お昼休み、サクサクの厚揚げをほおばりに。
とある平日のお昼前、夫が仕事の途中で一時帰宅した。
前が外出案件だったそうで、車を自宅に停めるついでにちょっと立ち寄ったらしい。ちょうど私も作業のきりがよかったので、「ねえ、時間あったらお昼食べに行かない?」と誘ってみる。
夫の会社が徒歩5分の近所で、自分は自宅作業のかなう仕事だからこそ、ときには実現できる平日の夫婦ランチ。まあ格好をつけてそう言ってはみたものの、実際はめったに実現しない。だからこそこういう、偶然タイミングがあう貴重な日には声をかけてみたくもなる。
「うん、いーよー。近くなら」
おお、やった。これは期せずして、育児中にはたいへん貴重な「夫婦 de 外食」というやつではないか。わーい。
というわけで、徒歩圏でサクッとご近所ランチにでかけてみることにした。
* * *
意気揚々と出かけたはいいものの、まだ時は正午前。目当てのお店が立て続けに2件、まだオープンしていなかった。
さてさてどうしますかね、とぶらぶら歩きながら、老舗感あふれるお豆腐屋さんの前で足をとめた。
店の横で「創業 大正十年」ののぼりが揺れている。そうそうこのお豆腐屋さん、何度か1階でお豆腐やお惣菜を買ったことがあるのだが、途中から2階に「食堂」ができて、まだ一度も行っていないが気になっていた。
お店のポスターには、「豆腐屋の2階で豆汁はじめました 豆腐屋の食堂。」の文字。そしてこの時間、すでに営業している。よし、決まり。
そうと決まればレッツゴー!という昭和なノリで、そのテンションを心地よく迎えてくれる豆腐屋のレトロな店舗に足を踏み入れ、狭い階段をのぼってゆく。商店の2階ってさ、なんだか隠れ家へ行くみたいでわくわくするね。
* * *
1階はこじんまりとした販売スペースに所狭しと商品が並んでいるから、お店自体も狭いのかと思ったら、2階は思ったよりも広々とくつろげるスペースになっていた。窓や壁に向かったカウンター席だけだから、ひとりでも訪れやすそうなのが嬉しい。
さあさあ何を頼みましょうかと、メニューに目を落とす。
メインとなる定食が2種類に、お好みでオプションメニューいろいろ。
一度理解すれば何も難しいことはないのだが、初めてのわたしは見慣れないメニュー形式に目があっちこっち行って、文字通り目が泳いでいたかもしれない。
夫もわたしも、いろいろお得に味わえそうなサービスセット1(850円)をチョイス。セットメニューとして、夫は旬のサンマ塩焼きと明太子、わたしはチキン南蛮と小松菜のおひたしを選んだ(サンマは+50円)。
待っている間に、セルフサービスで食べ放題のお漬物をとりにゆく。沢庵、高菜、柴漬け。あたたかいお茶も注いで。待ち時間にお茶とお漬物があるっていいよね。それだけでなんかほっこりして待てる。
* * *
ほどなく定食が運ばれてきた。
いただきます!と手を合わせたら、まずはやっぱり、厚揚げから。
待っている間、壁に貼られた「揚げたて厚揚げ」の手描きビラを見て、揚げたてってやっぱりおいしいのかなあ、おいしいんだろうなあ、と楽しみにしていたのだ。
箸で、厚揚げをそっとつかむ。
おや、これは……。
まだ噛じる前だというのに、箸から伝わる触感だけで、「おぬし、ちがうな」とわかる。スーパーで売られている厚揚げはすでに皮もふにゃふにゃだが、この厚揚げは、周りがカリッと揚がっているのが箸づてでもわかるのだ。
期待にわくわくしながら、口に運んでかじり取る。
「サクッッ」
わあ!!
