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【詩カフェレポート】 西荻窪・今野書店にて、茨木のり子さんの詩について語り合いました。

はじめての「詩をめぐる対話カフェ」

ポエトリーリーディングやワークショップなど、詩の活動をしていると「詩には詳しくないけれどあの詩は特別に好き」とか「もっと詩に親しむ機会があれば」といった声を聞くことがあります。もしかして詩について話したい/聞きたいひとって意外といるのでは? そう思って、詩を語りあう会を開くことにしました。それが「詩をめぐる対話カフェ(詩カフェ)」。第一回目のテーマは茨木のり子さんです。

3月29日(金)の夜7時。場所は東京・西荻窪の今野書店。正面入り口の脇から地下へと降りたイベントスペースに、15人ほどの参加者が集まってくださいました。丸く並べた椅子の中心にテーブルがあって、何冊かの詩集が載っています。スクリーンにも代表的な茨木のり子作品が投影されています。

はじめは皆さん緊張した様子。そこで案内役の私が「わたしが一番きれいだったとき」を朗読して、自分なりの感想で口火を切りました。そこからは徐々に対話が動き出すように。誰かが話し終わるとそれに応じるように別の人が手を挙げ、言葉を紡ぐ。風が流れるように話が続いていきます。

話題になったのはたとえば「きれい」という言葉と「美しい」という言葉。主人公は自分が若かった時代を「きれいだったとき」と表現している。兵役にいった同世代の男たちの目も「きれい」。でも詩の最後に出てくるルオーの絵は「美しい」。このふたつの言葉の違いはなんだろう…というような。

読む人が自分に置き換えて読める詩

印象的だったのは、何人かの方が詩に自分を重ね合わせ、個人的な経験や思いを語っていただいたこと。ご自身の母親が戦中を過ごされた話や、学生時代に病気で苦しんだことなど。「素晴らしいはずの時代が台無しになった」というストーリーを、読む人それぞれが自分の境遇に置き換えて受け取れるのでは、という意見もありました。

詩や詩人についての知識も参加者同士で情報交換され、話が深まりました。例えばこの詩を韓国の詩人が本歌取りしているのだけど、そこではルオーが納得いかない自分の絵を焼却した話に触れているとのこと。そのエピソードは原詩のチャーミングで穏やかな終わり方と相反するようで、実はその潔さや人生のしまい方が茨木のり子さん自身と通じるのではないか、という意見も出ました。

対話を速記したホワイトボード。びっしり。

「わたしが一番きれいだったとき」だけで前半1時間以上を使ってしまったのですが、休憩をはさんで後半では他の作品も話題になりました。日本軍に強制連行された中国人男性が、13年に渡って北海道で逃亡生活を続ける「りゅうりぇんれんの物語」。実話にもとづいた壮絶な長編叙事詩です。あるいは詩人の没後に発表されたった詩集『歳月』に収められた表題作や「夜の庭」「部分」といった詩。亡き夫への愛を綴ったそれらの作品を、じっくり味わいながら語り合いました。

詩についてゆるく話をする場所

「詩カフェ」を進めるにあたっては、「哲学カフェ」を参考にしたちょっとしたルールを考えています(「哲学カフェ」についてはこちらを参考にしてください)。
それは

  1. 自分の言葉で(自分の感覚、感想、経験に即して)話すこと

  2. まとまらなくても、詰まっても、ブレても、わからなくなってもいい

  3. ほかの人の話をよくきくこと

  4. 聞いているだけでもかまわない

以上を最初にお伝えしてからスタートしました。そのせいもあって、全体として非常に和やかな会になったと感じています。終了後のアンケートでは「全くのビギナーでしたが安心感がありました」「2時間があっという間だった」「今日話した詩を何度も読み返したくなりました」といった嬉しい感想をたくさんいただきました。「全然話さなくてもOKというので安心だった」という声も。本当にありがとうございました。

「詩カフェ」は準備も知識もいらない、ただ詩について話す(もしくは聞いてるだけでもいい)というゆるい会です。
次回は6月2日(日)14時から。テーマは山之口貘さん。
西荻窪でお待ちしています。

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