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note 13/夏について ひとつ

  夏がくれば思い出す。夏というのは、つねに過去。いつも、振り返ってしまう、なつかしく思えてしまう、なつかしく思いたくなってしまう季節です。
 記憶の中の夏は、時期によって、かなり違います。ぼくが子どもの頃の夏と、学生だった頃の夏と、最近の夏では、単純に暑さも違うし、長さも違う。「仙台の夏は、こんなに暑くなかったよね」と毎年言っていますが、ほんとうにそうで、実家も、はじめて一人暮らしをしたアパートも、結婚した時にバイト先の社長に貸してもらった部屋も、クーラーはありませんでした。ひと夏の間に「今夜は寝苦しいなー」という夜が1日か2日あるくらいで、クーラーをつけるというのは、特別な状況で、おばあちゃんは「クーラーは体に悪い」と決めてつけていたものです。まぁ、これは仙台に限らず、以前の日本の夏はそんな感じだったのかもしれませんが、全国の天気予報を見ていても、仙台はとくに気温が低かったような記憶があります。

 冷夏というのもありました。学生の時にバイト先のみんなで七夕前夜祭の花火を見に行くことになり、ぼくたちバイトは昼から会場にいて場所取りをしていました。焼きそばとかを食べながら、「楽でいいねー」とか「こんなんでバイト代もらえるなんてラッキーだね」と言っていたのですが、途中から「なんか、寒いね」となり、明らかに具合が悪そうな感じの人も出てきて、家が近く、戻れるということで、羽織れるものを取りに帰ったのを覚えています。
 ちなみに、その夜、バイト先のみんなで見た花火はなぜか、とても楽しかったのも覚えています。それからも花火を見ることはあるのですが、後にも先にもぼくが花火を見に行くことが楽しく思えたのは、あの時だけでした。それは、いろいろな状況がそうさせたのだと思うのですが(他の時は目的や状況がちがい、花火を楽しみにするということではなかったのでしょう)、後日、その時の花火が如何に楽しかったのか、文章にまとめて、バイト先のみんなに配ったくらいでした。みんなも読んでくれて「そうだよね」「ほんと、楽しかったよね」と言っていました。さすがに、その文章は探しても見つからなかったのですが、手書きで、しかもバイト先で「コピーしていいよ」と言われたので、みんなに配ることができたのでした。まぁ、それも長閑な時代ということになるのかもしれませんが。

 いつからか、日本の夏は「危険な暑さ」とまで言われるようになり、仙台でもクーラーがついていない物件は珍しく、あらゆるメディアが「クーラーを使うように」と警告しています。子どもの頃は6月の梅雨時期に「洗濯物が乾かない」などの理由で、ストーブをつけていました。「お盆が終われば冷えてくる」というのも定番の台詞で、8月後半は「なにか羽織るものを持っていきなさい」と家を出る時に言われたものです。だけど、いまは5月から10月くらいまでを半袖で過ごせてしまいます。春や秋はこれからどんどん短く、儚いものになっていくのでしょうか。

 夏がくれば思い出す。それは2022年の夏のこと。その時ぼくは仙台市で唯一の海水浴場だった深沼海岸のイベントに関わっていました。「だった」と書きましたが、深沼海岸は、震災の時に多くの方が亡くなったところで、荒浜地区は災害危険区域として、人が住んではいけないところになってしまいました。震災から時間が経ってくると、復興の名のもとに跡地利活用事業者が入り、賑わいをキーワードにメディアが取り上げ、新しい地域として、動き出してはいます。それ自体は悪いことではないのですが、元々住んでいた方たちのことはこれからどうなっていくのだろう、という思いを持った方たちとの出会いから、地域との関りが増えていきました。行政の方たちとも「果たして、あの場所で海水浴を再開していいのだろうか。先にやるべきことがあるのではないか、震災から時間が過ぎていく中で、立ち止まり、考えることがあるのではないか」と話し合いを重ねてきました。

 そうした考えや意見を言葉にしていく中で、実際に形にできることを提案しないとわかってもらえないということもあり、その中のひとつが、夏のイベントでした。海水浴を再開する前にできること。ふたたび海に行くこと、行けるようになること。そうしたことを形にできたら、と思ったのです。

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