ねえ今なんていった、サクっていった?!と、その衝撃を頭で処理しきる前に、つづいて中のとろっとした豆腐とともに、皮の中に閉じ込められていた旨味がじゅわあ、と口の中に広がる。
サクッ、とろっ、じゅわあ。
おい……しい……。
ええ、これ厚揚げなの。もはやなんか別の名前つけたほうがよくないか。なめらか豆腐の唐揚げ、みたいな。いや、違うな。
たしかに厚揚げなんだけど、厚揚げなんだけど、なんだろうこの、「わ、やられた!」みたいなこの感じは。ずるいよ、厚揚げって聞き慣れた名前で油断させといて、さりげなく登場してこんなに美味しいなんてずるいよ。テスト勉強してないって言って油断させといて、実はめっちゃ点とって、「わ、やられた!」みたいなさ。ねえ? 君、厚揚げじゃなかったの?って。
そんなよくわからない混乱が脳内で引き起こされるほどには、衝撃的な厚揚げだった。
* * *
どのお料理も美味しかったのだけれど、わたしが定食をいただきながらあらためて気づかされたことは、「ああ、『お豆腐ジャンル』っていう、食卓によく登場する馴染みの素材ジャンルのクオリティがあがると、『普通の定食/家庭料理』はこんなにもクオリティがあがるのか」ということである。
先に述べた厚揚げもその一例。厚揚げが食卓に登ることは我が家でもよくある、ありふれたことだけれど、その質が違うとこんなにも特別な体験になる。
さらに、定食の要ともいえる豆汁にはもっちりとした美味しいお豆腐が入り、豆腐屋さんの豆乳がたっぷりと使われている。サイドメニューにもさりげなく、小松菜のおひたしには油揚げ。いつもの見慣れたメニューが、いちいちいつもより一段、おいしい。
お豆腐も、油揚げも、豆乳も、スーパーでよく買って日常的に自宅でも食べているのに。「ありふれたジャンル」の素材の質があがると、日常のメニューがこんなに変わるなんて。
そして勝手ながら、ここにこそ、お豆腐屋さんが食堂をやるという意味があるのだなと思った(あんたこの店の何なのさ)。
なんというか、お豆腐屋さんのプライドをいい意味で見せつけられた気がしたのだ。だって日常的に食卓に登るものだからこそ、気づいてしまう。
「ああ、たしかに、違うね!」と。
* * *
すっかりお豆腐屋さんの力に感動したわたしたちは、アフターコーヒー(200円)と、豆乳ソフトクリームのミニカップ(150円)も追加オーダー。
他にも豆乳シェイクや豆乳フロートなど、カフェメニューも充実していた。カフェタイムも使えるのいいな。
コーヒーも渋みが少なくすっきりとして美味。
豆乳ソフトクリームは、先に夫がスプーンでひとくち食べた。そして第一声、
「うまっっ!」。
ああ、びっくりした。あなたそういえば今日ずっと静かでしたよね。わたしばっかり厚揚げやばい!とかはしゃいでましたけど。たしかに、「うん、おいしいね」と賛同はしてくれていたけどさ。
そもそも夫は普段から、あまり「おいしい!」と何かに感動することがわたしよりは圧倒的に少ない。そんな彼が、わたしに「どう?」コメントを求められるまでもなく、能動的かつ瞬間的に「うまっっ!」を発することがどれほど貴重か、おわかりいただけるだろうか。それだけで期待大なのだ。
わくわくしながら、わたしもスプーンを手にとり、口に含む。
サラッ、すっ。
おお。なんだ今の。
濃厚なソフトクリームと見た目は限りなく同じなのだが、こちらは口に含むと「サラッ」とした口当たりを一瞬感じるうちにもう「すっ」といなくなる。そして後味は甘すぎず、あっさり、さっぱり。
もうなんていうかね、食後のデザートにほんとうにぴったりすぎるよね。
* * *
ところで定食を食べる前、わたしは「一応記録ね」とか偉そうに言いながら、スマホで中途半端な気持ちで写真をとっていた。
別によくある「普通においしい」ぐらいなら、わざわざnoteにも書かないからね、そこは正直にやってますから。聞かれてもいないのに夫に向けてだらだらそんなことを言いながら。そして厚揚げをひとくちかじり、そんな自分を猛省した。もっと本気で厚揚げさまの角度を探してしっかり対峙して写真を撮るべきであったよ。なんと失礼なことを。ごめんなさい、厚揚げさま。
今度は厚揚げ好きの娘も連れて、厚揚げ買いにこよう。おやつの時間に、カフェ利用で厚揚げ食べにきてもいいかもな。やっぱ揚げたて、最高だもの。はやく娘にも食べさせてあげたいね。
ふたりでいても結局そんな話をしながら、お店を後にする。
そのまま、チャリで出社する夫を見送って、わたしも持ち場へ戻った。
(おわり)
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