アートがわからない
ある朝、娘がトイレの壁に、折り紙をセロハンテープでぺたぺたと貼った。
折ってもいないただの「折り紙そのもの」を、大人から見れば「なぜそこを?」というような位置に、セロハンテープをつけてただ、貼る。
四隅をとめるなんて発想もなく、上の方をペタッと適当にやって、折り紙を固定する。下の方はひらひらしたままだ。
さらにはなぜか、折り紙を貼った壁の上に、直接セロハンテープだけをペタペタ、ペタペタと貼り重ねている。透明なセロハンテープを、壁に貼る。重ねて貼る。透明な層ができていく。
透明なのだけれど、貼られていない部分の壁とはやっぱり色合いも質感も微妙に違う。ないけれど、ある。確かにある。透明なんだけれど。
そんな景色を見てわたしは思う。
なんだか現代アートみたいだ、と。
*
たとえばこのトイレの壁を全部、折り紙でみっちりと埋め尽くして。
さらにはセロハンテープ何十ロールかを消費して、かたっぱしからペタペタと乱雑に貼り付けてみたら、どうだろう。
その空間に足を踏み入れた瞬間、いや、もっといえばそのドアを開けた瞬間に、きっとわたしの安い感性は「アートだ」と思ってしまう気がする。
いや、べつにそうまでしなくても。たとえば今、娘が折り紙を2箇所だけ貼り付けてセロハンテープを貼り重ねたこのトイレの個室をくり抜いて、現代アートの一角に展示してみたら、どうだろうか。
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