2024年 5月の振り返り
大学4年生になって2ヶ月目に差しかかった5月。将来のことだったり、自分のことだったり、過ぎた日の意味だったり、ぼんやりとしていたものが鮮明になっていく。鮮明になるということは、細部まで明らかになっていくということで、あちこちいろんなことに気をとられたりする。そんな私の5月を振り返ってみる。
5月初旬。密かに心待ちにしながら迎えたゴールデンウィーク。私の理想の連休は、予定が何も入っていない状態で始まって、そこから何しようかな〜って考えて、自発的な予定が刻まれていく、みたいなのがベストなんだけど、なかなかそうはいかない。今回の連休も、初めから決められた予定があった。だから、私にとって本当の休日ではなかった。その予定は、自発的なものではないけど、参加が義務なわけでもなくて、結局その日の朝になって行きたくない思いが勝ってしまい、キャンセルした。行かなくなったのはよかったけど、なんだか自分が情けなくて、罪悪感も伴って、憂鬱なまま布団から出られなかった。こういうときは何をしても気分が晴れない。学校を仮病で休んでしまったときのような、どこか後ろめたさがあるあの感じ。結局その日は寝て終わってしまった。ここまで来ると、ゴールデンウイークに何をやっているんだろう、という虚しさに押しつぶされて、絶望的だった。流石にこのままではまずい、なんとか持ち直そうと、翌日の日曜日には教会に行った。
このブログでまだ私の自己紹介も書いていないから、毎回話に脈略がないような気もするが、今回もそうなりそうだ。教会の話は、長くなるからまた今度書くことにして、私がクリスチャンであるということだけ今回は触れておく。で、教会に行って、憂鬱は晴らされて、行ってよかったと心から思わされた。そして気づいたら連休の終盤に来ていて、休み明けを思うとまた身体が重たかった。この時期は、とにかくゼミが負担だった。次のゼミのことを考えると、自分が何も進んでいない気がして、焦りと不安、もどかしさなどがぐちゃぐちゃに混ざって、巨大な怪物になって襲ってくる。2日前くらいから憂鬱のピークに達し、いろんなことが手につかないし、何も楽しめなくなる。そんなんだから、面白いアイデアなんて出るはずがない。非効率的に時間を浪費しながら、しばらくが過ぎた。また永遠と寝てしまう日も訪れて、目覚めては後悔の繰り返し。なんでこんなに苦しいのだろうかと、苦しくなる自分のせいで苦しかった。この状況から救い出してほしい、そう思った。
時々、神様を信じているのに何で私はこんなに苦しいんだろう、と思うことがある。そんなときに思い出すのは、神様は私たちの苦しみそのものをなくしてくださる方ではなく、困難のなかでも私たちが生きていけるようにしてくださるということ。困難のなかを一緒に歩いてくださるということ。だから、その主に信頼して生きていくことが、私が唯一生きていける方法だ。
私は基本部屋に一人でいることが苦痛ではなく、むしろ快適なのだが、この時期はだいぶ心が沈んでいたから、どこかに出向いて気を紛らわすことが必要だったみたいだ。ちょうど父が休暇で、実家から私の元にやってくることになった。少し安心した。この落ち込みムードを切り替えることができるから。父とは、性格がよく似ていて、一緒にいてあまりストレスがない。思春期真っ只中の頃は、私の父への態度は最悪だったが、今は全くそんなことはない。あの頃は、申し訳なかったな、と今は今になって反省している。父と美味しいものを食べ、いろんな話を交わして、良い時間を過ごした。家族と同じ空間で過ごすということが、いつの間にか私の非日常になったことを実感する。どこか寂しくもありながら、それでも変わらない家族の愛に安心する。父は、休暇を満喫して帰っていった。私も少し前向きになっていた。
ちょうどその日の夜、卒制でやりたいことが浮かんで、わずかに光が見えた。ゼミのなかで話しながら、少しずつ方向性が見えてきて、心が軽くなった。ようやくここまでは来たか、という感じだ。そこからは、卒制のことでいろんな情報を集めたり、考えたり、心も体も活発になった。情報を得るために、遠くまで足を運んだ。卒業研究をしていて思うのは、ある程度のお金が必要だということ。自分のやりたい研究にもっていくためには、それなりにお金がいる。節約だけではさすがに厳しいから、来月からまたバイトを始めることにした。でも、バイトのせいで心がすり減ってしまうのがこわい。心、お金、時間、これらをうまく管理してバランスをきちんと保ちたい。
そんなこんなで、卒制の方向性が見えてからは心の健康を取り戻した。5月は、考えることがいっぱいあって、頭の中がうるさくて忙しかった。スケジュールが毎日詰まっていて忙しいんじゃなくて、私の心に余裕がないから忙しくなる。だから、5月は私の中で忙しかったけど、無事に今月も終えられそうでよかった。振り返りnoteを書いていると、時の流れは不思議だな、というふうに思う。
きっと今日が終われば明日はやってくる。それが絶望であっても希望であっても。
最近、縫い物をしている。
ひと針ひと針丁寧に縫うように、1日1日を丁寧に紡いでいきたい。
夕日を眺められるくらいの余裕も保ちながら。