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秀吉さんと秀長さん
秀吉さんには秀長さんという弟がいて、
優秀でとても温厚な性格で人望厚く、兄秀吉の良き理解者であり、
ときに兄の暴走を止める役割を担っていたようです。
彼は、兄よりも8年ほど先に旅立ちます。
その時の秀吉の落ち込みようは凄まじく、
一説には秀長さんが亡くなったことで箍が緩み
歯止めが効かなくなっていった、と何かで読んたことがあります。
秀吉さんの晩年はイケイケドンドンでしたからね。
そんな秀長さんの葬儀には、実に20万人が参列したと言われています。
それは、彼の今生における行いの表れに思えるのです。
一方、秀吉さんはどうか。
死を諭されないようになど、政治的に利用されつつ、
果ては秀吉さんを祀った京都にある「豊国廟」は、
豊臣家滅亡後破棄され、300年ほど放置されていました。
戦国一の出世頭で人たらしで、あっという間に天下人となった秀吉さん。
彼が幸せだったか、武士でないポエマーの自分にはわかりません。
が、
自分のときは願わくば、ビール片手に
気分爽快by森高を合唱して送り出してほしいと思う秋の空。