「幸せ」にはなるな、「楽しく」なれ

仕事の休憩中だから備忘録として簡潔に。

「幸せ」って大仰な言葉には何故か反感しか覚えないけど、「楽しい」に置き換えてみるとすっと受け入れられる。きっと、前者は不躾な輩が外野から決めつけてくるけど、後者は個人のものでしかないからだ。楽しいって無敵だ。「そんなの楽しくないだろ!」って決められても楽しいままだもん。すげえ。
だから俺はこれから「楽しく」なろうと思う。実際自分でも「楽しけりゃなんでもいいよ」つってるし。
ネットで幅利かせてる自称カウンセラーも大概言葉選びが下手くそだよな。「自己肯定感を高めて幸せになろう!」とか言われても、俺みたいな捻くれ者は反感を覚えてしまう。
その話で言うと、「自己受容」なる胡散臭いものを完遂した先に「メチャンコ楽しい」があるなら、やってみたい!絶対やってやるぜ!くらいに思えるもん。馬鹿で単純でよかった。

というわけで俺はもう「幸せ」になることも、「すごく」なることも、一旦俺の中ではどうでもいいものだと決めます。ずっと「幸せになるためなら何でもやってやる」と思える人間になりたかった。でも前提と言葉が俺にとっては間違ってたっぽい。俺は今から「楽しく」なるためなら何でもやることにした。傍から見て俺のやってる事がダサかろうと羨望の対象でなかろうと、楽しけりゃなんでもいい。泥水啜ってでも楽しくなってやるぜ。

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