ポエトリーリーディングが内包している、文字と肉体が組み合わさって言葉になるものと私は一生付き合っていく。<PSJ2018ファイナリスト・浅葉爽香>
2017年春大会で、ポエトリースラムジャパン(PSJ)に初出場した浅葉爽香さん。ありのままの自分、自由である自分を追って、様々なスタイルでポエトリーリーディングを行っていました。浅葉さんは学生(取材当時)として学校でも詩を学んだり、PSJだけではなく自分でイベントを開いたりしています。
彼女が大切にしているのは「自分の肉体で言葉を話す」こと…
ポエトリーリーディングを通じて彼女はどんどん成長していっています!
PSJは2018年の大会で三回目という、浅葉爽香さんにインタビューしました!
肉体で言葉を話す ~ポエトリーリーディングとの出会い~
―PSJが終わって今どんな感じですか?
浅葉:そうですね。PSJが終わらない限りには他のものには手を付けられなかったというのもあって、前後1~2週間どこも行けなかったですね。だいたいカラオケこもって練習していましたし、書けなかったとき本当に書けなかったんで、部屋のベッドでうわぁぁってしていました(笑)。そしてやっと自分で打ったイベントに手を付けることができて、終わった感じですね。
―浅葉さんがポエトリーリーディングに出会ったのはいつですか?
浅葉:大学一年生の時ですね。確か18歳とか19歳の時です。
―出会ったきっかけは何ですか?
浅葉:大学のサークルの先輩に、ポエトリーリーディングをしていらっしゃる向坂くじらさんがいて。くじらさんがPSJに出ていたのを見て、それきっかけで参加しましたね。ポエトリーリーディングを始めたのは、大学で学んでいることが現代詩で、大学で詩とちゃんと関わることができて、そしてサークルの先輩方や先生から「詩は肉体で表現することができるんだよ」と教えてもらったのがきっかけです。私の教授が中村文昭先生と福島泰樹先生で、結構強くご教授いただいていたんですが、本当にお二人とも凄いんです。
私は、中村文明先生がおっしゃっている「肉声の復活」という、「『紙に書いてある黒と白の文字はインクの染みでしかない』ということをまず理解してから、言葉というものを書き始めなければいけない」つまり「肉体がしゃべっていない言葉、肉体が思っていない言葉を書くな」という教えに強く刺激を受けていますね。あとは福島泰樹先生は短歌を朗読したり、ロックと合わせてポエトリーリーディングをしたりしていらっしゃる方で、ポエトリーリーディングはいろいろなものとコラボができるという、その世界の広さやそこに踏み出す勇気をくれる方で、本当に好きです。
一番伝えたいという気持ち
―ポエトリーリーディングが行われる場所っていろんな人がいると思うんですけど、いろんな人が聞いてくれる環境は、自分の中でどんな影響がありましたか?
浅葉:先に自分の中のポエトリースラムの結論を出すとしたら、いろんな人に聞いてもらっているとは思っていません。
なぜなら、ポエトリーリーディングって年齢、働いている仕事が違えど、やっぱり自分の「辛い」「苦しい」「こういう過去があった」を原石のままブラッシュアップしないで叫んでいる人、叫ぶしかできない震えた言葉を持っている人たちの必要な場所であると思うからです。だから私は現場をそういう人が集まる場所だと思っています。だから私はいろんな人に聞いてもらっているとは思っていません。ただ、そういう心、ものを抱えた人たちに必要な場所、集まる場所として私は認識しています。
―そういう風に思えたのは何故ですかね?
浅葉:去年思ったんですよね。2017年春東京B大会のときは私が上京したてで、小劇場とか「なんじゃこれ!」って思ったぐらい、表現というものを何も知りませんでした。そして同時に、夢を目指している人たちってこんなに大きいんだと圧倒され、絶望もしましたね。
そもそも詩を肉体で表現することが珍しかったんです。短歌を書く人もいる、詩を書く人もいる、役者さんもいる、あとはその表現の仕方がラップ、短歌をそのまま読む、音をつけて読むという光景を見て、「なんて面白い現場なんだ! 私もここで私なりの表現ができるのではないか!?」と思いました。そのとき私は演劇も好き、詩も好き、歌も好きだったけれど、どれも踏み出せていなかったときだったので、小5のときから私が言葉を発したいときに書いていた詩を引っ張り出して、自分が今までやってきた好きなものを全部合わせてできるかもしれないと思い、始めました。
私はポエトリーリーディング、ポエトリースラムにすごく魅力があると思っています。可能性があると思っています。
―PSJに可能性があると思っているのは何故ですか? そこにかける情熱は?
