芋けんぴがとまらない
どうにも理解しがたい。
書きものをしていて、ちょっと甘いものつまみたいな、と思う。棚へ行ったらたまたま、未開封の芋けんぴを見つけた。あ、これちょっと食べよう。封をあける。
いつも食べ過ぎちゃって後悔するんだよな、じゃあ食べる分だけだそう、と皿にすこし盛る。封をとじる。
デスクへ戻る。書きものをつづける。
……気づいたら、袋にあんなにぎゅうぎゅうに入っていた芋けんぴは、残りわずかになっている。
すこしだけ皿にだして、あとは封をしておいたはずなのに。
謎である。
* * *
ハッとして我にかえるのはだいたいこのタイミングだ。
もちろん冷静に振り返れば、犯人は自分である。
書きものをしながら、ときおり無意識に芋けんぴを口に運ぶ。書く。カリッ。ポリッ。書く。カリリッ。ボリッ。気づけば皿のうえに出した芋けんぴがなくなっている。無意識のまま袋の封を開けて補充する。最初にもどる。ループする。
袋の半分ほどになったとき、いったん気がつくこともある。
あらら、またこんなに食べちゃった。これで最後にしよう、と思って皿にまた少しだけ盛る。
封をして、近くにあると食べちゃうんだから、と思ってわざわざ隣の部屋の机のうえに置く。
……はずなのに、結局その場の固い決意は、皿に盛った芋けんぴを食べ終えるころには消えている。もうちょっともうちょっと、と思いながら隣の部屋まで袋をとりにいくのだ。
* * *
芋けんぴの中毒性は自分にとって謎である。
「好きなたべものはなんですか?」「芋けんぴです!」とは絶対にこたえない。ジャンルをしぼって、「好きな市販のお菓子、トップ5は?」と聞かれても、そこにすらランクインしない。
それに芋けんぴ自体のたたずまいもなんというか、「私、地味ですし。昭和ですし」みたいな控えめな顔をして、静かにしている。
だからこそ、無自覚に食べはじめてしまう。これが危ない。
食べはじめてしまうと、止まらないのだ。
油でカリッとあげたさつま芋を、砂糖でコーティングした、実にシンプルな芋けんぴ。
手にとって、ボリッ、とひとかみ。ふわっと口のなかに広がる、どこかなつかしい、さつま芋の素朴な風味。
表面の砂糖の甘さが、芋にしみこんだ油とまざりあい、さらには芋本来の旨味とあわさって、絶妙な味わいをうみだしてくる。
たとえばケーキなんかと違って、ひとくちひとくちは「カリッ」と軽いので、ついつい食べ進めてしまう。またこの食感自体がクセになるのだ。
あとから胃もたれで後悔するとわかっているのに。それなのに。
カリッ。ボリリッ。芋けんぴがとまらない。
* * *
何気なくパッケージの裏面を見ると。
栄養成分表示(100g当たり)
エネルギー:501kcal
ちなみに内容量自体は180g。すでに半分以上は食べている。ということは……。恐ろしくなって考えるのをやめた。
さらに衝撃を受けたのは、また別欄に書かれた、芋けんぴの「名称」である。
商品名:芋けんぴ
名称:油菓子
あ、油菓子……!? 先日書いた「焼き鮭と肉じゃがと味噌汁。」じゃないが、「油菓子」という文字列がもつ破壊力はすごい。仮にもアラサー女性にあたえるダメージはなかなかのものだ。
うん、ごはんは軽めにしよう。そうしよう……。
後悔は、先に立たないから後悔なのだ。
* * *
昨日の午後に食べはじめてしまい、申し訳程度に袋に残されたわずかな芋けんぴ。朝、それが目に入ってついこんな文章を書いてしまった。なんならカバー写真用の撮影までしてしまった。
本来の自分は常にこんな感じなのだが、なぜかリアルの知人からは「まじめ」「おとなしい」「えらい」「がんばってる」あたりの印象を抱かれることが多い。
そのたびにわたしは、
“あああすいませんほんとはそんなんじゃないんです、ぐだぐだのだるだるで、きょう書いたエッセイなんて芋けんぴがとまらない、とかなんですあははは、なんかほんとすいません、、”
みたいな気分になるのだ。
というわけで、インタビュー記事のアップは続けつつ、いつもみたいな好き勝手なエッセイももちろん続けていこうと思っている。
確かに自分のなかに「がんばってる」面もあるにはあるとは思うのだが、一週間、その一面だけをきりとって見せ続けているというのはなんとも自分が居心地悪いからだ(笑)。
しばらくは、午前中に通常運行のエッセイ、夕方くらいにインタビュー記事の更新、みたいな感じでいこうかなぁ、と思っている。
……これを書くあいだ、残りの芋けんぴがおともとなってくれたのは言うまでもない。
みなさま、芋けんぴにはお気をつけて。