまえも自分を愛してやりな』ってね。

それから、俺は自分を観察し、自分と向き合うようになった。そうだよな、自分はみんなと違っていようがカッコイイ、俺の頭の中で考えてることはクールだ、そう思うようになった。そして頭に中にあることを紙に書き出してみたんだ。すると、俺にしか思いつかないようなアイデアや言葉がどんどん湧いてきた。どんどん自分が好きになり、自分とつるむのが好きになった。これが、詩人の俺の始まりさ。

いいか、自分というのは世の中に1人しかいない! だから、まずは自分と過ごして、自分で自分が言うことを、しっかり聞いてやらなきゃいけない。自分が何が言いたいのか、何がしたいのかを理解し、自分を好きになる。それが出来なくても、それを人のせいにしちゃいけない。たとえ、世の中に自分を理解して好いてくれる人がいなくても、まずは自分から始めればいいじゃないか。そうしたら、周りにも自分のことをわかってくれる人や好きになってくれる人がきっと現れるようになるんだから。

それに、自分を受け入れることができたら、他の人の言葉を理解して受け入れることも、その人達を好きになることも簡単になってくるんだ、本当に。自分と違うから、自分達と違うからといって、相手をバカにしたり、相手を嫌うのは、つまらないことだし、カッコ悪いだろ。

今日は、俺は詩人としてこの学校に来た。俺にとって詩人であることはエキサイティングで素晴らしいことだ。言葉を持つ人間は全て詩人だ、と俺は思っている。

でも、俺がみんなにずっと覚えていて欲しいのは、みんな詩人になれってことよりも、自分を愛するってことなんだ。どんな見た目でも、どんな言葉を話しても、みんなそれぞれ唯一無二の存在で、クールなんだよ。そんな自分がこの世でどう生きて、何をするのが一番似合ってるのか、自分とよ〜くつるんで見つけて欲しい。それが俺の願いだ。…では、最後の詩、”Imagine”」


この詩は、この殺伐とした世界の不条理を、想像力で洗い流そうと呼びかける声だ。キング牧師の夢や、ジョン・レノンの想像の系譜に連なる、ゾハブの詩。この詩のDNAが聴いている次世代の若者たちに受け継がれることを願わずにはいられない、そんな時間だった。

朗読が終わりチャンプからの最後の「Thank you!」が響くと、それまでしんと聴き入っていた皆の熱く長い拍手が彼を包んだ。そこに生徒たちを現実に引き戻すかのような校内チャイムが鳴り、詩の息吹を吸い込んだ少年たちは4月の澄んだ青空のもと校外にバラバラと散らばって行った。


「学生時代に、あなたみたいな先生に教えてもらいたかった…」
思わずそんな言葉をこぼした私に、ゾハブはこう言った。
「 『こんな大人に出会いたかった!』 かつて子どもだった自分がそう願ったような大人に、今の自分はなろうとして生きているんだ。」
そうか、と私の目から鱗が落ちた。

確かに、これまで出会えなかったのならば、自分がその人になればいいのだ。不完全な過去へのフラストレーションを、未来へのモチベーションにする。自分のジェネレーションに足りなかったものを、次のジェネレーションに対して提供できるように。詩の世界だけでなく、あらゆる分野で人がそんな風に生きることができたら、きっとこの世は良い方に変わっていける。たとえ一行ずつでも。

「こんな人に教えてもらいたかった」という受け身な思い、それが「こんな人に出会いたかった、と思うような人に自分がなろう」という積極的な思いに変えられた貴重な一日であった。それも素晴らしく詩的な方法で。


ゾハブの翻訳詩リーフレット『IMAGINE (想像する)』


                        (取材・文:マエキクリコ)


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