浅葉:勝ちたいからじゃないですかね(笑)。
―なんで勝ちたいんですか?
浅葉:私、勝つって…PSJは頑張った分だけ勝てる場所だと思っているんです。
それは技術だけじゃなくて、それは肉体と声と文字言葉…つまり体とマイクとテキストだけで勝負するんですが…ポエトリーリーディングって自分の肉体が結構、初めて見たお客さんにも筒抜けになっていると思うんです。
それをすごく感じたのは名古屋で派手なパフォーマンスをやった、あまり点数をもらえずに負けた後の大会で。坊主にして、ほとんどすっぴんで、そのままの自分で行って、伝えたいこと伝えて、でも「伝えたいぞ」っていう気持ちと「あなたに届けたい」という準備を念入りにしたんです。「じゃあこの言葉、この詩においてはこの単語を一番伝えたいから、そこに行きつくまでにじゃあどういう感情で持っていくか」「この言葉を伝えたい、じゃあはじめどういう風にしよう」とか、「ここでこう伝える」って考えるとお客さんに届くんですよ。私は自分の肉体が正直でいられれば届くと思っています。正直でいられたから、怠らなかったから名古屋で勝つことができたのかなと思います。
私は褒めてもらう場所は絶対必要だと思うし、褒められるとなんか人って頑張れたりするじゃないですか。私も褒められたら調子に乗って頑張れるタイプなんですが、その頑張りから、いいものが出てきたりするんです。だからオープンマイクというみんなで褒め合える場所は、みんなの何かの可能性を引き出すには大いに有効な場所だと思います。
でも、技術を上げる、もっと届けたい、伝えたいってところに焦点を当てると、勝ち負けってあると燃えるじゃないですか。より届けてやろう、より会場に届けさせるならどう自分が頑張ったらいいのだろうとか見せ方を考えることができます。そうなるともっといいものが見られると思います。みんなそれぞれに努力するからこそ、伝わるものも伝わってくる。そういう点では勝ち負けっていると思っていて、私はPSJという勝ち負けのある場所で、私は一番いいものを見せたい、届けたい、一番届けたいから一番になりたい気持ちでずっと臨んでいます。
ポエトリーリーディングを通して踏み出していくこと
―PSJやポエトリーリーディングを経験していて思うことってありますか?
浅葉:私はやっぱり、中学高校のときから凄く人の目を気にすることは変わらないんだなって思いました。変わりたいから上京して、変わりたいと思ってバケモンになろう! 美人でてっぺんとれないならバケモンでてっぺん取ってやろうと思っていたんですが…どれも私ではあるんだって思いました。人の目を見るのも私、どっかで合わない、叫びたい、モノ申したい、埋もれないように極端にしてしまうのも私、それで一個一個に無理が来てしまうのも私、その時に調子がいいときはいいが、弱っているときに、誰かの声に頼りたくなってしまう、そして頼ってしまう…それでバランスが取れないのが私なんだなって思います。
私はいつも結論が話せないんですよ。誰かに結論を提示してください、あなたは誰ですか、あなたの信念を教えてくださいとか本当に無理(笑)
それでも今は、あなたは何を主張していますかって、より求められがちな世の中なんですよ。その時に、私はまだ自分にちょうどいい言葉が見つかってないんだろうなって気がしています。それを見つけられるか見つけられないか、人生の中でできるかできないかって思っているぐらいなんですけど、なんか今はそれから逃げないこと、自分誰なんだろう探しを、私にちょうどいい言葉を全力で探しています。
―今後の目標はありますか?
浅葉:私の中で一個決まっているものがあります。詩からは離れられないですね。
それは今のポエトリーリーディングのスタイルに準ずるかは分からないですけど、ポエトリーリーディングが内包している肉体から生まれる言葉、文字と肉体が組み合わさって言葉になるものとは、私は一生付き合っていくと確信しています。ただ、私は縛りがもっとあったほうがいい人間だと思っているので、ポエトリーリーディングってまだ私には今のままだと自由すぎるんですよね。もしかしたら、これから私は制約を一個ずつ自分につける旅をするのかもしれない。言葉というものを携えて、いろんな制約と合わさって自分に丁度良い縛りなり、表現を見つけたときに美しくなれたらなって思っています。今、私は美しくないんですよ(笑)。なのでそれを探して、いい女になります!
【プロフィール】
浅葉爽香 <あさばさやか>
自己肯定
(取材・原稿/戸門真奈美)